変わるものよりキャラメルを

ペーンネームはまだ無い

第01話:変わるものよりキャラメルを

「ねえ、れんくんは私のどこが好きなの?」

「そうだな、例えばその手に持ってるキャラメルとか好きだよ」


 結月ゆづきはリビングのソファに寝ころんだまま、満足したのか嬉しそうに笑う。「そっかそっか、良かった」そう言ってキャラメルをひとつ、口へ放り込んだ。

 俺は内心ほっとする。今回は結月が満足する答えができたようだ。結月は時折、同じことを聞いてくる。蓮くんは私のどこが好きなの? その度に頭を悩ませることになった。

 答えを間違えて結月を怒らせてしまったことが過去に何度もある。

 一緒にいると安心できるところが好きだよ。そう答えると結月は、そんな曖昧な答えじゃ不安になる、と怒った。

 またある時は、冷たいように見えるけど実はすごく優しいところが好きだと答えた。その時は、性格なんていつ変わるか分からないと怒られた。

 外見や声が好きだと言えば、歳をとって外見や声が変わったら好きじゃなくなるのかと怒られた。

 結月には、人間は変わってしまうもの、という価値観があるらしく、彼女自身を好きな理由にあげると嫌がるようだった。

 何度も失敗した経験を積んで、俺は結月を好きな理由として結月の外側にあるものをあげるようになっていった。そのことを結月も求めていたようで、俺の答えに満足するようになっていった。


「はい、あげる」そう言って結月は俺にキャラメルの箱を投げて渡す。「蓮くんが私を好きな証。少なくともそれがある間は、蓮くんは私のことを好きでいてくれるんでしょ?」

「当たり前だろ」俺はキャラメルの箱を開けると、中身が入っていることを確認する。自分もひとつ食べようかと思ったが、思い直してそのまま蓋を閉じた。


 ***


 結月が事故に遭った。知らせを聞いて、俺は彼女が入院したという病院へ駆けつけた。集中治療室にはすでに結月のご両親が辿りついていたので、俺は会釈をした。

 結月は全身を包帯に覆われた姿でベッドに横たわっている。結月に意識はなく、ベッド傍の機械に命を繋ぎ止められている状態だった。

 友人とスキーに行く途中のバスで事故に遭ったらしい。バスは多くの乗客を車外に放り出しながら崖を転落した。放り出された乗客の多くは、崖下の河川に流されてしまっており未だ行方が分かっていないとのことだった。一方で、バスの中に取り残された乗客も僅かにいた。結月もそのひとりだ。バスは崖の途中で木々にひっかかって河川への水没を免れていた。しかし、冷たい風を避けて社内で救助を待っていたところ、気化したガソリンが静電気か何かにより発火してしまいバスは炎上した。

 結月は命からがら生き延びることができたものの、全身に重度のやけどを負ってしまった。燃え残った手荷物がなければ結月だと判別できなかったほどに全身が焼けただれていた。可能な限り手を尽くすが元の顔には戻らないだろうと医師が告げると、結月のお母さんが泣き崩れ落ちた。

 俺はと言えば、ただぼんやりと結月の言葉を思い出していた。私のどこが好きなのかと聞かれて、外見を好きだと言った時の彼女の言葉を。

 ――それって、例えば私が歳をとったり怪我したりして見た目が変わっちゃったら、私のことを好きじゃなくなっちゃうってこと?

 そう不満そうに言う彼女の顔が頭に浮かぶ。

「そんな訳ないだろ」記憶の中の自分と同じ言葉を、俺は口の中で呟いた。


 ***


 事故から2か月が経ったが、まだ結月は目を覚ましていない。それが辛くないといえば噓になるが、結月と一緒に事故に遭った方の中には未だ行方不明の方がいることを考えれば、生きていることが分かっているだけでも不幸中の幸いなのだと自分に言い聞かせている。

 俺は結月のいる病室へ通うようになっていた。土日はもちろんのこと、平日も無理を言って少し早めに仕事をあがらせてもらうようにして、僅かな時間でも毎日、結月に会いに来るようにした。俺が病室に着くと、だいたいいつも結月のご両親のどちらかが彼女の傍に座っていた。ご両親は俺の姿を見つけると、示し合わせているのか「今日もありがとう。ゆっくりしていってね」と言って、俺と結月をふたりきりにしてくれる。

