第19話 誤算
剣崎のおじさんが難病にかかっていることが分かったというニュースは、二人がビル清掃のアルバイトをしている最中に孝也にかかってきた電話で知らされた。
電話を切った孝也は耕介にそう伝えると、まるで鉛の塊でも飲み込んだかのようにその場に座り込んだ。
いつか来るとは分かっていたニュースだったが、実際に告げられると凹んでしまう気持ちは耕介も同じだった。
耕介は頭の中で考えていた。
耕介の記憶と微妙にズレてきていると。
記憶では、耕介はおじさんが亡くなるまで病気を患っていたことを知らされていなかった。
もしかすると耕介が本当の記憶の持ち主である孝也に未来を教えたことで、事実が少し狂ってしまったのだろうか。
そう考えたところで、恐ろしい考えが浮かんできた。
おじさんの病気発症と、亡くなるタイミングが早まるなんて事は・・・?
もしそうだとすると呑気に株の勉強をやっている場合ではなく、すぐに行動を開始するべきなのでは?!
耕介はそんな恐怖を覚えながら孝也を見た。
孝也も何かを感じたのか、耕介の方をじっと見ていた。
耕介が孝也に何か声をかけようと一歩踏み出したところで、耕介の携帯からメールの着信音が鳴った。
耕介が反射的に携帯をポケットから取り出して着信をチェックすると、毎晩同じ時間に配信される『本日の値上がり銘柄』というサイトからの情報メールだった。
いつもなら休憩中にチェックしようと携帯をポケットしまうところだが、今回はメールのタイトルに書かれた会社名を見て心臓が激しく鼓動を刻み始めた。
その会社名は、まさしく耕介が探していたものだったからだ。
耕介は持っていたバケツをその場に置き、すぐに携帯でその会社の株の値動きを調べ始めた。
会社名は『ソフトストップ』。
中古のゲームやDVDなどを販売している会社だった。
ひと月前まで一株120円から130円あたりを行ったり来たりしていた株価は、今週になってから155円→179円→212円→251円と毎日終値を上げ、本日の終値は299円と急激な上昇カーブを見せていた。
耕介は慌ててポケットから2つ折りにしていたノートを取り出すと、床にノートを広げて計算を始めた。
耕介のただならぬ様子を見て、孝也も駆け寄って来てノートをのぞき込んだ。
「どうしたんですか?」と孝也が言うと、「最後の大勝負の銘柄が見つかったんだ!」と耕介は孝也の顔も見ず、ノートに携帯の株価を書き写しながら答えた。
孝也は何をすれば良いのか分からず、耕介が一心不乱にノートに何かの計算をしている様子をただじっと見守った。
やがて耕介は顔を上げて、孝也を見て一息ついた。
「僕たちが最終勝負をかけるのは『ソフトストップ』っていう会社だ。この会社の株価は、既に2.3倍くらいになっている。僕の記憶ではこの株は最終的に30倍まで上がる。」と耕介が言うと、孝也は「やったじゃないですか!もう目標達成も同然ですね!」と、さっきまで飲み込んでいた鉛を吐き出したかのように元気に言った。
しかし、耕介は冷静にこう続けた。
「僕たちの現在の所持金は1千3百万円だから、2億円以上にするには最低15倍にしなければならないんだけど、ソフトストップの株価は既に300円付近まで上昇しているから、たとえ今すぐ全額投資しても2億円には届かない計算になる・・・。」
「え・・・、それじゃあ、おじさんは助けられないって事ですか?」と孝也は言った。
「多分このまま作戦を続行したら、成功しても4・5千万円くらい足りない計算になる。・・・だから『信用取引』でレバレッジをかけて勝負しようと思うんだけど、どうだろう?」と耕介は孝也に聞いた。
「それって前に言ってた、所持金が全部吹っ飛ぶ可能性もあるやつですよね?」と孝也は心配そうに訊いた。
「そうなるね・・・。でも、剣崎のおじさんが助からないんじゃ、お金なんか残っても意味ないよな?」と耕介は孝也に言った。
孝也は「一条さん・・・、ありがとうございます。オレ、一生かけても恩返ししますから!」と言った。
耕介は笑顔を孝也に返したが、心の中では(信用取引ってすぐに始められるのかな・・・)と新たな心配事を抱えていた。
☆☆☆
