第22話 ”愛してる”を貴女と


 「来ちゃいましたねぇ」


 「だねぇ」


 目の前に広がるのは大自然。

 森、山、木々。

 そして生い茂る草。

 めっちゃ田舎!

 そのキャンプ場に来ている訳なのだが。

 ここまで来ると女性陣は虫とか嫌がらないかなぁ……とか心配になって視線を向けてみれば。

 既に隣に彼女は居なかった。

 そして。


 「見て見て! クワガタ! めっちゃ小っちゃいけどクワガタが居た! こんな普通に居るものなんだね!」


 興奮した様子で森の中に片足突っ込み、早くも田舎の楽しみ方を見つけ出している先輩。

 うん、全く心配いらなかったというか、むしろ俺の方が気後れしてしまいそうなんだが。

 どうしよう、見た事ない変な虫とか出てきたら。

 悲鳴上げちゃいそう。


 「うわっ! こっちはデッカ! やっぱり森の中だと色んな虫が巨大化するのかな? 都内の近くだと害虫ばっかりデカくなるけど……」


 「先輩!? 昆虫採集はその辺にしましょう!? あんまりデカい昆虫連れて来られても俺困りますからね!?」


 「あはは、虫苦手なんだ」


 何だかんだ満足気な表情を浮かべながら、彼女は帰って来た。

 森の中から、キャンプ場へと。

 その手に、クワガタを持って。


 「それ、どうするんですか?」


 「ん? 何かあげてみようかなって。 スイカとか食べるのかな?」


 「スイカは……流石に店長も送ってくれてないんじゃないですかね?」


 今回のキャンプ、完全に食材は人任せ。

 なので、我々は最低限の手荷物だけで済んでいる訳だが……一体何が届くのやら。

 見てからのお楽しみって事らしいが、いつもよりちょっと多めのお金を支払ったのだ。

 あの店長なら、変なモノとか送って来る筈はないとは信じているが。

 やはり食材も調味料も見ずに居るというのは不安が残るモノで。

 調理器具とかは現地で貸してくれるらしいのだが……。


 「とりあえず、受付行きましょうか。 コテージの鍵と店長たちが送ってくれた食材確認しないと」


 「あいあい~」


 ご機嫌な先輩は、掌にクワガタを乗せたまま受付のある建物へと向かっていく。

 あのクワガタ……まさか飼う気じゃないだろうな?


 ――――


 「いやぁ……凄いねぇ」


 「ですねぇ」


 受付で鍵を受け取り、コテージまで来てみれば。

 正直に言おう、非常に豪華だった。

 え、普通に住みたい。とか思ってしまう程、立派な建物が立ち並んでいた。

 とは言え一軒一軒の間は結構遠い。

 本当に山の中にポツンポツンと立ち並んでいる様な見た目だった。

 ネットは繋がりづらく、更にはテレビなんかも無いが。

 それでもとても過ごしやすそうな建物。

 うわぁ……泊まりてぇ……。

 日帰りが物凄く勿体なく感じる見た目の、木造建築。

 木造とはいえ作りはしっかりしていて、更には手入れも怠っている様子もない。

 うわぁ……泊まりてぇ……。


 「とりあえず川行こ川! 釣り具も貸してくれるって言ってたし!」


 何度も同じ感想が漏れてしまう訳だが、先輩と共にコテージに私物を下ろす。

 お互いに手荷物一つで、一番大きいのは店長から送られて来た巨大なクーラーボックスな訳だが。

 ソイツを開いてみれば、最初に一枚のメモが。


 『余ったり帰りに邪魔なモンはコイツに入れて着払いで送って良いぞ、せっかくなら余計な事考えず楽しんでこい。 私物なんかは次に飲みに来た時に渡すから心配するな』


 店長ー!

 男前過ぎませんかね。

 なんて事を思いながら今は居ぬ店長へ向かって頭を下げていると。


 「スイカ! スイカあった! しかも網に入ってるよ! 川で冷やそう!?」


 肉の他も任せろとは言っていたが、まさかマジでスイカがあるとは。

 しかも、クーラーボックスの横には花火まで張り付けてある。

 コチラの状況が全て予想出来る、凄腕のプランナーさんかな?


