第23話 最終話 『縁』


 「ふっふっふ、やっとお酒解禁なのだぜ」


 「久しぶりなんだから、あんまり飲み過ぎないようにね?」


 俺達は久しぶりに、本当に久しぶりにこの居酒屋にやってきた。

 右腕に、我が子を抱いて。

 もう一歳になり、更には随分と重くなった。

 今ではもう室内を歩き回り、色々と声を上げたりしている訳だが。


 「ジュー!」


 「お、分かるか? そうそう、ジュージューのお店だぞ?」


 そんな会話をしながら玄関を潜れば。


 「えぇ……焼肉屋なのに禁煙って、そんなことある?」


 「チェーン店なら聞いた事あるけど、こういう店でソレはないんじゃない?」


 すぐ目の前に他の若いお客さんが立っていた。

 そんでもって何やらモメているご様子。

 あちゃぁ……これは嫌なタイミングで入って来ちゃったかな?

 なんて事を思っていれば、彼等の前に仁王立ちする店長が怖い顔のまま静かに口を開いた。


 「喫煙所なら外にもある、吸うならそっちで吸ってくれ。 今日は特別な客が来るんでな、今日だけは全席禁煙だ」


 彼の言葉に、何となく察しがついた。

 いやぁ、確かにありがたいけど。

 そこまでしちゃうとお店に影響出ちゃうんじゃ……とか何とか頬を掻いていると。


 「てんちゃ!」


 娘が急に声を上げて店長の事を指さし始めた。

 今まで顔見せとか、お世話になったのだから挨拶くらいには来たが。

 娘を連れて食べに来たのは今日が初めてだ。

 だというのに娘は、随分と興奮した様子で店長に両腕を伸ばしてバタバタしている。

 その声に驚いたのか、前に居る二人はこちらを振り返り、そして。


 「あ、禁煙席で大丈夫です」


 「バイト、二名様だ」


 「はいはーい、ご案内しまーす!」


 すんなりと事が収まったらしく、二人は通称バイト君に案内されて奥の席へと進んでいった。

 なんか、すみません。

 軽く二人に頭を下げてから、再び店長と向き直る。


 「お久し振りです、店長」


 「今日からお酒解禁なので、楽しみにしてまっす」


 「てんちゃ!」


 それぞれ声を上げてみれば、彼はニヤッと口元を吊り上げ娘が振り回している手を取った。


 「いらっしゃい、待ってたぞ。 3人はカウンターだ。 あと娘さんには特別席を用意したからな」


 そんな訳で、久しぶりに焼肉屋さんにお邪魔したのであった。

 それこそきっかけから、先輩が奥さんに変わる所までお世話になったお店だ。

 だからこそ、今日はいっぱい食べようと思う。


 ――――


 娘に用意された特別席。

 そりゃもう特別席だった。

 ゲーミングチェアってヤツだろうか?

