第6話 安い居酒屋は捜すと見つかる
「あれ? まだ帰らないの?」
先に仕事を終えたらしい先輩が、俺に声を掛けて来た。
とはいえ、先輩も随分と残業していた様だが。
入社当時から俺の教育係に付いてくれて、未だにお世話になっている女性社員。
俺より少しだけ年上だとは聞いているが、仕事ぶりや見た目は俺なんかより何倍もしっかりしている様に見える。
「うっす……なんか、今日中にこの書類まとめろって言われちゃって。 とはいえ、まとめた所で何処の誰に提出すれば良いのか……もう皆帰っちゃってますよね」
あはは、と乾いた笑いを浮かべていると。
「ちょっと見せて」
先輩がズイッと身を乗り出し、俺とパソコンのモニターの間に割り込んで来た。
近いです先輩。
致し方ない事とは言え、モテないメンズに接近する際は前もって声を掛けて頂きたい。
そんな事を思いながらも、ジッとその場で耐えていると。
「コレ、納期ずっと先だから大丈夫よ。 資料を緊急で使うとかの連絡も入ってないし、今の所会議の予定も入ってない。 その面倒な相手にも、“昨日の内に完成してたんですけど、お渡しするのが遅くなりました!”とか言って明日渡せば良いじゃない。 明日も終わらなそうなら、外回りにでも出ちゃえば言い訳が通るし。 むしろこの仕事振った奴でさえ、覚えてるか怪しいわよ。 特別緊急で使うとか言われてないんでしょ?」
「そんなぁ……言われてないっす……」
その言葉に、全力で脱力した。
定時上がり出来るとは思っていなかったが、こんな時間まで頑張ったのに。
なんでこんなことするの? いじめ?
とか思ってしまうが、やれる内にやっておこうという考えだったのかもしれないので、余り大きな口は叩けない。
とはいえ、文句は言いたいが。
「ホラ、帰りましょ。 明日も仕事なんだし、無理しないの」
「うっす……」
はぁぁぁと、大きなため息を吐いてから帰り支度を始める。
その間も“やれやれ”って表情で待っていてくれる辺り、この人は面倒見が良いと思う。
他の先輩や上司だったら、俺になんか見向きもせずスタスタ帰っちゃうのに。
なんて事を思っていれば。
「今日もスーパーとか行くの?」
急に、そんな事を言い始めた。
最近おつまみ作りにハマっているらしく、ちょこちょこ料理の話題を持ち出すこの人。
話し上手ではないので、こうして俺の得意分野……といったら大袈裟だが、趣味の話に話題を持って来てくれるのはありがたい。
「いえ、この時間だとほとんど良いモノは残ってないので。 割引されて、更に売れ残り。 場所によっては掘り出し物というか、良いモノがあったりはしますけど。 この辺のスーパーだとちょっと。 今日はカップ麺かコンビニ飯ですかね」
もう良い子は寝る時間をとっくに過ぎているのだ。
今更スーパーに行った所で、安くて美味しいお肉様方はとっくにお迎えされた後だろう。
野菜なんてもっと酷い事になっているかもしれない。
安いには安いが、切ってみたら変色しているとか。
冗談の様に聞こえるかもしれないが、わりとある事なのだ。
ま、冷蔵庫に入れて売っている訳じゃないし、一日中数多くの人に触られていれば当然だよね。
「それは何というか……味気ないわね。 私が言えた事じゃないけど」
「とはいえもう冷蔵庫も空に近い上に、あんまり金もないんで。 あはは……」
金があるのなら、今から豪華なお食事処にでも旅立つさ。
でも、無いのだ。
給料日はまだ先だし、給料が出ても贅沢が出来る程の御給料じゃないし。
あぁ、なんだろう。
自分で言っていて、滝の様に目から何かが溢れ出してきそうだ。
「あの、さ。 私が奢るから、ご飯食べに行こうって言ったら……その、仕事だなって感じたりするのかな? 迷惑?」
「……はい?」
急に何を仰っているのだろうかこの人は。
えっと、アレだろうか?
聞きたい内容としては、飲みにケーション的な。
会社からのお誘いは絶対断れない! みたいな、“アレな”扱いになるのかと聞いているのだろうか?
「い、いえいえいえ! そんな事ないですけども。 上司というか、そういうのから飲みの誘いをグイグイ来られると耳なし芳一になりたくなりますけど。 先輩だったら全然そんな事思いませんよ!? あ、いや。 先輩の事を敬ってないとか、そういう訳ではなく」
慌てて言葉を紡いでみれば、先輩は数秒ポカンとした顔を浮かべ。
そんでもって、クスクスと今までに見た事もない表情で笑い始めた。
「何それ。 君、たまに変な表現するよね。 でもま、嫌われてはいない様で良かった」
「あ、えっと、はい。 すんません」
「面白いねって言っただけだから、謝らないの。 何が食べたい? 確か帰る方向一緒だったよね? お酒好きなら、居酒屋とかでも良いし」
「でもそんな悪いですから! ちゃんと自分の分は自分で払いますよ!」
「いいの、今日は私の奢り。 どうしてもって言うなら、次は奢ってよ」
ニカッと笑う先輩。
それはアレでしょうか。
今度もまた一緒にご飯に行ってくれるという事なのでしょうか。
というか余り高いモノをお願いする訳にもいかないし、かと言って安く済ませようと適当な店を選ぶわけにもいかない。
なんだこれ、結構ハードル高くないか?