 結月の手を両手で握って、たわいのないことを一方的に話す。今日は天気が良いよ。もうすぐ桜が咲く頃だね。一緒に見に行くって約束した映画、公開されたよ。結月の声が聞けないのが寂しいよ。それでも、ずっと好きでい続けているよ。結月の目が覚めるまで、ずっと待ち続けているよ。だって、そうだろ。もし、結月が目を覚ましたときに俺がいなかったら、きっと結月は頬を膨らませて拗ねるんだからさ。

 俺は話し続けた。面会時間が終わったことを看護師さんに告げられると、「また明日、会いに来るよ」と約束をして病室を後にする。

 家に帰った俺は、リビングのソファに座って疲れを吐き出すように息をつく。ふと、写真立てが目についた。ふたりで遊園地に行った時の写真だ。その中では、結月と俺が幸せそうに笑って手でピースサインをつくっている。俺は写真立てを手に取ると、両手でゆっくりと抱いた。そして、少しだけ涙がこぼれた。


 ***


 結月が俺に微笑む。「蓮くん、なにボーっとしてるのかな?」彼女が人差し指で俺のおでこをグリグリといじる。

 ああ、これ、夢だ。幸せだった頃の夢だ。それを頭の片隅でぼんやりと察する。

 夢だと判っていても、結月の笑顔が見れることが嬉しくて、結月の声が聞けることが幸せで、顔がほころぶ。

「やめろよ、くすぐったい」

「いいじゃん、蓮くんのこと好きなんだから」

 なおも俺の額を弄ぼうとする結月を制すると、彼女は「ちぇ~」と拗ねたフリをするが顔は明らかに笑っていた。

「ねえ、ところで蓮くんは――」

「結月は俺のどこが好きなの?」

 俺は結月のいつもの問いを遮るようにして、彼女に問いかけた。これが明晰夢の中の出来事だと判っていたから、先手をとれたのかもしれない。

「ううむ、先を越されてしまうなんて」

「いつもは俺が聞かれてばかりだったから、たまにはね」

「もう。蓮くんのくせに生意気な」

 そう言いながらも結月は楽しそうだった。

 結月は「蓮くんの好きなところか……」と考える素振りをしたものの、即答で「わかんないなあ」と答えた。

「それ、酷くない?」

「だって、わかんないもんはしょうがないじゃないか」結月は続ける。「もちろん、性格も見た目も、声もその手のぬくもりも、ぜんぶ大好きだよ。でもね、もしも仮にその全部を嫌いになったとしても、私は蓮くんを嫌いになれる気がしないんだよね。どうやったら嫌いになれるかわかんないのってさ、どこを好きなのかわかんないってのの裏返しだと思わない?」

 恥ずかしそうに夢の中の結月は笑って、消えた。


 俺が目を覚ますと、そこは結月の病室だった。

 大きく欠伸をする。手で目をこすろうとしたところで、結月の手を握ったままだったことに気付いた。ごめんね、ちょっとだけ手を離すよ。心の中で結月に謝ったところで、結月の手がピクリと動いた。

 結月の顔へと視線を移すと、包帯の隙間から彼女の瞼がゆっくりと開くのが見えた。

「結月」

 呼びかけると、結月の瞳がゆっくりとこちらを向いた。唇が微かに開く。

「……あ」

 しわがれた声だった。事故の際に声帯まで火傷していたのかもしれない。とてもつらそうな声だ。

「無理して喋らなくても大丈夫だよ」

 俺はナースコールで結月が目を覚ましたことを知らせる。

 看護師が来るまでの間に、結月が微かな声で言う。

「……あなた、誰?」

 俺は驚いて少しだけ声が上ずる。

「なに冗談を言ってるんだよ、結月。俺、蓮だよ」

「結月って、誰? ……あれ、私、誰?」

 その後、検査によって結月は記憶喪失になっていることが分かった。結月の中の俺との思い出は綺麗サッパリと消えていたのだ。


 ***


 失った記憶は一生戻らないかもしれない。医師はそう言った。もちろん、明日にでも記憶を取りもどす可能性はあるが覚悟はしておいてくれ、という話だった。

 結月が目を覚ましてくれたことは、例えようもないほど嬉しかった。でも、正直な気持ちとして、その日以降、結月に会いに行くのが辛くなっていった。

 記憶を失いながらも結月は俺や彼女のご両親に歩み寄ろうとしてくれていた。でも、それが辛かった。結月がご両親や俺の話を聞いて、記憶を失う前の自分を一生懸命に演じているのが辛いのだ。彼女の健気さを切なく感じるのと一緒に、自分の心の深い深い奥底で、見た目も、声も、性格も、記憶も、結月ではない人間が結月を演じているように感じてしまっていることに、ひどく悲しみを覚えていた。考えてはいけない。感じてはいけない。そう思えば思うほどに、結月が結月に見えなくなってくる。こんな気持ちを隠し持っている俺が、結月を好きでい続けられるのだろうか?