 「受付の人が鮎が釣れるって言ってたよね!? 釣ろうぜ! ご飯を現地調達だ!」


 「あの、先輩? 食材も結構ありますから、あんまり釣ると食べ切れなくなりますよ?」


 「そしたら店長さん達に送ろう! 凍らせて送ろう!」


 「いや、流石にそんなサービスは……」


 『河原で釣った魚が余ってしまった場合、冷凍して配達するサービスもございます。 是非ご利用ください』


 「あったわ」


 多分釣ったは良いが食べきれず、捨てて帰る事に対する防止策なんだろうが。

 そんな事が書かれた紙が、テーブルの上に置いてあった。


 「それじゃ、心配事も無くなったので……釣り、しますか?」


 「する! 後スイカも冷やす!」


 「了解でっす」


 流石に大ぶりのスイカとはいかなかったが、先輩が一抱えするくらいのスイカを持ち、俺たちは再び受付へと向かうのであった。

 まだまだ朝と言って良い時間。

 楽しもうではないか、久しぶりに全力で。

 社会に出てから、“遊ぶ為”だけにこうも外出したのは久しぶりだ。

 更には、環境はこれでもかと言う程に整っている。

 そして、隣には。


 「釣れると良いねぇ。 私釣りって初めてなんだよね」


 「多分大丈夫ですよ。 この時期のココ、釣り堀としても使われるほど入れ食いみたいですから」


 「なら安心だ。 いっぱい釣るぞぉ!」


 子供みたいな笑みを浮かべる、先輩がいる。

 こんなにも充実した休日が、今までにあっただろうか。

 今日は、とにかく楽しもう。

 余分な事を考えず、明日の事も考えず。

 今この時だけを存分に満喫しよう。

 そう思えるだけの条件が、揃いに揃っていたのであった。


 ――――


 「う~~む、やっぱり難しいもんだね」


 「焦り過ぎなんですって。 ちょっと反応が来てすぐ竿を引いたんじゃ、魚だって驚いて逃げますよ」


 「水の中の映像が欲しい……」


 「現代人が考えそうな手法に行きつきましたね」


 結局釣れたのは全部で八匹。

 俺が七匹で、先輩が一匹。

 とはいえ一匹は釣れた事で結構満足したのか、ご機嫌な様子だ。

 そして何より、先輩が吊り上げた一匹は間違いなく全体の1.5倍くらいデカい。

 なので、何処かどや顔。


 「それじゃ下処理して塩焼きで良いですよね?」


 「うん! そっちは任せて!」


 「大丈夫かなぁ……」


 「言ったな? 絶対旨い塩焼き食わせてやるんだからな?」


 プリプリと怒った様子を浮かべながら、先輩は慎重に魚に包丁を入れ始める。

 今までならハラハラしていた所だが、これまでの経験を見るに心配はいらないだろう。

 なんて事を考えながらも、こちらも此方でクーラーボックスと向きあった。


 「まさか、肉だけじゃなくて海鮮が来るとは」


 やけに詰め込まれたクーラーボックスの中には肉に野菜、そして海鮮と酒の類が入っていた。

 それこそ、あの値段でココまで入れてしまって良いのだろうか?

 なんて不安になるくらいに。


 「とりあえずお昼だけど、どうするの? 結構あるよね?」


 「う~~ん。 お昼はお肉、夜は海鮮とかにしますか? ワインとかもありますし」


 「あいあい、全然オッケーですよぉ」


 機嫌の良さそうな先輩は、捌いた魚に串を通しながらこちらに笑みを向けてくる。

 鮎の塩焼きもある事だし、昼はえらい量になりそうだが……そこは調整しながら肉を焼けば良いか。

 とかなんとかやりながら、俺達の休日は過ぎていく。

 現代社会人においての最も重要な時間。

 それが、まったりと過ぎていく。

 周りの環境の影響なのか、今日だけは普段よりもずっとゆっくりと休日を過ごせる気がしたんだ。


 ――――


 「凄いねぇ……環境が違うだけでこんなに違うんだ」


 「ですねぇ。 外でご飯を作るって言うだけで、満足感が違います」


 現在、コテージのベランダの椅子に腰かけながら海鮮おつまみを摘まんでいる。

 お昼にはひたすらお肉を食し、お酒を頂いた。

 そして更に夜には海鮮盛り合わせ。

 アワビ、海老、今日釣った魚などなど。

 ホントに支払った金額で足りたのかと不安になるほど、豪華なおつまみの数々。

 とはいえやはり小ぶりな物が多く、その辺りで調整しているのだろうか?