世の中のモテるメンズたちは、こんな重要な判断をパッと出来る頭脳をお持ちなのだろうか?
だとしたらすげぇ。
仕事も恋も上手く行く訳だ。
なんて、そんな事を思い始めたその時。
「あ」
「お? 何か食べたいモノ出て来た?」
あった、俺が知る限り一軒だけ。
安くて、旨い店が。
俺のアパートから近いって理由で、たまに顔を出す居酒屋。
先輩と最寄り駅は一緒だったはずだが、場所によっては遠回りする羽目になるかも……。
その時は、どうにか勇気を振り絞って「送ります」って言えば良いのか。
頑張れ俺、今日だけは漢になるんだ。
「あ、あの先輩」
「はいはい」
「焼肉とか好きですか? 結構安く済ませられるけど、美味しい所があるんです。 ただその、見た目は古民家というか。 あんまりお洒落ではないんですけども……」
「オッケ、そこ行こ」
「う、うっす」
あんまりにも軽い感じでOKを貰えてしまい、むしろこちらが面食らってしまった。
言い出してアレなのだが……本当に良かったのだろうか?
――――
「ココです」
「おぉ~……おぉ? ココって本当にお店?」
「えぇ。 見つけづらいんですけど、あそこに看板が」
「あ、ホントだ」
やって来たのは、小さい焼肉店。
なんでも地元の知る人ぞ知るって雰囲気らしく、あんまり大々的に看板を掲げていないのだ。
歩きでコンビニに向かった際、本当に偶然見つけたお店だった。
コレが車やバイクに乗っていたら、絶対気付かないでスルーしている所だ。
俺だって通りかかった時、匂いで判断したくらいだし。
「とにかく入りましょうか」
「こういうお店程髙かったりしない? 大丈夫? カード使える?」
「大丈夫ですよ。 飲み過ぎたりしなければ、本当に安く済みますから」
やけにオロオロしている先輩と一緒に、ガラス戸を開ければ。
「いらっしゃい、2人かい? 奥の個室が空いてるよ」
「ありがとうございます。 お邪魔しますね」
カウンターキッチンに立つ店主が、仏頂面で奥の個室へと顎を向ける。
コレ、人によっては怒り出しそうな対応だよね。
とはいえ、慣れてしまえばどうという事は無いが。
そんな訳で、勝手知ったる人の店。
スタスタと歩いて行き、一番奥の個室に失礼する。
「なんか、凄いね。 カウンター以外は皆個室なんだ」
「店主があんまりうるさくする人が好きじゃないらしくて。 だったら狭くても良いから、全員個室に押し込んじまえって事らしいです。 カウンターは、本当に気に入った常連さんのみらしいです」
「なんで焼き肉屋始めたんだろうあの人……ちなみに、カウンターに座った事は?」
「えっと、二度目以降の一人飯の時は基本カウンターです……」
「なんか、ゴメン」
「いえいえいえ! 初見さんを連れて来た時は基本こうなので、本当に気にしないで下さい!」
なんて言葉を交わしながら、先輩にメニュー表を渡す。
特別コレ食べたい!ってものが無ければ、いつもの俺の決めたメニューで満足ご飯がお安く食べられる筈。
もしもちょっとお高くなってしまった場合は、無理をしてでも俺が出そう。
「食べ物はおススメで任せちゃっても良い? その、知っての通り私あんまり料理できないモノで。 良い物頼んでも焦がしちゃったらアレだしね……」
なんだかいつもとは打って変わって、小動物の様に申し訳なさそうにしている先輩。
「大丈夫です、俺が焼きます。 食いたいモノとか、飲みたいモノがあればソレを選んでください!」
グッと拳を握りながら答えて見たものの、今日は先輩の奢りだった。
非常に格好悪い。
「それじゃぁねぇ……焼肉だしビールが良いかなぁ。 女としては、カシス系とか頼んだ方が見栄えは良いかもしれないけど」
「いえいえ、好きな物を美味しそうに食べたり飲んだりする方が好きですよ。 俺は」
「え、あ、うん。 そっか。 それじゃ……その、生ビールにしようかな」
なんだか歯切れの悪い先輩が、メニューで顔を隠しながら生ビールに決定。
いよし、そんじゃ料理は俺が決めちゃいますか。
「店長ー!」
横開きの扉を少しだけ開けて叫んでみれば。
「何にする?」
仏頂面の店長が、すぐさま登場。
「先輩、ツマミとかじゃなくて普通にご飯にしちゃって良いですか?」
「あ、うん。 平気」
「それじゃ塩キャベと、ライス中盛り。 あとはカルビと厚切りハラミに牛タン。 それから生2つで」
「あいよ、待ってな」
非常に淡泊な会話を終えると、店長はさっさと部屋を出て行った。
コレが通常営業。
もしかして怒ってる? なんて思ってしまう程の言動と行動だが、あの人はいつもこんな感じだ。
