第11話 ナツの歌
駅からの帰り道で、耕介はこれからの道筋をぼんやり考えていた。
曲の仕上がりに問題ないことは確認していたが、ブロデュースの方法が分からなかった。
もとの時代であればネットを利用するのが常套手段だが、この時代では、まだそこまでのインパクトにはならないだろう。
かと言って、本家が所属する音楽事務所にデモを送るのも気が引けた。
耕介が自転車を押しながらアパートまでの道を歩いていると、高木川にかかる小さな橋の欄干に、ナツが寄りかかって立っていた。
耕介が驚いてどうしたのかと尋ねると、当たり前のように耕介の質問には答えず、「私にも曲をくれないかな?」と言った。
耕介は困った顔で、ナツの顔を眺めていた。
耕介には、『タダ』で曲を与えることが出来ない理由があった。
耕介の曲は、数年うちに本来の作者によって作曲され、本来の歌い手によって歌われる運命にあるため、本家が作曲する前に世に出してしまわなければならなかった。
耕介には、ナツがただの興味本位で、曲が欲しいと言っているようにしか思えなかったため、どう答えて良いのか酔った頭で思考を巡らせていた。
ナツは何も言わずに、耕介の次の言葉をじっと待っていた。
耐え切れなくなった耕介は、正直に「今日は酔っぱらい過ぎててきちんと考えられないから、今度返事をする」と言うと、ふらつきながら自転車に跨って、アパートとは反対の方向に走り出した。
耕介は、どうしたものかと考えながら月を眺めた。
☆☆☆
曲のおかげか、鈴木のライブに集まる客は増えていた。
耕介は、ラジオ局や音楽事務所に鈴木のデモを送ってみたが、いつまで待ってもラジオから流れてくることはなかったし、音楽事務所から連絡が来ることもなかった。
時代がまだこの曲をヒットさせる環境にないのか。歌詞を変えたために受け入れられないのか。バンドではないから迫力が足りないのか。
何にせよ、将来ヒットすると分かっている歌であっても、誰が歌って、誰がプロデュースしても売れるという簡単なものではないことが分かった。
もしこのまま鈴木の曲がヒットしなかったら、やがて本家がこの歌をリリースした時に、全く同じ曲を先に作った耕介の立場はどうなるのだろうと少し考えたりもしたが、この頃になると、耕介は自分の置かれた状況に比べれば、大抵の事は大した問題ではないと考えられるようにもなっていたので、頑張ってダメだったら、忘れてしまうことにした。
一週間が過ぎて、耕介がいつものようにジョギングから戻ってくると、駐車場でナツが待っていた。
犬はアパートの柱に紐でつながれていた。
「今晩、グーズで歌うけど聞きにくる?」
耕介が行くと答えると、ナツは軽くうなずき、犬の紐をほどいてさっさと自分の部屋に戻って行ってしまった。
彼女なりに緊張しているのか、気合が入っているのか、何か特別な感情がそこにあるように感じられた。
耕介がグーズのドアを開いたのは、夜の7時頃だった。
カウンターの空いてる席に座ると、ジョージが耕介の前にビールを運んできてくれた。
ナツから『自分が呼んだから、工藤が来たら一杯おごるように』と頼まれたのだそうだ。
礼儀はなっていないが、こういう所は律儀だった。
ナツはいつ歌うのかと聞くと、ジョージは「もうすぐ」と言ってステージを指差した。
見ると、既にナツはステージにいて、座ってギターを弾いていた。
バンドはナツの他に、ボーカルとビアノとドラムの合計4人で、4人の派手な見た目とは似合わない、スローテンポな曲を演奏していた。
何曲か演奏したあと、ナツとボーカルが場所を入れ替わった。
ナツは座っていたイスとギターを抱えてマイクの前にやってくると、客席を眺める事もなく、イスに座って演奏をはじめた。
耕介に向けてだろう、椎木マキの曲だった。
悪くなかった。
というよりも、生演奏と言う事もあるのか、耕介には本物より心に響いてくるように感じられた。
だが、耕介が求めていた声ではなかった。
ナツは演奏を終えてステージを降りると、直ぐにカウンターに入って、いつもと同じように仕事を始めた。
「ここでは良く歌ったり演奏したりしてたの?」と耕介は聞いた。
「ここで働く前はね。今日は1年ぶり。で、私に曲をくれる気になった?」
ナツの会話に、釣り球や変化球はない。
いつも聞きたい事は直球勝負だ。
耕介は、2つの選択肢を用意していた。
ナツが『声』の持ち主なら、大きな舞台を目指して本気でやる事を条件に、曲を提供する。
または、残酷だが「曲はあげられない」と正直に伝えるかだった。
ナツは瞬きもせずに耕介をじっと見ている。
まるで、ナツの後ろには『ちょっと考えさせて、は禁止!』という標識が立てられているかのようだった。
その時の耕介には、不思議と迷いはなかった。
予め用意した選択肢にはなかったが、曲を渡すと伝えた。
ナツは小さく頷くと、何も言わずに耕介の前から一度離れ、ビールを2杯持って戻ってきて、耕介の前に1杯を置いた。
「これは曲の代金ね。私お金ないから、これ以上は払えないからね。」と言って、自分の持っているビールを、耕介の前に置かれたままのビールに近づけて乾杯を促した。
耕介はジョッキを持ち上げると乾杯した。
耕介は「この子にはかなわない」と改めて思った。
ビールは良く冷えていて美味しかった。
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