予選34
異世界の銭湯ってどんなところなんだろう……と思っていたら、想像以上に日本の古風な銭湯に似ていたので驚いた。
石鹸は備え付けではないらしい。入り口で角砂糖よりも小さい使いきりの石鹸が50ゼンで売っていたので、それを購入した。入場料金は大人1人1000ゼンと、なかなかのお値段だったが、電気もガスもないのだから仕方がないと思った。入浴前にはかけ湯を欲しいと従業員に言われた。
木の床の脱衣所があり、浴室の壁と床はタイル貼りで、大きな浴槽があった。シャワーはないが、冷たい井戸水を使えるスペースもあった。天井と扉が大きく開放されていて、そこから湯気が煙のように外に流れ出していた。脱衣所はランプがあってそれなりに明るかったが、浴室は月明かりが頼りになっている部分もあった。
そう言えば、月はこの世界でも1つしかなくて、丸くて大きくて綺麗だった。今は満月で、その色は、高い場所にあるときは青白くて、低い場所にあるときは濃いオレンジ色に見えた。
浴槽に張られたお湯は、日本人の感覚からすると少しぬるかった。遅い時間帯に来たせいか他の客が少なくて、広々と感じられた。とりあえず、孤児院の浴室に比べたら何倍も快適だった。
「あー、生き返る~」
女湯の方から、七海のそんな声が聞こえてきた。どうやら天井部分で男湯と女湯が繋がっているらしい。
「近くに銭湯があって、本当に良かったわね」
浅生律子の声も聞こえた。
「うんうん。本当にラッキーだったよね。洗面器の水で身体を拭くだけなんて、あり得ないもんねー」
心愛の笑い声も聞こえた。
「貸し切り状態で、思わず泳ぎたくなっちゃうよね。……って、七海! 本当に泳いじゃ駄目だよ!」
有希のそんな声と、水音も聞こえた。
なるほど。遅い時間だから女湯の方は貸し切り状態になっていて、男湯にいる連中は全員黙っているから、自分達しか客がいないような感覚で話しているのか……。
「ところで、明日のライブなんだけどさ――」
七海のそんな声が聞こえたところで、俺はストップをかけることにした。
「おい! お前ら、さっきから全部聞こえてるぞ!」
俺がそう注意すると、話し声がピタッと止まった。
ふと気がつくと、周囲の男性客がなぜか怖い顔で俺の方を睨んでいた。戸惑ったが、少し考えて理解した。
あなた達は女子トークを聞いてたかったんですね……。でも、あのまま話し続けられたら、七海達の正体が『1の3』であるとバレてしまっていただろうし、止めるしかなかったのだ。
お風呂を出て、身体を拭いて服を着て、外で女子4人が戻ってくるのを待つ。
……遅い。
完全に湯冷めしてしまった。明日からは事前に待ち合わせ時刻を決めておこうと決意した。
ようやく女子4人が出てきて、孤児院に戻る。
「烏丸P。そう言えば、野外ライブの方はどうなってるの?」
七海が歩きながらそう訊いてきた。
そう言えばそんな話もあったな……と思い出したが、忘れていたと言うほど俺は正直な男ではない。
「ちゃんと考えてるよ。今の『1の3』の集客人数だと、広場じゃ手狭だから、あの河川敷を使う許可とか取れないかなって検討しているところだ」
嘘である。たった今思いついたことだったが、七海は信じてくれたようだ。
明日からちゃんと野外ライブの準備もしよう、と頭の中にメモをした。
孤児院に帰ると、女子4人を先に寝かせ、俺は青山の手伝いをすることにした。竈に薪をくべつつ、余裕のあるときは容器をシェイクしてバターを作っていく。
「バターで思い出したけど、揚げ物料理を作ってレストランに売り込むっていう作戦はどうなったんだ?」
俺はふと思い出してそう訊いた。
「市場や問屋で確認したところ、この世界には植物油がないことが判明したんだ。どうやら油分の多い植物が無くて、この世界で油と言えばラードのような動物油らしい。動物油で天ぷらを作っても美味しくないし、天ぷらは諦めた。醤油なしの唐揚げとか、卵なしのカツとかフライドポテトみたいなのなら、かろうじて作れるかなって感じだ」
「そうか。まあ、今は忙しいし、もうちょっと時間に余裕ができたら考えようか」
「そうだな」
最初は楽しかったバター作りも、1時間を越える頃には苦行になってきた。
て、手首が痛い……。指に力が入らない……。
「青山、生乳を200リットルも発注したって言ってたよな?」
「ああ」
「このままだと、子ども達を総動員しても全員バター作りで
「手じゃないなら、なにで?」
「例えば、水車とか」
「……烏丸は、この世界に来てから水車を見かけたか?」
「見てない……。今から水車を作るのは現実的じゃないな。――よし、手が駄目なら足でやろう」
俺はそう言い、薪割り場に行った。アルコールランプの灯りを頼りに、乾燥させている途中の大きめの木を斧で割った。
その木の裏側の中心に窪みをつける。竈がある場所に戻り、丸い大きな石を設置すると、その石の上に窪みの部分を載せた。
「これは、シーソーか?」
「そうだ。シーソーの端に容器を括り付け、反対側を足で踏めば、手を使わずに容器をシェイクできるという作戦だ」
俺は自信満々にそう言った。しかし、試してみるとシーソーの端に容器を固定するのが非常に難しいことが判明した。容器と紐を固定するための溝を作っている途中で、ゼリーとグミを作っていた青山にストップをかけられた。
「烏丸、もういい。お前はそろそろ寝ろ。後は明日、もっと明るいときに手先の器用な子に改良してもらうことにする」
「悪いな……」
「いや、アイデアを提供してくれただけで充分だ」
「青山も早めに寝ろよ」
「分かってる」
俺は青山を残し、昨日と同じ部屋の2段ベッドの上に転がった。
そして泥のように眠り、朝になって目が覚めたときには、青山も同室の男の子2人もいなかった。
青山の奴、俺より遅く寝たくせに、俺より早く起きてるのかよ。ワーカホリックすぎるだろ、と心配になった。
厨房に行き、青山に作ってもらった豚骨味のスープパスタを食べる。青山と子ども達と職員達が頑張ったのか、バターはすでに全部完成して、アイス商会の人に納入した後だった。
「青山、少しは休めよ。このままだと予選が終わる前に過労死するぞ」
「大丈夫。こう見えても、適度に手を抜いて休んでるから」
青山はそう言って笑ったが、目の下に隈ができていた。
朝食が終わると、子ども達に声をかけられた。
「クロウお兄ちゃん! 頼まれてた判子と駒、全部できたよ!」
1番年長の子が嬉しそうに報告した。
「おお、もう完成したのか! 早いな! ありがとう!」
活版印刷のサンプルに使う判子と、リバーシと将棋とチェスの駒の出来映えを確認する。商品としては微妙なクオリティだが、商人に見せるサンプルとしてなら使えるだろう。小さい子達に作ってもらっていたトランプも数組できていた。
俺はそれらとゼリーとグミを2台のリヤカーに載せて、孤児院を出た。
その途端、見知らぬ数人の男達に囲まれた。
制服を着ている男はいないから、憲兵ではなさそうだ。年齢が15歳前後に見える奴もいないから、デスゲームの敵チームでもなさそうだ。しかし、成長が早い種族の可能性もあるし、敵チームに雇われた現地人の可能性もあるので、油断はできない。
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