予選37
「ナナミちゃん! これ、昨日ナナミちゃんが好きだって言ってたから、買ってきたよ! プレゼント!」
髭の男はそう言って、箱に入ったゼリーとグミを差し出した。
「えっ。いいんですか? うわあ、嬉しいです! ありがとうございます、オリヴァーさん!」
七海が嬉しそうに言って、箱を受け取った。名前を呼ばれた瞬間、髭の男の顔がこれ以上不可能なくらい緩んだ。
数時間前に俺が売ったゼリーとグミが、俺の目の前で七海に渡される図というのは、なかなかシュールだった。
「今日はサイン色紙の他に『ペン』も用意していますよ!」
俺は『光らない棒』の入った箱を見せてそう売り込んだ。名称は悩んだのだが、『ペンライト』から『ライト』を引いて、単なる『ペン』ということにした。
「ペン? 何だ、それは」
「『1の3』の新しいグッズです! 色紙と同じように、七海や有希や心愛がサインして手渡してくれますよ! サインをしてくれるのは、それぞれのイメージカラーの子だけですが、その分特別感があります! また、『1の3』が歌っているときにこのペンを振ると、その色の子にも自分が応援されていると伝わり、盛り上がること間違いなしです! 自分の推しが誰なのか周囲の人達にも一瞬で伝わりますし、その人達と一緒に、それぞれの推しの子を応援するチャンスですよ!」
俺は通販番組の司会者をイメージしながらそう説明した。
「でも、お高いんでしょう?」
有希がそう訊いたが、これは打ち合わせ通りの台詞である。
「1本につき通常価格2500ゼンのところが、今なら特別価格で、たったの2000ゼンです! さらに、3本セットなら何と、5500ゼンで入手することが可能です!」
「ええっ! そんなに安いんですか!?」
事前の打ち合わせ通りにヘンリーがそう言ってくれた。しかし、日給6000ゼンで雇っているヘンリーにこの台詞を言わせるのは罪悪感があるな……。今日はライブの回数も多いことだし、後で臨時ボーナスを支給しておこう。
「七海、どうだ? 自分のイメージカラーのピンクの『ペン』をオリヴァーさんが買ってくれたら、嬉しいか?」
俺は七海の方を見ながらそう訊いた。
「もちろん! すっごく嬉しい!」
「買ったぁっ! ピンクのを2本くれっ!」
髭の男がそう叫んだ。七海は「オリヴァーさんへ」という宛名だけではなく、アドリブで「いつも応援ありがとう」と書いていた。
髭の男の仲間達も、それぞれの推しの子にゼリーとグミを渡し、ペンを購入していた。
これはあれだな。何十分も並んでゼリーとグミを合計2000ゼン買っていたのに比べたら、同じ値段で並ばずに買える『ペン』は楽だと思ったのかもしれない。買ったものが自分の手許に残るし。
また、今日のワンマンライブで『かぐや姫』の話をしていたのも、偶然ではあるが良かったのかもしれない。かぐや姫が求婚相手に求めたという蓬莱の玉の枝や火鼠の皮衣に比べたら、『ペン』は簡単に入手できるからな。
他の男達も、それぞれの推しの相手にゼリーとグミを渡し、『ペン』を購入していた。
初めてサイン会に参加した人は色紙を求めることが多かったが、すでに何回もサイン会に参加している男達は『ペン』を買ってくれることが多かった。
ただ、列が短くなってくるに従って、3人の人気差が如実に現れ始め、心愛の表情が曇りがちになってしまった。
ペンの売上を見ると、七海、有希、心愛の順に人気があるのがすぐに分かってしまうのだ。もともとメンタルの弱い心愛には、残酷すぎる現実だった。一応、在庫は七海達にはあまり見えないようにしているけど、目の前で他のメンバーのペンが売れていくのを数えていれば、分かってしまう。
俺が分析するに、七海は3人の中で唯一清純派っぽい外見なのに対し、有希と心愛はどっちもギャルっぽい外見にしているから、見た目のキャラが被っている有希と心愛の人気が分散してしまったのだと思う。
どうにかして心愛のメンタルを回復させる方法を考えないと……、と俺は悩んだ。
やがて、1番最後に並んでいた若い女性客の番がやってきた。
「あ、あの! 私も『1の3』に加入させてもらえませんか!?」
サイン色紙を買った後、その若い女性客は俺に向かってそう訊いた。
驚いたが、改めてその女性客を見る。服と髪型が地味なせいで台無しになっていたが、なかなか可愛らしい顔つきをしていた。年齢は20歳手前くらいだろうか。
俺は『1の3』に現地人を加入させるつもりはなかった。どうせ、今日を入れて残り6日間じゃ七海達と同じレベルにはなれないだろうし。
しかし、同時にこうも思った。
――これはチャンスだ!
「『1の3』はすでに完成したグループなので、加入できません。ただし、もしも『1の3』の姉妹グループを作るとしたら、そこに加入したいとは思いませんか?」
俺は女性客に向かってそう訊いた。
「姉妹グループ? 何ですか、それは?」
「『1の3』とは別のグループですが、『1の3』と同じようにアイドル活動をして、同じステージに立って同じ曲を歌うことができるグループです。もちろん、その姉妹グループ専用の曲も作ります」
「そんなのがあるなら、加入したいです!」
「分かりました。それではオーディションを行なうので、あちらの方で少し待っていてもらえませんか」
俺は1番奥にある席を指してそう言った。
「――というわけで、姉妹グループを作ることになりました」
加入希望の若い女性客以外の客を全て退店させた後、俺は女子4人とヘンリーと店長達に向かってそう言った。
「何が『というわけで』よ。そんな話、寝耳に水なんだけど!」
有希が怒ったような表情でそう言った。
「たった今思いついたアイデアだからな。姉妹グループができたとしても、この街の――いや、この国のトップアイドルが『1の3』であることに変わりはないから安心してくれ。それと、有希。こっちに来てくれ」
「何よ……」
有希が怪訝そうな表情をして近づいてきた。
「姉妹グループができれば、心愛が人気最下位じゃなくなるぞ。姉妹グループのメンバーよりは、心愛の方が絶対に人気があるから」
俺が有希の耳元でそう
「ああ、そういうことね。それならいいよ。ウチは、姉妹グループを作るのに賛成する」
思った通り、友達思いの有希は賛成側に回ってくれた。
「えーっ。有希ちゃん、烏丸Pに何言われたの?」
「内緒」
七海の質問に、有希は悪戯っぽい笑みを浮かべてそう答えた。
このグループは、リーダーの有希が決定したことには逆らわない方針になっているので、これで『1の3』の他のメンバーの意見を聞く必要はなくなった。
「店長はどうですか?」
「俺にも意見を訊くのか?」
俺の質問に、店長は意外そうな顔でそう訊き返した。
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