第9話 これが私にできること
重いまぶたをなんとか開く。相変わらず明かりのない場所にいるようだ。けれどさっきいたような場所と違い、完全な暗闇ではない。ここは現実の空間だろうか。
体を起こし、周りを見る。自分のリュックと壁と黒板、まばらな椅子と机がここにはある。教室みたいな場所だ。もしかして、ここは旧校舎なんじゃないか。そうである確証が欲しい。
ゆっくりと立ち上がり、部屋の外に出ようとした。
「待ってよ」
聞き慣れた声。レナの声だ。今となっては恐ろしい人以外の何者でもない。
身体強化魔術を行使して、声がした黒板の方を見た。
教卓の上にレナが座っている。魔術のおかげで顔もちゃんと見える。間違いなくレナだ。
「ここはどこ?」
「今日行こうとしたところ、そうでしょう?」
ということはここは旧校舎で間違いない。けれどなぜ旧校舎に行くことを知っているんだろう。彼女は最初から知っていたのか。それとも第三者が存在するのか。今の時点では何も判断できない。
「えりかは何も分かってないの。私がどれだけあなたのことを見ているか。えりかにとって、私だけが大事で唯一無二な存在ってことを、体で教えてあげる」
なにをするつもりか分からない。けれど危険な状況なのは分かる。リュックからナイフを二つ取り出して構えた。
「それでいいの。自分の特技の戦闘が、全く通用しないその瞬間を見たいの。敗北しかないことを理解し、絶望する瞬間、私に命乞いをする。そして私が唯一無二だと分かるんだよ!」
「喋りすぎ」
レナのさっきの言葉で、敵意は十分に分かった。ならば戦う。それが私ができる唯一のことだから。
「出ておいで!」
彼女の号令とともに、教室の扉が開かれた。六人の人間がぞろぞろと入ってきた。それは人間に似ているだけで、容姿は異形そのものだ。
髪はボサボサで、目は虚ろ、頬は痩せこけ、口からはよだれが垂れている。首の血管は浮き出て、腕はだらりと垂れ下がり、一歩一歩に力を感じない。服装はここの制服で、男女どちらのものもある。
まさか行方不明者だろうか。でも被害者の人数は、かほを含めて七人。六人の中に、かほを思わせるような要素を持つ人は確認できない。
「かほのことなら心配しなくていいよ。この中にはいないから」
私の心中を見透かしたことをレナは言った。
「それってまだ生きてるってこと?」
「さあね」
ジェスチャーを交えて答える彼女に対して、初めて怒りの感情を覚えた。そもそも怒りを覚えたのは初めてかもしれない。これほどまでに、目前の人間に対して殺意を抱いた経験が無い。
「ちなみにこの人達の魂は別のものに置き換えられてるよ。だからこれらはただの人形。いわばゾンビだから、手加減しなくていいよ」
レナがケラケラと笑っている。自分が数で優越しているからこその余裕だろうか。七対一なのだから、私が不利なのは違いない。
けれど私の特技は戦うこと。数の不利を打ち砕かなければ、かほを助けることはできない。力を込めて足を前に踏み出した。六人は私を見て身構えている。レナは相変わらず教卓に座り、ニヤニヤしている。
まずは異形のうち、一人の脇腹を切り裂いた。地の底から湧き上がるような低い声で、唸り声を上げてよろめいている。しかし手応えが全くない。中身が空洞のような感じがした。
思考を遮るように、他の異形が人間離れした速さで私に迫る。あっという間に体一つ分の距離に詰められた。無駄の無い動きで右手が私の首元に迫る。
それでも私の方が早い。動きはもう見切った。迫る右腕を掴み、体を引き寄せて頸動脈を切り裂いた。血は少しも出ない。手応えはまたしても無い。掴んだ手を離し、遠くに突き飛ばして距離を取った。
