第7話 安い居酒屋は捜すと見つかる 2
後輩のおススメ焼肉店に来てから、はや数十分。
というか、数十分しか経っていない。
だというのに、非常に暑い。
熱気とかアルコールとか色々あるが、それ以上に緊張とやらかした恥じらいで色々ヤバイ。
「え、えっと。 カルビ焼きますね?」
「オネガイシマス……」
何やっての? 何やってんの私。
普通に女友達の感覚で、“あーん”とかしちゃったんだけど。
しかも、最初戸惑ってたし。
引かれてないかな!? 大丈夫だよね!?
とか色々考える訳だが、今の所問題なく食事が進んでいる。
新しく届いたお肉を後輩は焼き始めているし、さっきの牛タンだって食べてくれた。
だから、ドン引きされている訳ではないと信じたいが……。
「ご、ごめんね。 なんか」
「いえ、その……俺としては得しかない訳ですし」
思わず謝ってしまうと、相手からはすんごい言葉が返って来た。
得しかないってどういう事?
マジで? お世辞とか冗談じゃなくて?
色々とグワングワンと思考が回り始めた辺りで、私は答えを導き出すのを止めた。
ここで変に勘違いしても痛い女だし、変に遠慮し過ぎても嫌な女だ。
だったら……飲もう。
そして飲ませてしまおう。
「あのさ、もう一杯頼んでも良いかな? 一緒に呑まない?」
「え? あぁ、全然良いですよ。 次は何が良いですか?」
軽い返事を返しながら、彼はカルビを焼いていく。
非常においしそうだ。
私は今まで“居酒屋”という物に対して、お酒が飲めるファミレスくらいの感覚を持っていた。
でも、その常識が覆された。
さっきの牛タン、凄く美味しかった。
焼き立てなのはもちろん、焼き加減もその場で決まるのだ。
そして、焼き手の腕によって味も決まる。
もしも私が焼いていれば、ひっくり返した頃には随分と香ばしい事になっているだろう。
もしかしたら色も真っ黒になっていたかもしれない。
しかし目の前には極上のツマミがあるのだ。
であれば、呑まねば。
そして、羞恥を酔いで忘れなければ。
「えっと、何にしようかなぁ~……って、安っ!?」
お酒のページを開いた瞬間、思わず叫んでしまった。
普通のお店なら生ビール一杯500円前後。
割引やら何やらやっている時で、350~400円程度だろうか。
それ以上に売りたい時期などなら、もっと安くなるだろうが……ココのお値段は、もっと安かった。
嘘やん。
その他のお酒も、チェーン店に比べればどれも非常にお安いモノが多い。
半額以下で飲めそうなお値段のお酒がズラリと並んでいる。
しかしながら、目が飛び出そうなお値段のお酒も置いている様だが。
す、すご……お酒の種類豊富だぁ。
「凄いですよね。 個人経営とは言え、ココまで安く飲める居酒屋は他に知りません。 まぁ、今は余計に割引されている時期みたいですけど」
あははっと軽い調子で笑みを溢す後輩が、こちらの受け皿に焼き上がったカルビを盛り付けていく。
非常においしそうだ。
香りも良いし、見た目も良い。
このままご飯に乗せて、ガッといきたい気持ちにはなるが……流石にソレは女として些か躊躇われる。
のだが。
「おつまみとしては辛口ダレ、ご飯と一緒なら甘口をお勧めします。 変に甘すぎたりしないので、凄くご飯と合いますよ。 それから、ご飯をおかわりしないのであれば半分は残しておく事をお勧めします」
なんて、笑顔で言ってくるではないか。
これはむしろ、ガッといかない方が失礼な気がする。
そんな訳で、焼き上がったカルビを甘口ダレに。
更にはご飯の上に乗っけてから、ご飯と一緒に一口でパクリ。
「んんっ! んっ!」
「気持ちは分かりますが、飲み込んでから喋りましょう先輩」
カルビ。
焼き肉屋に来れば絶対頼むであろう定番メニュー。
でも友達と焼き肉屋に行った時の物よりずっと美味しい。
お肉が良い奴なのかな? なんてメニュー表を見てみれば。
「ふ、普通に安い……」
「特別なお肉~って訳ではないみたいですよ?」
だとすると、やはり焼き方なのだろうか?
