第16話 やるせなさの矛先
徳永がIT室に連絡して、T研(徳永の研究グループ)からI研(耕介の研究グループ)のサーバーに未確認アクセスがあった日付と時間を調べてもらうと、ある事実が分かった。
それは深夜かグループの飲み会などの日に限られていて、研究室に人があまりいない時間帯であった。
更にその時間帯に研究室に残っていた研究員を絞り込むと、徳永が尾行していた研究員が含まれていた。
徳永は、不正アクセスに個人用PCを使用するとは思えなかったため、研究室の中で全ての研究員が共同で使用できる2台のPCに向けて隠しカメラを設置すると、その週末にグループの飲み会をセッティングした。
飲み会には徳永がマークしていた研究員も参加したため、徳永は「もしかしたら、勘違いかも知れない」とほっとしていたのだが、皆が二次会の話をしている頃には、その研究員の姿は見えなくなっていた。
☆☆☆
次の日、徳永が隠しカメラのデータを確認すると、フォルダーには4つの動画ファイルが保管されていた。
隠しカメラは動体感知型のため、ファイルが存在するということは何者かがそこに存在していたことを示していた。
IT室に確認すると、その日の晩に未確認アクセスがあったと確認が取れた。
徳永は自分の予想が外れている事を祈りながらファイルを開いて動画を再生したが、映し出された映像には、薄暗い部屋の中、見覚えのある後ろ姿がPCの前で作業をしている様子が映し出された。
背中側に設置したカメラの映像には、PCの画面もしっかりと映っており、I研のサーバーに侵入してデータを不正ダウンロードする様子もしっかり映っていた。
別のアングルからの映像には、PC画面の明かりに照らされた研究員の顔がはっきりと映っていた。
徳永は、「何でだ・・・。何が目的なんだ・・・。」と映像に向かって呟いた。
その声は、誰もいなくなった夜の研究室の壁に、静かに吸い込まれていった。
☆☆☆
男はI研の研究テーマについて、同期の高山から聞いて知っていた。
研究内容に関しては、同じ会社の中でも決められた報告会以外の場では、別のグループと情報交換することは禁止されていたが、同期でたまに開催される飲み会などでは、皆口元が緩むことも少なくなかった。
ある日男が高山と二人で飲みに行ったとき、互いの研究室のリーダーの凄さを主張し合うような感じになり、高山がリーダー自慢の中でこう漏らしていた。
「例えばさ、携帯のカメラ機能の中にシャッターを押したら、写真と一緒にその直前の動画が保存されるのがあるだろ?シャッターを押した後の動画じゃなくて、押す前の動画ってところがポイントなわけよ。一条さんが目を付けたのがそこなんだよなぁ。まったく、スゴイしか言葉が出てこないよ。」と高山がトロンとした目で言った。
「へぇ、それでどんな応用を研究してるんだ?」と男が聞くと、「応用じゃなくて、そこからインスパイアした一条さんのアイデアでプログラムを作ったんだよ。まったく、スゴイよ。」と高山が答えた。
「だからどんなプログラムなんだよ?」と、男が完全に酔っぱらった高山を笑いながら聞いた。
「侵入させたプログラムで、スイッチをオンさせるんだよ・・・。いや、ちょっと言い方が違うな・・・。オンしてたことにするんだな・・・。」と言ったところで、高山は完全に目を閉じていびきをかきはじめた。
男は「仕方ないやつだな」と言いながら、店員に水を注文してタクシーを呼んだ。
男はタクシーを待つ間、高山の話を思い出しながら「面白い研究だな・・・」と呟いたが、その時はその程度の感覚だった。
男が計画を思いついたのは、研究室のリーダーにヨミザキセンタン大学の岩波教授について調べるよう指示されたのがきっかけだった。
リーダーからは、教授の足跡と人柄や趣味について調査を指示されていたが、男が興味を持ったのは、脳波を直接人に送信するという教授の研究そのものだった。
「もしかすると、こないだ高山に聞いた研究と組み合わせれば『アレ』を実現できるのでは・・・?」と考え始めたのだった。
男の所属する研究グループはその後、岩波教授への共同研究を持ち掛けるが、何度説得を試みても結局教授の首を縦に振らせることはできなかった。
諦めきれなった男が目を付けたのは、水口という准教授だった。
何度も教授の研究室に足を運ぶ中で、水口が自身の意見を持たずに人の意見に流されるタイプであることと、やり方が少々強引な岩波教授と、上手く信頼関係を築けていないことを見抜いていた。
男が水口について調査をすると、水口がかなりのギャンブル好きで、友人や知人から総額200万円程の借金があることが分かった。
水口との交渉は簡単に成立した。
金銭の受け渡しの記録はつけないし、研究内容はあくまでも個人で使うため、会社で研究内容を使用したり、世間に公表したりはしないと約束した。