なぜ攻撃が全く通用しないのか。どうしたら殺せるのか。それらを考える時間が欲しい。相手もそれを分かっているのか、すぐに距離を詰めてくる。六人の異形に一気に詰められてしまい、下手に攻勢に出られなくなってしまった。
パンチや蹴りを避けたり受け流したりしながら、反撃の糸口を見出そうとする。しかし異形の一撃は素早く、つけ入る隙を与えてくれない。部屋に入ってきた時の、力の無い動きは何だったのか。
攻撃をかわす時に、教卓に座りニヤつくレナが視界にチラチラと映る。鬱陶しい。もしかしたら、余裕綽々なレナを殺せば、異形達は動きを止めるんじゃないのか。この異形達に意思を感じない。レナの操り人形だとすれば、そこに活路がある。
異形が一撃を放つその瞬間に、私は体を加速させた。わずかな隙間をすり抜け、レナに迫る。心臓めがけてナイフを繰り出した。
レナがぽつりと呟き指を鳴らした。その次の瞬間、私は黒板の前にいた。すぐに後ろに振り向き、突き刺したはずのレナを見た。
「心臓を突き刺したはずなのに。そう思ってるのでしょ?」
無傷の彼女は教卓の上で笑っている。私は教卓をすり抜けたとでもいうのか。
「私は空間を切り離したり、ずらしたりできるんだよ。教卓のあるところだけ空間を一時的に別のところに移したの。遠いところにはできないけどね」
「手の内をわざわざ明かす悪役は総じて小物」
「勝利は確実だから教えてあげたの。私の魔術を知ったところで、えりかに何ができるの?」
余裕な彼女に返す言葉が無い。どうしたら状況を打ち破れるのか、全く思いつかない。思考が堂々巡りしている。
「待たせたね」
何の脈絡も無く、知っている声が聞こえた。声のする方を見ると、髪が少し乱れた榊原さんが立っている。
「やっと見つけたよ。なかなか待ち合わせ場所に来なかったから、まさかと思ってここを探し回ったら大当たり」
「あなたが例の先輩ね。榊原まや、名前は知ってるよ。お姉ちゃんに屈辱を与えた人だってね」
レナが怒りを顕にしている。ここに来て初めて表情を変えた瞬間だ。
「決闘のルールに従っただけ。そんなことより、あなたのお姉さんはどこ? ゆいもいるんでしょ?」
「わざわざ教えるわけないでしょ。忙しくしてるのに、邪魔されたらお姉ちゃんが怒るよ」
榊原さんはニヤリと笑った。
「やっぱりここにいるんだ。そしてゆいが主犯ね」
「くそっ!」
罠に嵌められたレナは激高し、異形を榊原さんに差し向けた。けれど彼女は表情を変えない。
「、出ておいで」
榊原さんがそう言うと、彼女の両脇に円陣とともに、彼女と瓜二つの球体関節人形が現れた。
「えりかさん、ここは引き受けるから、ゆいを探して!」
「でも戦力差が」
不死の異形六人とレナが相手では、一人と二体でも私よりマシという程度の戦いにしかならないんじゃないかと思った。
「先輩の実力を信じて! 学年主席はお飾りじゃないんだよ」
「わかりました」
榊原さんの自信のある表情を信じて、教室を飛び出した。まず今いるフロアが二階であることをすぐに確認した。現在地がわからないと、人を探す前に、自分が迷子になりかねない。
聴覚と視覚をより鋭くし、わずかな物音も、かすかな光源も見逃さないように集中力を高めた。一階を調べ、三階、四階と来たところで、わずかではあるが、火の明かりを視認した。
「見つけた」
火が見えた方へ全力で走る。一刻も早くかほのところに行きたい。その気持が私の体を前へと突き動かす。
教室の扉を開け、そこに足を踏み入れた。かがり火が一つあり、それが部屋を照らす唯一の光源のようだ。かがり火の周りには、漆器に入った水、薪と金塊と土の山が二つずつ、合計六つのそれらが円形に並んでいる。その中心には眠っているかのような顔で、かほが横たわっている。しかし体はボロボロだ。
「かほ!」
「いらっしゃい」