 「美味しいオツマミ、美味しいお酒。 そして今日捕まえたクワガタにはスイカの残り。 いやぁ……贅沢してますねぇ」


 のんびりと声を発する先輩は、リラックスした状態でテーブルに顔を向ける。

 そこには俺らが齧ったスイカの残りを必死ガジガジしているクワガタの姿が。

 あぁもう、気に入っちゃったよこの人。

 昼からずっと餌付けしてるよ。

 まぁ、いいけどさ。


 「明日からまた仕事と考えると、このまま寝たくなっちゃいますねぇ。 帰る時間も考えると、そろそろ撤退しないとですけど」


 自分で言っておきながら、ため息と乾いた笑いが漏れる。

 生きる為には働かなければ。

 しかし、こういう瞬間こそ“生きている”と感じる。

 人は食べて、寝て。

 自らを満足させて初めて“生きている”、または“生きたい”と感じる生き物なのだ。

 そう、感じられる。

 俺が庶民であり、特別な何かではないからこそ。

 こういう休日に特別感を覚えるのかもしれないが。


 「ねぇねぇ、見て。 ちょっと早いけど、月がめっちゃ綺麗」


 「お、確かに見えますね」


 まだ明るいから、薄っすらとしか見えないが。

 それでも随分大きくて、綺麗な満月が見えた。


 「後は何だっけ……毎日味噌汁が飲みたい! とかだっけ?」


 「あぁ~プロポーズ的なアレですか? 確かに色々ありますね」


 「ありますよねぇ」


 ポツリポツリと会話を紡ぎながら、コテージのベランダでゆっくりと過ごす俺達。

 だがしかし……なんか変な空気になった気がするぞ?

 先程の話から、先輩喋らなくなっちゃったし。

 えぇっと、えぇっと?

 コレは、もう出すしかないのか?


 「先輩、ワイン飲みませんか?」


 「ワイン? 別にいいけど。 あんまり詳しくないよ?」


 「大丈夫です、結構飲みやすいヤツなんで」


 そんな事を言いながらクーラーボックスから一本のワインを取り出し、用意したワイングラスに注ぐ。

 あぁクソ、手が震える。

 間違いなく、分かっていて用意しただろあの店長!

 なんて事を思いながらもワインを注ぎ、二人でワイングラスを合わせる。

 一口含み、喉に通してからふぅ……と息を吐きだしてみれば。

 先輩はまじまじとワイングラスを眺めはじめる。


 「ワインはあんまり呑まないけど、コレは結構好きかも。 魚にも合うね」


 あぁ、もう。

 興味を持ってしまったじゃないか。


 「コレ、なんてワイン? あんまり高く無ければまた飲みたい」


 そんな事を言いながらボトルを手にする先輩を横目に。

 色々と決意を固めて言葉発するのであった。


 「ドメーヌ・ヒデ。“愛してる”……です」


 「……はい?」


 「だからその……そういう商品名でありまして」


 もごもごと喋っていれば、先輩は何故かクーラーボックスにワインを仕舞ってしまった。

 あぁ、やはり“そういう”意味合いが含まれるお酒を進めるのは良くなかったか……なんてガックリと肩を落としていれば。


 「なんだって?」


 「はい?」


 「ドメーヌ・ヒデ。 美味しいね、それで? なんだって?」


 あぁ、コレは。

 “そう言う事”なんだろうか。

 グッと体に力を入れて、先輩と正面から向き直り、そして。


 「“愛しています”」


 「はい、私もです」


 緩い笑みを浮かべながら、目元に涙を浮かべる彼女は。

 この上なく優しくて嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。

 コレは、そう言う事で良いんだよな?

 良いんだよな!?

 思わずガッツポーズを取りそうになる自分を抑えながら、ひたすらに表情を固めていれば。


 「あのさ、明日の仕事。 終わらせてあるんだよね。 それで、休む訳にはいかないけど外回りからって言えば……その、出勤時間が遅くなっても平気じゃないかなぁって。 なのでその、コテージに宿泊の予約入れちゃったんだけど……キャンセル、する?」


 俯き気味にそんな事を言われて、断れる男性は果たしてどれくらい居るのだろうか?

