第14話 疲れた時にはガッツリ天丼
『おーい、大丈夫?』
夜になってから幼馴染にメールを送ってみれば。
相手からは。
『無理、死にそう』
どうしようもない返事が返ってくる。
少しだけ年下の幼馴染は、昨日誕生日。
初めてのアルコールを試してみた結果、見事に撃沈したらしい。
とはいえたかが二日酔いだろうに。
しかしこんな時間までお酒が残っているとなると……随分飲んだのか、それともよほどアルコールが体に合わなかったのか。
全く、二十歳になったからって調子に乗るから。
はぁぁぁ……と深いため息を溢してから、再びモニターを睨む。
そこに表示されているのは、“今日中に”と言われた資料の文字列。
正直、新人に任せる仕事なのか? とは思うが、やれと言われたからにはやるしかない。
「おつかれさん」
「あ、先輩。 お疲れ様です」
まさに“通りかかった”とでもいう雰囲気で、私の隣の席の先輩は缶コーヒーを渡して来た。
苦いのは苦手だ。
前にそれが表情に出たのか、翌日から随分甘い缶コーヒーを差し入れしてくれるようになったこの人。
いつも奢ってばかりではアレだから、いつか返さないとな……なんて、思っていると。
「あ、お前ココ。 誤変換してるぞ」
「え? あ、何処ですか? すぐ直します」
「ココだよ、ココ。 すんごい当て字みたいになってる」
「うわぁ……すみません」
そう言いながらキーボードをカタカタといじっていると。
「こりゃぁ……駄目だな。 結構色んな所ミスってるぞ」
先輩から、辛辣なコメントを頂く。
私だって頑張っているのだ。
精一杯、出来る事をやっているつもりなのだ。
でも、出来ない。
だからこそ責められる。
これが“会社”。
なんて、グッと涙を堪えていると。
「落ち着け、一旦休憩しよ? 疲れてる時なんか頭回んねぇからさ。 今日は帰って旨いモン食おうぜ? 絶対いつものお前ならこんなミスしないだろって所までミスってる。 疲れてんだよ、まず休もう。 仕事はそれからだ」
そんな事を言いながら、先輩は缶コーヒーを傾けつつ私の頭を軽く小突いた。
え? あれ?
これって怒られている訳じゃない?
「で、でも……明日までにって言われて……」
「ちょっと見せてみ?」
手元の資料を先輩が掻っ攫い、険しい顔で睨む。
そして。
「これさ、緊急とか言われた訳じゃないんだろ?」
「えっと、はい」
「だったら問題ねぇよ。 納期も先だし、緊急事案とか会議も……ちょっと待ってな、確認する」
そんな事を言いながら、隣でPCをいじりながら予定表を確認する先輩。
しばらくして、ふぅと息を吐きだし。
「大丈夫、ずっと先の案件だ。 でも、忘れちゃ不味いから早めに片付けておこうって事だったんだろうな。 今日仕上げる必要はねぇよ。 もしだったら明日仕上げて“昨日には仕上がっていたんですが、渡すタイミングが無くて”って言って渡してやりゃぁ良い。 それ以上に時間が掛かりそうなら、外回りに出てましたって言えば何とかなるよ」
「えっと……?」
「だから、今日は帰って良いって事」
先輩の言葉を聞いた瞬間、全身が脱力した気がする。
もはや今日中に帰れるのかって程に追い詰められていたのに、先輩いわく全然急ぐ必要は無いとの事。
「あぁぁぁ……例え完成したとしても、誰に提出すれば良いのか悩んでいた所でしたぁ……」
「ハハッ、俺も似たようなモンだったから分かるよ。 お疲れ様、旨いモンでも食って自分を労わってやんな」
クックックと笑う先輩は、缶コーヒーを飲みほした。
私と一緒で随分と長い時間残業しているというのに、どこか余裕がある。
あぁ、コレが社会人って奴なのかぁなんて思いながらも、先輩から貰った甘い缶コーヒーを口に含んでいれば。
「ただまぁぁ! お腹空いたぁぁぁ! 何なの急に出張って! いざ行ってみれば資料受け取るだけだし! 私は宅配便か!?」
「お疲れ様です、先輩」