声がした方にナイフを向けた。黒髪をかきあげている中川さんが立っており、その手には拳銃が握られている。
「かほはまだ無事だから安心してね。肉体と魂の分離は準備に時間がかかるから、まだ何もできてないんだよ。残念なことだよね」
優しい声音で語りかけてくる。けれど炎に照らされた彼女の顔には、狂気を感じる。
「この魂の並びは壮観でしょう?」
金塊やら水やら並んだそれを自慢げに語る。
「魂ってどういうこと?」
「誘拐した人の肉体と魂を分離させて、魂をこの世の構成要素に還元したの。男女四人ずつ集めて、それをさらに男女二人ずつの要素の塊にまとめる。男女、陰と陽をどんどん集積させた先に、世界の根源である太極を見る。余った肉体はゾンビにしておいたわ。兵器としてスポンサーに売り込みもできるしね」
「そして私とかほで男女それぞれ四人揃う。邪魔する者はゾンビで始末する」
「理解が早くて助かるよ」
姉妹揃って色々と喋る人だ。勝利は確実と信じ、自らの能力に自惚れている。
「何でこんなことしたんですか」
「まやに決闘で負けて今まで私が主席だったのに、あの人は何もかも私から奪った。そんなの許せない。だったら魔術師としての最高の成果を出して、どっちが優れているのか見せつけるしかないじゃない」
「ただのエゴですか」
「それがどうしたっていうの?」
これほどまでに自分のことだけしか考えず、他人を平気で犠牲にする人だとは思わなかった。
「人間のクズが」
一気に距離を詰めて、首を切り裂こうとする。しかし彼女は最小限の動きで私の一撃を回避した。
「じゃあちょっと踊ってもらおっか」
中川さんは拳銃のトリガーを何度か引いた。視力も強化されているから、銃弾の軌道は完全に見切っている。体をひねり銃弾を軽くかわした。
しかし彼女はどんどん弾を撃ち込んでくる。残弾のことは考えていないのか。距離を取り、銃弾を撃ち尽くすのを待つことにした。
「どうしたの? 後ろに下がったらナイフで攻撃できないよ?」
足元を正確に撃ち、私を飛び跳ねさせた。
「いいダンズね。もっと踊ってよ!」
彼女は足を集中的に狙い、私を飛ばせようとする。もう銃弾は十五発以上撃っている。これ以上は弾倉に無いはず。にも関わらず、残弾の概念など存在しないかのように撃ちまくってくる。
まさか本当にそんな概念が存在しないかもしれない。銃弾が尽きることのない魔術的な拳銃というのが、彼女の武器ということか。
「逃げてばっかりで大変だね」
中川さんはかなり悪い性格をしている。楚々として穏やかで優しそうな外面は、仮面にすぎない。その認識がより強化された。
「いくら弾が尽きないと言っても、拳銃じゃ弾幕が薄すぎて話にならない」
「舐めた口を聞いてくれるわね!」
トリガーを引くその瞬間に、左手のナイフを彼女の心臓めがけて投げつけた。
「チッ」
投げつけたナイフは黒板に刺さったが、避けたために狙いが逸れた。銃弾は私の体の横を掠め、一気に彼女との距離を詰めた。
「甘い!」
彼女は黒板にあったチョークを取った。それは一瞬のうちにナイフへと姿を変えた。それを私に投げつけてくる。
とっさに中川さんの懐へ踏み込む足を止め、黒板に突き刺さったナイフを抜き、それでナイフと化したチョークを弾いた。ナイフとナイフが接触したその瞬間、チョークのナイフは粉になって飛び散り、私は思わず目を背けた。
彼女は撃ってくる。見えていないけれど、意図を理解した。散ったチョークの白煙を、銃弾が切り裂いて迫る。体を横に反らして銃弾を避けようとする。しかし少し避けきれず、銃弾は頬を掠めていった。
「うーん、惜しかったか」
中川さんは大げさに肩をすくめた。
打開策が見つからない。反撃も阻止され、体力を消耗し続けている私が不利になる一方だ。
「え、えりか……」