男は水口と3度面会し、1度目と2度目で研究記録のコピーを受け取り、3度目で研究データを受け取った。金も3度に分けて渡した。
I研のサーバーに侵入して耕介のプログラムを探し始めたのは、2度目に水口と面会した頃からだった。
☆☆☆
男がグループの飲み会を途中で抜けてI研のサーバーに侵入した週の週末、男の携帯に差出人不明のメールが届いた。
『ヨミザキセンタン&I研データ』というタイトルでなければ読まなかったであろうそのメールには、『秘密は守ってやる。集めたデータを全て持って、ここに来い。』と書かれており、駅前のバーの予約表が添付されていた。
男はそのメールが誰から来たものかすぐに理解し、約束の時間に全てのデータを紙袋に入れて家を出た。
男がバーで名前を告げると、奥のボックス席に通された。
男を待っていたのは徳永で、神妙な顔で「まあ、座れ。」と言って、正面の席を指さした。
徳永が注文を取りに来た店員にウイスキーを2杯頼むと、男は話を切り出そうとしたが、徳永はそれを手で制して、ウイスキーが運ばれてくるのを黙って待った。
運ばれてきたウイスキーを一口飲むと、徳永は「データは持ってきたか?」と聞いた。
男が頷いて紙袋を差し出すと、徳永はそれを受け取ってこう言った。
「理由は聞かない。これは立派な犯罪で、何を言っても全ては言い訳にすぎないからだ。お前はまだ若い。この先がある。このデータは俺が墓まで持っていく。一条には、俺が間違えてサーバーにアクセスしたと伝えるから、お前は帰ってコピーしたデータを全て破棄しろ。」
ウイスキーを一口飲むと、徳永はゆっくりと続けた。
「来週、『一身上の都合』で退職願いを提出しろ。」
徳永は残りのウイスキーを一気に飲み干すと、男をじっと見つめた。
目にはうっすら涙が浮かんでいた。
男は徳永の直視に耐えられず、俯き、こぶしを握りしめて、徳永の言葉を反芻した。
やがて顔をあげると「・・・分かりました。今までお世話になりました。」と、言い訳はせず席を立った。
ひとりボックス席に残された徳永は、男が口をつけずに残していったウイスキーを飲みながら、いつかグループの飲み会の帰りに、タクシーの中で男が話した生い立ちを思い出していた。
☆☆☆
「I研の高山と仲がいいみたいだが、同郷なのか?」と、徳永は聞いた。
「いいえ、彼とは同期で、たまたま馬が合ったんです。彼は都内の出身ですが、私はヤマトク市って田舎の出身です。」と、男は恥ずかしそうに言った。
「ヤマトクかぁ。いいところじゃないか。俺も老後はあんなところで過ごしたいよ。ご両親はヤマトクに住んでるのか?」と徳永が聞くと、男は、両親は男が幼い頃に事故で亡くなり、祖父母と親戚のおじさんに育ててもらったと答えた。
徳永が無神経な質問をして悪かったと言うと。
「いえ、昔のことですから。ただ、その親戚のおじさんが数年前に亡くなったんですが、投薬すれば治っていたかも知れないというのが、今でも悔しくて。」と答えた。
詳しく聞くと、男のおじさんは筋肉が萎縮していく病気で、治る可能性があるにはあったが、薬の値段が2億円もしたため、おじさん本人が頑なに投薬を拒否して、とうとう亡くなってしまったとのことだった。
話しているうちに当時のことを思い出したのか、男の声は少し震え、膝の上に置かれたこぶしは固く握られていた。
☆☆☆
徳永はその話を思い出して、「あいつ、まさか2つの研究で・・・?」と呟いた。
徳永は、男が置いていった紙袋を見つめながら考えた。
もし男がこれらの研究を自分のものとして、地位や名誉を獲得しようとするのなら、徳永自身の進退をかけて悪事を公表する覚悟だったが、男の目的はもっと違う方向に向かっているのかも知れない・・・。
徳永は男が座っていたイスに向かって、「道を踏み外すなよ。お前はまだ若いんだ、剣崎。」と言った。
剣崎孝也は、帰り道をトボトボと歩きながら、徳永に言われたことを何度も思い返していた。
目には悔し涙が浮かび、歩いている道路は滲んで見えた。
いつかはバレるかも知れないと思っていた。
それも仕方ないとも思っていた。
でも、社内での自分の株を上げるつもりでやったのではないと、徳永には伝えたかった。
徳永にバレるのが一年後だったら、自分が不正利用していないことを証明できたかも知れない。
なぜこんなに早く発覚したのか。
孝也の頭の中では、『一条には、俺が間違えてサーバーにアクセスしたと伝えておく。』という徳永の言葉がグルグルとめぐっていた。
一条がデータアクセスに気付いたのか?!
一条が徳永に調べてくれと言ったのか?!
一条さえ大人しくしていれば・・・。
やるせなさの矛先は、消去法で耕介に向けられていった。
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