「お、お疲れ様です!」
先輩の先輩。
私からしたら頭の上がらない存在が、やけに疲れ切った顔でオフィスに飛び込んで来た。
その顔は、多分昼間のオフィスだったら絶対晒さないモノであっただろうが。
「あ、後輩ちゃんも残ってたんだ。 お疲れ様ぁ~二人共ご飯は?」
「えっと、お昼もまだ……ですかね」
「え、お前昼も食ってなかったのか……オイオイ」
先輩方に呆れた視線を向けられるが、“今日中”と言われた資料を作る為にそれどころではなかったのだ。
なんて、涙目でプルプルしていれば。
「後輩ちゃん。 滅茶苦茶旨い焼き肉と、絶品お家ご飯。 どっちが良い? 確か君も最寄駅一緒だったよね?」
「先輩……そこは焼肉一択だと思うんですが。 なんですか、我が家にご招待でもするつもりですか? 若い女性二人が遅い時間に男の部屋に来るモノではありませんよ」
「私がいくらお邪魔しても手を出さなかったヘタレが言ってもねぇ……」
「……黙秘」
「じゃあ問題ないわね」
何やら只ならぬ関係を匂わせる二人は、おかしな空気を纏いながらも私を巻き込んで来た。
「それで、どっちが良い? あ、もちろん強制じゃないから。 帰って寝る! って言う様だったら、断ってくれても全然良いよ。 これは一個人としての食事のお誘い」
「飲み、の間違いじゃないですか?」
「うるさいぞぉ後輩、別に良いでしょ」
なんて会話を繰り広げる二人は、随分と信頼し合っているご様子。
滅茶苦茶ブラックで、明日にでも辞めてやる! なんて思っていた会社な訳だが、こんな風に信頼関係が築ける事も有るのか。
皆が皆、死んだ目をしているモノばかりだと思っていた。
もちろん、私を含め。
「えと、あの……食べたいモノで言うと……」
普段は絶対に言えない我儘。
でも慣れたこの二人だからというのと、疲れすぎていたのか頭が回らず。
何となく口走ってしまった。
「揚げ物が食べたいなぁって。 その、幼馴染がメンチ食べた~みたいな連絡を寄越してきまして。 だから、私も何かそういうの食べたいなって」
疲れすぎている頭だからこそ、そんな事を言ってしまったが。
普段だったら考えられない。
先輩達に自らの食べたい代物を要求している上、お宅にお邪魔する方向で話が進んでいるのだから。
多分、明日になったらもだえ苦しみながら頭を下げる事例だろう。
だというのに。
「あぁ~揚げ物か。 良いかも。 挽肉は無いけど……野菜は結構あるから。 天ぷらとかならすぐ出来るぞ? 後は鶏肉も有るから唐揚げか、鳥天ならいけると思う。 ソレで良ければ、一緒に飲む?」
「へ? 本当に良いんですか?」
「おぉ~天ぷら良いね、凄く良い。 楽しみにしております!」
「いや、先輩も手伝ってくださいね?」
なんて会話をしながら、帰り支度を始める二人。
えっと、これは。
「ホラ、後輩。 早く帰るよ? 天ぷらとお酒が待ってるんだから」
「早く早く、お腹空いたでしょう?」
すまし顔の二人に促され、私も慌てて帰る準備を始めるのであった。
あれ? えっと?
私はこれから、本当に先輩の家にお邪魔するという事で良いのだろうか?
――――
「うっまぁぁ!」
「揚げたてってなんでこんな美味しんでしょう……ご飯が止まりません」
「あ、それなら天丼にでもする? タレなら結構簡単に作れるし」
「「是非!」」
私達がそんな声を上げれば、先輩はすぐさまキッチンへと戻り調理を開始する。
天丼のタレって……どうやって作るんだろう?
なんて事を思ってチラチラとキッチンへと視線を投げていれば。
「見に行ってみる?」
「良いんですかね? お邪魔じゃありません?」
「へーきへーき」
そんな事を言いながら、私達はお酒を片手にキッチンへ。
こちらに視線を一瞬だけ向けた先輩は「やれやれ」と言わんばかりに呆れた表情を浮かべながらも、そのまま手を動かし続けた。
鍋で煮立たせているアレは……匂いからしてみりんだろうか?