かほが目を覚ました。けれど彼女は弱っていそうだ。
「かほ、大丈夫!」
彼女に駆け寄ろうとしたが、銃撃に阻まれ、足を止められてしまった。
「近づいちゃだめだよ。後で一つになるんだから、それまで待ってね」
「ふざけたことを」
「待って」
再び距離を詰めようとしたが、かほが制止した。
「えりかの魔術は他人にも効果はあるの?」
「私の意思次第で」
私の言葉を聞くと、かほが剣を持った狐の使い魔を一体召喚した。
「今はこれだけしか出せないけど強化して」
頷いて一体の狐を強化した。
「頭数を増やしたところで!」
拳銃が火を吹いた。私と狐は散開して銃弾をかわした。そして距離を詰めていき、早い動きを見せた狐が剣撃を浴びせる。
「邪魔だ!」
彼女はバックステップで避け、反撃の銃弾を放ったが、狐はギリギリのところで避ける。
チャンスは今だ。狐に注意が向いたところで、私が彼女にナイフで切りつけた。
しかしギリギリのところで避けられてしまう。はらりと中川さんの前髪が数本落ちた。
「やってくれるじゃない!」
こちらへ踏み込みながら、反撃の隙を与えず拳銃を撃ちまくる。私も狐も近づけない。避けるのに精一杯だ。息も荒くなってくる。だんだんと体のコントロールができなくなってきているのを感じる。
「避けてばっかりじゃ戦いにならないでしょ!」
声を荒げて撃ってくる。
その時、彼女の手から、鮮血がぱっと花開くように吹き出た。拳銃は彼女の手を勢いよく離れ、遠くに身を投げだした。中川さんの手には鋭い矢が突き刺さっている。
「注意が疎かになってましたよ、先輩」
立ち上がってそう言い放ったかほの隣には弓を構えた犬が一匹いる。
「狐はおとりだったのか! 主人の手助けをするなんて、奴隷根性染み付いてるじゃない!」
激高し、かほを睨みつけた。
「あなたの魂はもういい! 今すぐ殺してやる!」
彼女はかほに歩みを進める。怒りで完全に冷静さを失っている。機会は今しかない。全ての力を振り絞って駆け出した。誰にも追随できない速さで、中川さんに距離を詰める。
「おしまい」
彼女の頸動脈を正確に切り裂いた。
「私が…負ける? どうして、もう負けるの、いや……」
一歩二歩よろよろと歩き、膝から崩れ落ちた。血は床に広がり、目から光は失われた。かがり火は消え、漆器は割れて水は溢れ、薪は金塊は砕け散り、土の山は崩壊している。
「ありがとう、かほ」
かほをギュッと抱きしめた。こんなことしたこと無いのに、自然と体が動いた。
「こっちこそ、助けに来てくれてありがと。命をかけて助けに来てくれるような友達に、ひどいこと言っちゃった。ごめん」
「やっと友達って認めてくれた。嬉しい」
「あ、いや……そう、だよ。友達だよ」
抱きしめていて顔は見えないのに、恥ずかしそうにしているかほの表情は想像できた。
「榊原さんのとこに行かなきゃ」
暗闇でほとんど見えていないかほの手を握り、二階へと向かった。教室に入ると、例の異形の姿はどこにもない。榊原さんとレナがいるだけだ。
「さすがに危なかったよ」
「間に合って良かったです」
「ゾンビ達がいなくなって二人がいるということは、ゆいに勝ったんだね」
私は頷いた。
こちらを見て、レナがブルブルと震えている。
「私が好きな人だけの世界を作りたいの。その邪魔をしないで!」
「黙って」
私はナイフをさっと投げつけた。それはとっさに指を鳴らそうとしたレナの右手に突き刺さった。
「ああっ!」
彼女はナイフを抜き、手を押さえているが、血は止まることを知らない。
「痛みで魔術使えない間に彼女を捕まえよう」
「はい」
生徒連続誘拐事件は終止符を打たれた。
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