あんまり特別な事をしている様には見えなかったが。
焼き上がった後にネギ塩やら胡麻やらを乗せていたくらい。
だというのに、口に放り込んだ瞬間に広がるカルビの美味しい油。
上に乗ったネギ塩と胡麻がアクセントとなり、とんでもなくご飯が進む。
そして何と言っても甘口タレ。
お肉用のタレって何でこんなにご飯と合うんだろうってくらいに、ガッ! っと行きたくなる。
「あ、お酒頼みます? これから来る物の事を考えると、さっぱり系の方が良いと思いますよ?」
「それじゃ、またお勧めをお願いしても良い? ていうかあれ? 後何を頼んだっけ?」
「コイツだ」
会話の途中で店主が扉を開けて、なんだか分厚い肉を差し出して来た。
何だアレ、長いステーキかな?
「厚切りハラミです、焼いちゃいますね。 それじゃお酒も俺好みで頼んじゃって良いですか?」
「あ、うん。 お願いします」
そんな訳で、網の上に乗せられるデッカイお肉。
お肉の種類には詳しくないのだが、凄く柔らかそうだ。
そんでもって、デカい。
とにかくデカい。
「店長ー、レモンサワー2つでー」
「あいよー」
後輩は慣れた様子で肉を焼きながら、片手間にお酒を注文する。
レモンサワーなんだ、確かにさっぱり系だけども。
なんて事を思っていれば、網の上のお肉はもくもくと美味しそうな煙を上げる。
裏返してみれば、こんがりと焼き上がったお肉様。
なんというか凄い。
漫画やアニメで見る様な、でっかいお肉に見える。
「それじゃ切り分けちゃいますね」
そう言いながら取り出したのは、キッチンバサミ。
どうやって食べるのだろうと思っていたが、まさかハサミで切断するのか。
バツンバツンと切り分けられるお肉は、完全に食べやすくカットした後のステーキサイズ。
とは言え表面に切り込みが入っている様で、随分と柔らかそうにふにゃっとしておられる。
「こっちは辛口で食べてみて下さい。 もちろんご飯と一緒に」
「いただきます!」
分厚いハラミに辛口ダレを付けてから、ご飯の上に乗っけてる。
そして、パクリ。
流石にお肉が厚いため、カルビの様にご飯と一緒にとはいけなかったが。
「やば……これはちょっとご飯止まらなくなる」
「ですよね、俺もコレが一押しです」
今日食べた他のお肉に比べれば、ちょっとお高めなお値段なのだろう。
しかし、それも納得だ。
柔らかく香ばしい、そしてとんでもなく辛口ダレと合う。
ステーキの様にガツンと来るのかと思えば、そうではない。
柔らかく、そして噛みしめた瞬間に出る肉油たちは……とにかくご飯が食べたくなる味だった。
お肉、ご飯、お肉と進めたくなる。
ステーキだったら単品でもお酒と合う、なんてイメージが持てるが。
コイツはご飯が無いなんて考えられない。
何と言っても、この辛口ダレが卑怯だ。
お肉だけでも美味しいのに、タレのせいで余計にご飯が進む。
そして。
「お待たせ」
店長さんが持って来てくれたレモンサワー。
コレがまた抜群に合う。
さっぱり系が合うというのは、こういうことだったのか。
コッテリ味のお肉にご飯、そしてお酒。
それこそビールでも合いそうな気はするが、“食事”という事を意識するなら、間違いなくサッパリの方が合うのだろう。
お肉とタレの濃厚味、その後にご飯で満足感を高まらせ、最後にサッパリしたお酒で口の中をリセットする。
この組み合わせは、非常に凶器だ。
「すご……なんか黙々と食べちゃいそう」
「ご飯食べに来た訳ですから、それで良いんじゃないですか?」
とか何とか会話しながら、その後もお肉を焼いていく。
結局最初に注文した分だけで、食事としては足りてしまった。
追加注文はさっきのレモンサワーが2杯だけ。
そして、お会計はと言えば。
「二人で食べて飲んで、3千円ちょっと……安い」