耕介は株の取引に専念するためにアルバイトを辞めたが、できるだけ貯金には手を付けたくなかったため、孝也がアルバイトを続けて耕介のアパート代を捻出することにした。
こうなってはもう、なりふり構っていられない。総力戦である。
残念な事に耕介の嫌な予感は的中して、信用取引の口座開設には1週間程度の時間がかかり、その一週間のあいだにソフトストップの株価は500円付近まで上昇してしまった。
口座開設が完了すると、耕介は腹をくくって5万株を購入した。
これで株価が上昇した時の利益は2倍となるが、同時に株価が下落した時の損失も2倍となる。
その日から耕介は、パソコンの前に張り付いて株価を眺め続けた。
15時には株式市場が終了するため、夕方になると着替えてジョギングに行き、シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながら孝也に電話してその日の値動きや、剣崎のおじさんの状態などを報告し合った。
ソフトストップの株価は、耕介が株を購入する前の急上昇が嘘のように、500円近辺で停滞を続けていた。
耕介がパソコンの画面上で確認する損益状況はと言うと、ずっとマイナスを意味する赤色で、毎日-75万円付近をうろうろしている状態だった。
耕介の勉強した限りでは、株価は一方的に上がり続けることはなく、ある程度上がると『調整』と呼ばれる停滞や下落をはさんで、その後また上昇するとの事だったので、今は調整期に入ったのだろうと楽観視していた。
剣崎のおじさんの様子はと言うと、孝也が祖父母に聞いた話では元気がなく、毎週のように通っていたあの居酒屋にも行かなくなったとの事だった。
孝也は今度の週末におじさんを尋ねてみると電話で言っていた。
☆☆☆
耕介の予想に反して、翌週からソフトストップの株価が大きく下がり始めた。
月曜日に498円だった株価は週末には360円まで急落し、耕介が「何か手を打った方が良いのかな?・・・いや待てよ、そのうちまた下落も止まって上がり始めるよな・・・?」などと考えているうちに金曜日の後場は終わり、気が付くと評価損益は‐700万円を超えていた。
2週間足らずで、今まで一生懸命貯めたお金の半分以上を失ったことになる。
耕介はその結果にしばらく呆然とし、少しして冷静になってから現在の状況について調べた。
携帯で毎日株価をチェックしていた孝也が、その日の夜に慌てて耕介の部屋を尋ねたきて言った。
「すごく下がってますが、大丈夫ですか?」
「いや、このままだと流石にマズい・・・。急上昇してたから慌てて購入したけど、エントリーポイントはもっと慎重に検討するべきだった。申し訳ない。」と耕介は詫びた。
「でもどうせ上がるんだから、じっと待ってればいいんじゃないですか?」と孝也は心配そうに言った。
「僕もそう思ってたんだけど、さっき調べてみたら証拠金が20%を切った場合は、追加で保証金を入れないと『強制ロスカット』っていうのが発生するみたいなんだ。強制ロスカットになったら、事実上お金はほぼ全部なくなる・・・。」
「そんな・・・。何か手はないんですか?!」と言ったあと、孝也は「あっ!」と言って立ち上がり、玄関の方に走り出した。
「えっ、何?!どうした?!」と耕介が言った時には、既に孝也の姿はなかった。
孝也が出て行ったあと、耕介は強制ロスカットまでの猶予を検討した。
耕介の計算では株価が292円まで下がると、強制ロスカットとなり退場を余儀なくされる。
あと68円下がるとゲームオーバー、作戦失敗ということだ。
耕介は「既に今週の市場は閉じた。今は慌ててもしょうがない。土日で冷静に作戦を練ろう。」と呟くと、重い腰を上げてコーヒーを淹れた。
コーヒーを飲みながら耕介は考えていた。
今週1週間で株価は138円下がった。
同じ勢いで下がるならば、早ければ来週の水曜日あたりに更に68円下がって株価は292円になってしまう可能性もある・・・。
手元に残っている生活費の約10万円を突っ込んだところで焼け石に水だろう。
一体どこまで下がれば止まるのだろう。
そこまで耐えるための手段は・・・。
耕介は頭の中で、暗い迷路を彷徨っているような気分になった。
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