混ぜながら、強火でグツグツ言わせている。
そして鍋を傾けると、その手ににはチャッカマン。
何故、チャッカマン。
なんて事を思っていれば、カチッという音と共に鍋からボッ! と少しだけ火が燃え上がった。
「うわっ!」
「アルコールが残ってると、少しだけ燃えるんだよ。 でもすぐ消える程度だから」
慣れた調子で言葉にしながら、醤油、ダシの素、砂糖を加えて鍋をまた混ぜ始める。
しばらくするとフワッと香る良い匂いがキッチンに広がり始め、その後少しだけ砂糖を加え火を止めた。
そして。
「おぉぉ……」
「天丼、家で作る人初めて見ました……」
どんぶりご飯に、先ほどの天ぷら各種を盛り合わせ。
その上からとろみの付いたタレを”タラ~っ”と掛けて行く。
その光景が、既に凶器だった。
天丼にタレを掛ける瞬間って見た事あるだろうか?
凄く美味しそう。
CMとかになりそうな程、見た目からして食欲を誘うのだ。
こちとらお昼まで抜いているのだ、さっきも天ぷらを頂いていた訳だが、それでもまだまだお腹が空いている。
「さて、食べようか」
部屋に戻り、皆でテーブルを囲んで手を合わせる。
「「いただきます!」」
食前の挨拶を交わせば、すぐさま目の前の天丼にかぶりついた。
すると。
「すっごぉ……やっぱタレがあると全然違う」
「ですね、ガッ! といきたくなります」
「いけいけ、どうせ見てる奴なんか俺らしかいない」
天ぷらを噛みしめれば、サクッと歯触りの良い触感が口の中に広がる。
そして先輩が追加で作ってくれた天丼のタレ。
これだよコレ! と言いたくなりそうなあの味と香り。
ソレの香りが口内から鼻に抜ける。
それだけでも満足出来そうな勢いだが、やはり天丼といえばご飯。
天ぷらの隙間から箸を突っ込み、下のご飯を掻きだして口に含めば。
「ふぁぁ……」
変な声が出た。
天ぷらから零れ落ちた濃厚な甘ダレが、ご飯に染み込んでいる。
もうタレとご飯だけも食べられてしまうよ。
それくらいに、進む。
しかも作り立てだから、タレさえも温かいのだ。
お弁当とかの天丼は、大体天ぷらは暖かくてもタレは冷たい、またはぬるい事が多い。
でもコレは、タレさえも出来立てホヤホヤなのだ。
その影響か、香りが段違いだ。
サクサクと天ぷらを口に含み、タレの掛かったホカホカご飯。
コレは……止まらなくなる。
「でもやっぱ口の中油っぽくなるからな、そんな時は酒!」
「天丼なら何飲むの?」
「俺は普通にビールですけどね。 天ぷらだし日本酒とか良いかもしれませんね、あとはコッテリ系だから焼酎とか?」
「どっちかあったっけ?」
「前に先輩が買って来た奴が冷蔵庫に残ってますよ」
「あいあーい」
随分と慣れ親しんだご様子のお二人を眺めながら、モグモグと絶品天丼さんを頬張る。
旨い、非常に旨いのだが。
目の前の光景もかなり気になる。
「あの、先輩達って付き合ってるんですか?」
「ブッ!」
先輩がビールを噴射した。
その後ゴホゴホと盛大にむせ込みながら、涙目でこちらを睨んで来る。
「つ、付き合ってないです」
「何故私に対して敬語……」
「いやだってあり得ないだろ! 俺みたいなのが先輩となんて!」
「そうですか? 普通にお似合いだと思いますけど」
「どの辺りが?」
「そこはしっかりと食いついて来るんですね」
会社に居る時とは随分と印象の違う先輩に苦笑いを溢しながら、残りの天丼をパクついた。
その途中、キッチンから声が響き。
「ねぇー、焼酎はあったんだけど割るものがなーい」
「あ、それなら日本酒も奥に有りますよー」
「どこー?」
「味噌の近くでーす。 多分タッパーとかに埋もれてるんじゃないですかー?」
「あったー!」
うん、もう何か付き合う云々を通り越している距離感な気がする。
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