 ――ねえ、蓮くんは私のどこが好きなの? ふと、結月の声が問いかけてきた気がした。何かを答えようとして、結局、俺は何も答えられないまま口を閉じる。いったい今の俺は、今の結月のどこが好きなんだろう?


 ***


 俺は家に帰ると、結月への気持ちを取りもどそうと思い出の品を探すことにした……とは言っても、実際のところ探すまでもなかった。家中に狂おしいほど結月の思い出が詰まっていた。思い出は家の中に納まるものではなかった。玄関の外も、近くのスーパーも、駅までの道のりも、車の中も、昨日のことのように結月との思い出を思い出すことができた。この世界には俺が結月のことを愛している証が満ち溢れていた。……だっていうのに、なんで俺は今の結月への想いに自信が持てないんだろうか。

 いつか結月が俺に投げてよこしたキャラメルの箱を手に取る。俺が結月を好きでいる証、そう結月にいわれた物だ。今の結月は、これのことも覚えていないのだろう。だとしたら、このキャラメルに、いまやどれほどの価値があるのだろうか?

 俺はソファに寝転がった。目をつぶってキャラメルの価値を考える。眠りにつく頃には、俺の中にひとつの結論が出ていた。


 翌日、俺が病室へ行くと、結月がいつものように出迎えてくれる。

「いらっしゃい、蓮さん」

 やはり、俺は結月のその姿に違和感を覚える。

 結局、人は変わってしまうものという結月の価値観は正しかったのかもしれない。結月は事故ですべてが急激に変わってしまったし、俺も結月の変化によって想いを揺らがせてしまっている。

 でも、だからこそ、結月は変わらない愛の形を望んだ。俺が結月を好きな理由を、結月の外側に求めたんだ。そうして、俺たちは沢山の思い出の品を作ることになったのだ。 

「はい、あげるよ」そう言って俺は結月にキャラメルの箱を手渡す。「俺が結月を好きでいる証。少なくともそれがある限りは、俺は結月のことをずっと好きでいるよ」

 キャラメルの箱を見つめてきょとんとしている結月。そりゃ、そうだろう。何も覚えていなかったら当然のリアクションだ。でも、そんなただのキャラメルですら、結月や俺にとっては思い出の品だ。それを見るだけで、あの日のやりとりを思い出すことができる。あの日の気持ちを、想いを、結月への愛を思い出すことができた。

「大丈夫。今でも俺は結月のことが好きでいるよ」

 これからもたくさん思い出の品を作っていこう。大丈夫。たとえ失った記憶が戻らなかったとしても、思い出を失ったとしても、また作り直していけばいいんだ。

 まずは、そのキャラメルの箱から始めていこう。いつか、結月もキャラメルの箱を見て、俺を愛おしく思えるようになる日がまた来ることを願って。


 ***


「……あっ」

 ふいに、キャラメルの箱を手にしたままの結月が声を発した。その頬に涙が伝う。

「……思い、出しました。ぜんぶ」

 思わず俺は歓喜の声を漏らした。両手で彼女の手を握り締める。

「よかった。よかったよ、結月」

「違う……、違うんです。蓮さん」

 嫌な予感がした。「何が、違うの?」

「ごめんなさい、私、違うんです。ごめんなさい、私……、結月さんじゃないんです」

 ――え?


 その後、本人の証言と科学的調査によって、彼女が結月ではなく結月の友人であることが判明した。

 奇しくも翌日、結月の遺体が発見されたと連絡があった。事故現場から河川を100km以上くだった場所で見つかったそうだ。

 ――ねえ、蓮くんは私のどこが好きなの?

 何度も何度も結月から問われた言葉が再び頭をよぎる。

 ……ごめん、結月。愛している相手すら間違えた俺に、もう結月を好きなところを答える自信がないよ。本当にごめん、結月。

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