第13話 さらば、グーズ!
先週買ってきた『会社四季報』には隅から隅まで目を通したが、耕介が探している会社名は載っていなかった。
実のところ、耕介は自分の探している会社名をはっきりと覚えてはいなかったが、会社名を見れば「これだ!」と見つけられる自信はあった。
まるで電話帳のような、その分厚い本を書店で見つけた時には、名前はもちろん、何をやっている会社かくらいは簡単に分かると思っていた。
しかし、次から次へと出てくる会社名の中に、耕介が探していた会社は現れなかった。
耕介はもう一度会社四季報を手にしてみたが、ページを開く気になれず、その分厚い本を枕にして床に寝転んだ。
ぼんやりと天井を眺めていると、駐車場の方からナツの声が聞こえた。
おそらく黒い犬と遊んでいるのだろう。
耕介は卓袱台の上に転がっていたボイスレコーダーを手に取り、カラオケボックスで録音した自分の歌を聞いてみた。
鈴木やナツの歌声を聞いた後では、心に響かない自分の歌声に苦笑するしかなかった。
何曲目かに、椎木マキの曲が流れた。
夏から秋になりかけの季節で、時折涼しい風が吹く海辺を、ゆっくりと歩く様子が歌詞の中で描写されていた。
耕介は耳からイヤホンを外して起き上がると、卓袱台の上のキャンパスノートを取って、今の曲にビーチで黒い犬とフリスビーで遊ぶナツの姿を思い浮かべながら歌詞を書いた。
☆☆☆
グーズでの鈴木のライブは盛況だったが、鈴木を聴きに来ている客の中に業界関係者らしき人間は見当たらなかった。
耕介は鈴木本人とジョージに、レコード会社などから誘いの連絡などないか、と冗談めかして聞いてみたが、「そんなに簡単だったら苦労しないよ」と笑われた。
鈴木も自分からレコード会社に売り込んだりはしていない様子だった。
実は耕介は、既にこの作戦を諦めつつあった。
そもそも、オリジナルを作った人の利益を奪うことに対して、どこか気分的に乗れない部分が当初からあったのも事実だった。
耕介は最初にカラオケボックスに一人で出かけたあと、一度この作戦に×印を付けたのを思い出した。
なのに次の日にはすっかりその事を忘れて、声の主を探してライブハウスをはしごしていたことに、我ながら違和感を感じた。
「まるで、誰かに操られてるみたいだな・・・」と耕介はビールジョッキを握ったまま、カウンターの一点を見つめて考え込んでいた。
「なんか深刻な顔してるけど、大丈夫?」とナツに声を掛けられて我に返った。
「私にくれる曲のことなら、悩まなくていいよ。気長に待つからさ。」とナツが続けて言った。
耕介は既に曲と歌詞を決めていたので、「今度、下手糞なアカペラデモを渡すよ」と言った。
ナツは、まるで両親と誕生日にもらうプレゼントを約束した子供のように、嬉しそうに笑った。
☆☆☆
次の日の朝、耕介は卓袱台の上のキャンパスノートに向かって腕組みをしていた。
キャンパスノートの横には、マルーン2作戦で稼いだ金の入った箱と、レアウォッチ作戦のために集めた腕時計が、17個積み上げられていた。
耕介は軽い溜息をついたあと、キャンパスノートに『プロデュース作戦』と書かれ、歌手や曲名が箇条書きされたページに、大きく×印を書いた。
ボイスレコーダーを購入したり、カラオケボックスやライブハウスを回って、プロデュース作戦に費やした経費は、全部で19万4千円だった。
それを差し引いた現在の所持金合計は132万7千円で、当初の計画より少し少ない状態だった。
レアウォッチ作戦の現金化のタイミングが不透明な状態のため、これ以上所持金を減らす訳にはいかないので、耕介は再びビル清掃のアルバイトを始めた。
夜中働いて、昼に起きてジョギングをし、インターネットと本屋を回って情報を集め、夕方に近所のスーパーで半額になった肉と野菜を買ってきて自炊。
ゆっくりと時間をかけて夕飯を食べたあと、ビル清掃のアルバイトに出かける。
アルバイトに向かう途中で、時計屋を数件回った。
全く不満も感じなかったし、孝也への送金も問題なく続けられた。
暫くすると、時計屋めぐりをしても、耕介が狙っていた時計達は店頭に並ばなくなった。