 車のバケットシートみたいな見た目の椅子に、更にチャイルドシートが括りつけられていた。

 しかも。


 「レ、〇カロ……」


 「なんか、すっごく高そうだね……」


 「ずっと抱っこしたままじゃ落ち着いて食えねぇだろ。 安心しろ、0歳から座れるヤツだ。 ベルトで固定できるから落ちる心配もねぇ」


 なんかどえらい物に座らされてる訳だが、娘は上機嫌だ。

 椅子のあちこちを弄り回しながら、キャッキャと笑っている。

 うん、まぁ確かにコレなら落ち着いて食事は出来るかもしれないけど……いいのだろうか。


 「マジで気にしないで下さい。 店長も店長で、この子に何か買って上げたくて仕方ないんすから。 はい、御通しっす」


 「バイト、余計な事言うんじゃねぇ」


 「だったら奥にしまってある玩具は良いんですか? 今あげないと、次いつ会えるか分かりませんよ?」


 「……順番に持ってこい、飯の間に飽きちまったら困る」


 「あいあい~。 あ、お客さん。 とりあえずいつもので良いっすか?」


 ポカンと口を開けてしまう様な会話を繰り広げた二人に、思わずコクコクと頷いて返事を返した。

 というか、それこそ1年以上食べに来ていなかったと言うのに。

 未だに“いつもの”で通じてしまうのか。

 なんて事を思っていれば。


 「お兄ちゃーん! 来たよぉ!」


 「お、お邪魔します」


 随分と元気な声を上げる可愛らしい女の子に、スーツ姿の女性が入って来た。

 その姿を見て、ウチの嫁さんがブッと急に噴き出した。


 「ちょ、え? なんでアンタがココに居る訳?」


 「いや、うん。 コッチの台詞」


 何やらスーツの女性と知り合いだったらしく、随分と砕けた口調で話し始めてしまったではないか。

 うむ、どうしたものか。

 「どうも、嫁がお世話になっております」とか挨拶した方が良いのかなぁなんて思っている所に。


 「ほい、とりあえず生お待たせしました。 そっちのお二人はコッチにど~ぞ。 お客さん、隣良いですかね? ウチの妹なんすけど」


 「あ、ハイ。 全然大丈夫です。 というか君……前に一回会ったよね? 確か、コンビニで」


 「はい! その節はお世話になりました!」


 バイト君に仲介してもらいながら、俺達の隣に彼女達が腰を下ろした。

 そして。


 「か、可愛い……コレがお兄ちゃんの言ってた常連さんの赤ちゃん……ちょっと撫でても良いですか?」


 「えぇどうぞ。 娘も人見知りしない方なんで」


 なんて事を言いながら特別席を移動させれば、隣に座ったお嬢さんは物凄く幸せそうな表情で娘の頬をムニムニし始める。


 「うわぁ~……やわらかぁぁい」


 「わ、私も! ねぇいいでしょ!?」


 「ん~アンタはタッチ料500円」


 「私だけ有料!?」


 嫁さんとスーツの女性が親し気に話し始めた頃、再び玄関の扉が開いたかと思えば。


 「焼き肉屋、来たわよん。 バイト君も久しぶり」


 「おう、来たかオカマ。 お前はコッチだ」


 「らっしゃっせぇい! お久しぶりです」


 これまた凄い見た目の方が来店なされた。

 執事か何かかな? と言う程ピシッとした燕尾服。

 そして一部だけメッシュを入れたオールバックスタイルは、まるで漫画の中から飛び出して来たのかというほど。

 だというのに、口調がオネェなのだ。

 店長もオカマ呼びしているし。

 そして。


 「貴方達ね? ウチの串焼きの試作品を食べて、焼き肉屋から名刺を貰ったってお客様は」


 「えっと……あ、もしかしてあの高そうな黒い名刺の!」


 「ピンポーン、そこの店長をやってます。 よろしくね? 今日は特別な日だからって、お招きされちゃったのよ。 ウチの串焼きも持ってきたから、是非食べてみてね?」


 「なんか、すみません。 結局お店にも行けず仕舞いなのに……」


 「いいのよ、子供が生まれると居酒屋なんかなかなか行けないからね。 また落ち着いたら食べに来て頂戴」


 そう言いながら彼は……いや、オカマさん? はパチンッと綺麗なウインクをしてみせた。

 そしてそのままキッチンに消える。

 あ、彼はカウンターじゃなくてソッチなのか。

 なんて事を思いながら呆けていると。


 「こんばんはー」


 「お邪魔しまーす!」


 何だかゾロゾロと人が入って来る、多分二組のお客さんなのだろう。

 ソレが連続して来店して来た。


 「皆いらっしゃい! ささっ、ココ座って!」


 バイト君が皆を皆カウンターに座らせ始める。

 お、お?

 何だか狭くなってきてしまったぞ?

 普段はこんなにカウンターに人を座らせないだろうに、今ではぎゅうぎゅうになる程身を寄せ合っている。

 そんな中。


 「あれ? 前にコンビニでおつまみ教えてもらった店員さんだ。 そして後輩まで来た」


 「その節はどうも。 なんでもご結婚なされてお子さんが生れたとか。 更には今日ココに来ると聞いたので、是非ともお祝いをと思いまして」


 再び嫁さんが知らない方とお話を始めてしまった。

 あら? なんだかもしかして結構顔が広い?