 そんでもって、条件はガッツリ揃っている訳でして。

 更には予約も取っちゃっている訳でして、今からキャンセルすれば余分なお金がかかる訳でして。


 「俺で、良いんですか?」


 「君が良いんだよ、バァ~カ」


 ニヘッと緩く笑う先輩を、思いっきり抱きしめた。

 三流大学を卒業して、適当に就職した会社。

 思いっ切りブラックで、すぐさま辞めたいと思えるような就労環境。

 そんでもって、周りの会社もこんなもんかって思える様々な情報。

 現代社会人は何処までも生きにくい。

 だからこそ会社を転々としたり、諦めて身を置いたり。

 それは人によって様々だ。

 だとしても、俺の場合は。


 「幸せにします。 金も暇もないですけど、それでも貴方の幸せを最優先します」


 「嫌だ。 “私達”の幸せじゃないと、怒るからね?」


 「頑張ります、先輩」


 「うい、頑張れ後輩。 私も頑張るから」


 この会社に行って良かった。

 ずっと務めるのかと言われたら分からないが、それでも。

 “この人”に会えた。

 だからこそ、サービス残業も上司のアレやコレも。

 今だけは許せる。

 俺はこの人に出合う為にあの会社に入り、頑張って来たんだ。

 だからこそ。


 「今夜は一緒に居ませんか?」


 「随分と熱烈なアプローチだね?」


 二人して笑いながら、結局コテージに泊まる事になったのであった。

 あぁ、明日何を言われるのだろうか。

 そんな事を頭の隅で考えながらも、俺は彼女に“愛している”と伝え続けた。

 この先裕福な思いはさせてあげられないかもしれない、絵に描いた様な幸せな家庭を築く事は出来ないかもしれない。

 でも、それでも。


 「俺と、ずっと一緒に居てくれますか?」


 「ばぁか。 私が放してあげないわよ」


 彼女の腕に包まれながら、ゆっくりと目を閉じるのであった。

 これからも人生は続いていく。

 特別になれない俺は、ひたすらに働いて汗水垂らして、どこまでも“庶民”として生きていくのだろう。

 でも、そうだったとしても。


 「おやすみなさい」


 「ん、おやすみぃ」


 この人が隣に居てくれる。

 これからの人生、俺の隣にはこの人が笑っていてくれる。

 だったら、どこまでも頑張れそうな気がするんだ。


 「先輩」


 「ん?」


 眠そうな目をこちらに向ける彼女は、ふにゃふにゃした笑みを溢しながらも、俺の声に答えてくれた。


 「大好きです、愛してます」


 「もう何度も聞いたよ。 私も、大好き。 愛してるよ。 コレからも、よろしくね?」


 そう言ってから、彼女は静かな寝息を溢し始めた。

 幸せの形っていうのは、きっとこういう事なのだろう。

 この人が居るから、頑張ろうと思える。

 この人の笑みを見たいから、美味しい物を作ろうと思える。

 だからこそ“幸せ”にしてあげたいと、普通である俺は願うのだ。

 どうにか頑張って、ギリギリの生活だったとしても。

 いつまでも笑っていて欲しいから。


 「うっし……明日も頑張るか」


 改めて気を引き締めてから、俺もまた瞼を下ろすのであった。

 これから色々な事が変わっていく事だろう。

 生活も、環境も。

 そして、笑顔が増える事だろう。

 今度は何を作ってあげよう。

 どんな味付けにすれば、彼女は喜んでくれるだろうか?

 そんな事ばかりを考えて、中々寝付けない夜を過ごすモノの。

 どこまでも幸せな夜だった。

 さぁ、明日からも“普通”であり“特別”な日常が始まる。

 俺達みたいなただの一般人にとっては、些細な幸せを見つける事も特別であり、贅沢なのだ。

 更には今みたいな状況は……贅沢どころではないだろう。

 俺は今、“幸せ”だ。


 「先輩、俺。 頑張りますから」


 囁きかける様に、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでから。

 腕の中で眠る彼女を抱きしめた。

 この先も、ずっと先も。

 この人と居られますように。

 願うだけではなく、俺自身が放されない様に頑張る。

 互いに頑張り、互いに支え合う。

 多分、ソレが庶民における“夫婦”ってモノなのだろう。


 「貴女の事が、大好きです」


 宣言する様に呟いてから、俺もまた意識を夢の中へと落とした。

 明日はちょっとサボるけど、それでも仕事だ。

 だからこそ、ちゃんと眠っておかないと。

 普通の貧乏人であるからこそ、その中で幸せを見つける。

 決して豪華ではないし、安く済ませられるならそちらへ流れてしまうだろう。

 どこまでも貧乏で、どこまでも節約家。

 そんな俺でも、こうして愛する人を腕に抱けるのだ。

 だとするのならば。


 「頑張りますか」


 現代庶民は、明日も明後日も、その次の日も。

 安くて旨い、そんなメニューを考えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る