「庶民の味方ですよねぇ、安いお店って」
一番高かったのは最後の厚切りハラミ。
とはいえ、アレも千円を超えていない。
飲み物は安いと感じたが、お肉は“他のお店より少しだけ安い”程度だったのに。
でも多分、その“少しだけ”というのが重要なのだろう。
そしてお酒をパカパカ飲んだ訳じゃないというのも大きい。
更には食べた順番と、しっかり味わって食べたからこそ満足感も凄かったのだろう。
後は料理の出てくる早さとタイミングだろうか。
最初に牛タンとビールで居酒屋感覚を味わい、その後は完全に“食事”。
決め手は美味しい塩キャベツが無料だった事。
コレが普通の居酒屋であればサラダを頼んでみたり、料理が届くまでにもう一杯、なんて事はザラだ。
そんな事をしてしまえば、お会計はグッと跳ね上がっていた事だろう。
「いやぁ……凄い満足」
「気に入って貰えたなら良かったです」
二人してお腹を擦りながら、帰り道を歩いて行く。
安いお店を探すと一口に言っても難しい。
チェーン店では結構価格競争は激しいが、それでも何だかんだお財布に優しい居酒屋ってのは少ないものだ。
色々とセーブして飲めば、結構安く飲めるのかもしれないが。
店で飲みたい時なんて、大概そんな我慢が利かない時なのだから。
なんて事を考えながら、夜空を見上げふぅぅと息を吐きだしてみる。
会社を出たのも結構遅かったというのに、そこまで時間が経っている訳ではない。
本当にご飯に行ったくらいの滞在時間だったようだ。
それでもお酒までたしなんで、この満足感。
良い店と食べ方を紹介して頂けた。
私は、非常に満足です。
「えっと、先輩。 迷惑でなければ、その……送りますよ。 もう夜も遅いんで」
グッと口元に力を入れながら、後輩が気合いの入った顔をしている。
年下だから、私を頼ってくれるから。
そんな事ばかりを考えて、自然と仲良くなっていった後輩が今ではこうして私の事を気遣ってくれている。
ソレが何だが、凄く嬉しかった。
「ありがと、でももうすぐ近くだよ。 ホラ、そこのアパート」
そう言いながら少し先にあるアパートを指差して見れば。
「え? は?」
なんだか、予想とは違う反応が返って来た。
これはどう反応すれば良いのだろう?
なんて、首を傾げていれば。
「えっと、俺はこっちです」
「はい?」
よくわからない言葉を放ちながら、後輩は道向かいのアパートを指さしていた。
本当に目の前、徒歩一分。
「……マジで?」
「最寄り駅が一緒だとは聞いていましたけど……まさかココまで近かったとは」
二人してポカンとした表情を浮かべながら、思わず顔を見合わせてしまった。
数か月以上も一緒の会社に勤めて居ながら、まさか私の後輩がこんなに近くに住んでいるとは思わなかった。
思わずプッと噴き出してしまい、そこからは笑いが止まらなかった。
相手は困った様に笑いながら、どうしたものかと頭をかいたりしている訳だが。
「ねぇ、今度料理教わりに行っても良い? 口頭では教えてもらってたけど、直接見た事ないし。 これだけ近いなら、暇な時にすぐ行き来できるでしょ?」
「えっと……はい。 俺なんかで良ければ、是非」
嬉しい返事を頂いてから、私達は手を振ってわかれた。
道路を挟んで、すぐソコ。
ほんと、何なんだろうこの距離感は。
思わずニヤける顔をどうにか隠しながら、私は自室までの階段を軽い足取りで上って行く。
「転職、もう少し待っても良いかも」
なんたって、徒歩1分。
道を挟んだ向こう側に、“もっと一緒に居たい”と思える相手がいるのだから。
普段の嫌な事を忘れるくらい、今日の私は上機嫌なのであった。
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