 とか思っていたのだが。


 「おい、何でお前が居る」


 「いやぁ、先輩方のお子さんのお祝いの席だと聞いたので駆けつけちゃいました」


 「誰から聞いたのよ後輩さんや」


 「実はですね、こちらの店員さんと先輩の先輩……じゃなかった。 奥さんと話している方が、私のバイト時代の先輩でして」


 「世間って狭いね……」


 「ですねぇ。 あ、あとこっちは私の彼氏でーす。 通称“本の虫”」


 「どうも、初めまして。 このテンション高めの馬鹿がいつもお世話になっております」


 「あ、はいこちらこそお世話になっております。 じゃなくてオイ後輩、本の虫ってお前……自分の彼氏に言う台詞じゃないだろ」


 「あ、いえ。 自称他称で“本の虫”ですので、お気になさらず」


 「は、はぁ……」


 なんだか、濃いメンツが集まって来たなぁ。

 なんて思いながらも、目の前に出された“いつものメニュー”を焼き始める。

 あぁ、久しぶりだな牛タン。

 お前が食いたかったんだよ。

 ジュウジュウと立ち上る煙を見て、娘のテンションが上がってた頃。


 「娘さんには、コイツだ。 アレルギーとかはないって話だったよな?」


 そんな事を言いながら、店長が娘に対して小皿を持って来た。

 そいつをスプーンで掬い、「あげて良いか?」とばかりに視線を送って来るので一つ頷いてみれば。


 「んー! んまぁ! んまぁ!」


 「お、気に入ったか。 ちゃんと離乳食として作ってあるからな、腹いっぱい食えよ?」


 「てんちゃ! んまぁ!」


 「おう」


 「いいなぁいいなぁ! 私もあげてみたい!」


 「んじゃお前はこっちあげな、子供用のジュース。 ご飯は店長があげたいんだって」


 「ちなみにこのジュースはお兄ちゃん作?」


 「もちのロンよ」


 「ラジャー!」


 なんだかウチの子が大人気になってしまった。

 周囲には人が集まり、わちゃわちゃしながらも皆楽しそうにしている。


 「若い子達は良いなぁ、皆輝いておる」


 「え? あ、はい。 そうですね」


 いつの間にか、とっくりを持ったお爺さんが隣に立っていた。

 確か皆と一緒に来店して、カウンターの一番端に座っていた筈だが。

 そんな彼がおちょこを一つこちらに差し出して、並々と日本酒を注げば。


 「縁とは不思議なもんじゃな。 こうして初対面のお前さんと儂でも、どこかしらで繋がっておる。 だから今日の席、儂にも祝わせておくれよ?」


 「なんか、恐縮です」


 なんて会話をしながら、差し出された日本酒をクイッと一気に飲み干した。

 旨い、非常にすっきりした喉ごし。

 ふぅ、と息を吐き出せば老人は楽しそうに笑いながら声を上げた。


 「お、いけるクチか。 店主、スマンが最高に旨いツマミを用意してくれんか? 高くても良いから、とにかく旨いヤツを。 儂の奢りじゃ」


 「あいよ、待ってな」


 離乳食を上げていた店長はソレをバイト君に任せると、オカマさんと一緒にキッチンに立った。

 そして香り立つ様々な匂い。

 あぁ、ヤバイ。

 何を作っているのか分からないけど、多分とんでもないモノが出てくる気がする。

 店長もオカマさんもすんごい真剣な表情でテキパキ動いているし、何より店長達が焼いてくれている様だ。

 コレは非常に期待できる……なんて、涎を垂らしていれば。


 「先輩、お楽しみの所失礼しますね?」


 「ん、どした?」


 「ちょいとお話し相手を拝借」


 「んん?」


 俺と老人の間に割り込んで来た後輩は、スッ一冊の本を老人に向かって差し出した。

 あ、その本俺も持ってるわ。

 面白いよね、特に料理描写が良くて俺も色々作っちゃったわ。

 なんて事を思っていれば。


 「こんな場所で失礼かとは思いますが……サイン下さい! ウチの本の虫が貴方の大ファンなんです!」


 後輩がそう叫んだ瞬間、俺と後輩の彼氏君は思いっきりお酒を噴き出した。

 え? はっ!? 原作者の方!?

 ちょっと待って俺もサイン欲しい!


 「いやぁ、嬉しいもんですな。 こんな老いぼれの書いた話が、若い子に気に入ってもらえるのは」


 「ちょ、え!? は!? 本当に原作者さん!? 俺大ファンなんです! 握手してください!」


 彼氏君の方も事情を今知ったらしく、慌てた様子で老人に向かって駆けよって来た。

 なんだが、本気で凄い席になってしまったぞ?