店員に聞くと、販売終了となっており、注文も受け付けられないとの事だったので、時計屋めぐりは終了とした。
レアウォッチは合計3種類の21個となった。
ナツが耕介の部屋のドアを叩いたのは、耕介が夕飯の準備をしている時だった。
耕介がドアを開けると、いつもの黒いTシャツを着たナツがいて、「久しぶり。最近グーズに来ないね。」と言った。
「うん。夜にビル清掃のアルバイトを始めちゃったから。」と耕介は正直に答えたあと、自分はフリーで建築関連の仕事をしているとナツに嘘をついていた事を思い出してハッとしたが、ナツは覚えていないのか、全く気にする様子もなく、「そっかー。今度の土曜日に、もらった曲歌うんだけど来れないかな?」と言った。
数日前に、耕介はまた昼間に一人でカラオケボックスに行き、ナツに渡す曲をアカペラで録音し、その日の夜にグーズでナツにそれを渡していた。
既にプロデュース作戦を諦めた耕介は、ナツに歌を聞かせて欲しいとは言わなかったが、ナツは律儀に最初の(もしかすると1回限りかも知れない)演奏の日を伝えに来てくれたわけだ。
「ありがとう。土曜日の夜はバイトもないから、聴かせてもらいに行くよ。」と耕介が言うと、ナツは頷いて帰って行った。
ナツは前触れもなく突然やってきて、要件が済むと速やかに返って行く。
耕介は、回転寿し店の味噌汁を運んでくる新幹線の形をした運送箱が、レールの上を超特急でやって来て、客が味噌汁を取り出すと、また超特急で帰って行く光景を連想して、笑いが込み上げてきた。
土曜日の夜に久しぶりにグーズに行くと、ジョージが「久しぶりだね。元気かい?」と言って、ビールを一杯耕介の前に置いた。
「おかげさまで元気だけが取り柄です。このビールはまたナツさんから?」と耕介が聞くと、ジョージはそうだと言って、ステージを指さした。
ステージ上では、前と同じようにナツは端の方でギターを弾いていた。
そして前と同じように何曲か演奏した後に、ボーカルと位置を入れ替わって、マイクの前にギターを抱えて座った。
何も話さず、準備が出来るとギターの演奏を始めた。
耕介のアカペラには当然演奏もないため、曲の出だしはナツの完全なオリジナルだった。
心にスッと入って来るような、とても良い出だしだった。
少し長めのその前奏を目を閉じて聴いていると、いつの間にか歌が始まっていて、いつの間にか最初のサビに差し掛かっていた。
とても自然で、海辺でいつもの黒いTシャツを着たナツが、黒い犬に向かってフリスビーを投げている光景が浮かんできた。
その光景の中では、遠くからナツと犬をビールジョッキ片手に眺めるジョージもいた。
思わず笑みがこぼれた。
歌詞とメロディーは耕介が渡したそれだったが、ナツが完成させた曲のイメージは、原曲とは全く違う印象に仕上がっていた。
耕介には、原曲よりはるかに良い曲に思えた。
その曲が終わると、またナツはステージの端に戻り、次の曲ではギターを演奏していた。
耕介は、曲のタイトルは何にしたのだろう?と思ったが、ナツがカウンターに戻ってくる前に席を立った。
勘定をする時、「もう帰るのかい?あと何曲かやったら、ナツも戻って来るよ?」とジョージに声を掛けられたが、「急にバイトが入っちゃったんです。」と耕介は嘘をついた。
そしてジョージに勘定の額に千円を足して渡すと、「これでナツさんに、ビールを一杯おごってください。すごくいい曲に仕上がってて、感動したって伝えてください。」と頼んで店を出た。
店の外からグーズのドアを眺めながら、「鈴木、ナツ、そしてジョージ、みんないい人だったなぁ。ありがとう。」と呟いた。
耕介は自転車に跨ると、満天の星の下を、さっき聴いたナツの曲を思い出しながら、口笛で伴奏を吹いてアパートまでの道のりをゆっくりと帰った。
身体の奥の方から込み上げてくる、何とも言えない充足感と、顔に張り付いたままの笑みは、暫く消えることはなかった。
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