 各々好き放題ガヤガヤと喋っておられるが、誰も彼も何処かで繋がりがあるご様子。

 今日は娘の誕生日。

 最近離乳食をよく食べる様になって来たからこそ、せっかくならと外食にしてみた訳だが。

 まさかこんな事になるとは。

 顔を知っているメンツもいれば、初対面の誰かだっている。

 でも、誰しも何処かで関りがある人々。

 そして、この“誕生日会”に集まってくれた方々。

 本当に、“人の縁”とは分からないモノだ。


 「ホラ、出来たぞ」


 「炭は炭でも、七輪で焼くとなるとなかなか苦労するわね。 はい、こっちも出来たわよ?」


 そんなこんなして居る内に、やけに綺麗な……というか美しいとさえ言えるお肉がご登場なされた。

 更にはその隣に並ぶ鶏肉も、見た事もないほどプリップリとした見た目。

 いや、コレ絶対お高いヤツじゃ……。


 「食え、今日の為に仕入れたんだ。 安心しろ、娘にも食える様に手を加えたヤツも有る」


 「私の方も、お子さんに食べられる様に油を落としたりなんだりと苦労して作ったのが有るわよぉ? 是非食べてみてね?」


 という訳で、俺と嫁さん。

 そして娘の前に用意された料理の数々。

 周りの皆に見守られる中、俺たちは静かに手を合わせるのであった。


 「「いただきます」」


 「どれ、娘さんにはこのジジイが……ホレ、あ~ん」


 「あ~ん」


 パクッと齧り付いた俺達は、一瞬時間が止まった様に動けなくなった。

 だってもう、コレヤバイわ。


 「うんめぇぇ!」


 「何、なにこれ!? 私今何食べたの!? 美味し過ぎてもう意味が分からない!」


 「んまぁ~!」


 久しぶりに、絶叫する程の旨い物を食ってしまった。

 普段からすれば絶対食べられないお肉を豪快に頬張り、ひたすらに味わっている。

 いいのか、俺がこんなもの食べてしまっても良いのか。

 絶対高い奴だ、間違いなく高い奴だ。

 牛も鳥も、目が飛び出るくらい高い奴に違いない。

 それくらいに、“別物”だった。

 そして。


 「いやぁ旨そうな肉じゃのぉ。 どれ、儂は日本酒で」


 「いやいや、ココはワインで試さなきゃ。 店長俺もちょっとだけ良いっすか?」


 「お兄ちゃん、妹は甘いお酒をお願いします。 私も飲めるようになったもんねぇ~」


 「あ、じゃぁ私もソレで。 妹さん一緒に飲もう~」


 「こういうのには、結構ウイスキーも合うのよ? 試してみる子はいないかしら?」


 「あ、じゃぁ是非僕はソレで。 色々と試してみたいです」


 「私はそっちの夫婦と同じ物でお願いします。 めっちゃ美味しそう……」


 「ったくお前等は……まぁ今日くらいは良いけどよ」


 誰しも好きな物を注文して、呆れ顔の店長がお酒を準備すれば。


 「それでは、この小さくて可愛らしい女の子の誕生日を祝って。 かんぱ~い! っす!」


 「「「かんぱーい!」」」


 知った顔も、知らない顔も。

 誰しも楽し気な笑みを浮かべながらグラスをぶつけ合う。

 あぁ、楽しい。

 普段は育児や仕事などに追われて、疲れ切ってしまう事もある。

 だからこそ、たまには息抜きが必要なのだろう。

 特に嫁さんには。


 「随分と幸せになっちゃったね、私達」


 「うん、だね。 でも、これからもっと幸せになっていくかも」


 「楽しみにしております」


 そう言いながら、彼女はコツンッと額を俺の肩に当てて来た。

 旨い物を食って、旨い酒を飲んで。

 そして皆で笑い合う。

 コレこそ、庶民の癒しの空間なのだろう。

 そんな事を思いながら、俺もまたグラスを傾けるのであった。

 あぁ、旨い。

 だからこそ、明日からも頑張れるってもんだ。


 「か、ぱ~ぃ」


 その宴は、娘が疲れて寝入ってしまうまで盛大に行われるのであった。

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