「えっと、結構いっぺんに頼んだけど平気?」
「大丈夫です、この店なら」
ちょっとだけ不安そうにする先輩に対して、俺はグッと親指を立てるのであった。
すると。
「まずはつまんでな。 ホラ、生とキャベツだ。 すぐに牛タンを持って来てやる」
数十秒ほどで、生ビールと塩キャベツが運ばれて来た。
余りにも早いお酒の登場。
このスピード感が良いのだ、この店は。
変にダラダラ飲ませることなく、スパッと食べて、サクッと帰れる。
驚いている様子の先輩を横目に、それらを受け取ってから二人でジョッキを掲げる。
「それでは、お疲れ様です!」
「お、お疲れ様!」
カキンッ! とジョッキを合わせ、グイッと煽る。
キンキンに冷えたジョッキに、これまた冷えた生ビール。
旨くない訳が無い。
しかし、一気飲みは愚策。
アレは場を盛り上げる為のパフォーマンスであり、普段であれば必要ないのだ。
なんて事を思いながらジョッキから口を放せば、先輩も少しだけ飲んだだけで口を放していた。
そうそう、生ビールだって味わって呑まなきゃ損だ。
「牛タンお待ち」
それだけ言ってスッと皿を差し出し、去っていく店主。
マジで早い。
コレもまた、この店の魅力だ。
「なんか、凄いね」
唖然としている先輩に、思わず笑みを溢しながら火を入れた網に牛タンを並べていく。
そして用意するのは三種類のタレ。
甘辛ダレ、辛口ダレ、そして最後にレモン汁。
最後のはタレと言って良いのか分からないが、取りあえず二人分用意。
「焼くのは俺がやりますから、まずは塩ダレキャベツ食ってみて下さい。 ココのは旨いですよ」
そう言って進めてみれば、先輩は迷う事なくキャベツをパクリ。
すると。
「え、え!? 滅茶苦茶美味しんですけど!? 私の今まで食べていた塩キャベは一体なんだったの?」
大層驚いているご様子だ。
「ここのキャベツ、農家から直接仕入れて居るみたいで。 しかも鮮度を保つために、流水に晒したり、適温に保ったりと色々やっているらしいです。 でもですよ、“こんなもん、店に来なくても食える”って言って、なんと無料なんです」
「あ、あり得ない……塩キャベ無料の店はたまにあるけど、これはあり得ない」
そう、あり得ないのだ。
そこまで鮮度管理に拘りながら、塩加減も絶妙であり、更には塩昆布や胡麻なども入っている。
他のお店なら塩ダレとかを掛けただけのカットキャベツなどが出て来そうな処を、この店は拘った味わいを出しつつも、無料。
コレだけで酒が飲めそうな勢いで、旨い。
というか、塩キャベツとビールだけでも普通にいける。
それくらいに、旨いのだ。
そんな訳で、先輩がハムスターみたいにモリモリとキャベツを食べ始めてしまった。
非常に可愛らしいが、小動物の様だなんて言ったら失礼に当たるのだろう。
なので、言葉はグッと堪える。
「そ、そろそろ牛タンも焼けますから。 カリカリとしっとり、どっち派ですか?」
「あんまり拘ったこと無いから、お任せでも良いかな?」
了解致しました! とばかりに敬礼してから、ひたすらに牛タンを焼く。
俺としては、表面が少し焦げるくらいに焼いた方が好きなのだが。
そこは相手の様子を見ながら焼いていこう。
どうせなら、美味しく食べて頂きたい。
そんな訳で、一枚目は焼け目を付けるくらいにカリッと焼き上げる。
完全に俺の好み。
焼肉専門家とか居た場合、色々と文句を言われそうだが。
果たして。
「えっと、どれに付けるのがおススメかな? いちいち聞いてゴメンね? 居酒屋でも、基本チェーン店しか行かないから」
なんて事を言いながら、困り顔で箸に持った牛タンをタレの上で彷徨わせる先輩。
あぁもう、この人。
本当に年上なんだよね? すんごく小動物っぽいんだが。
普段見た目しっかりしているのに、なんでこう料理系の事になると小動物になるんだろう。
「まずはレモンで食べてみて下さい。 もっとコッテリが欲しければ、辛口ダレで」
「辛口なんだ?」
「完全に俺の好みになりますが、牛タンに甘口は合わないです。 それなら塩で食べた方が美味しいです」
「了解でーす」
軽い口調で返事を返し、焼き上がった牛タンをレモンダレに付ける。
そんでもって、お口の中に放り込んでみれば。
「あ、好き。 私コレ好き。 あんまり牛タンって食べた事なかったけど、コリコリしてる触感も、表面のカリッてする感じも。 あとレモン汁でさっぱりするのもすごい好き。 美味しい!」
良かった、好みにあった様だ。
ホッと安堵の息を溢していれば、パクパクと牛タンを摘まんでは生ビールを傾ける先輩。
大層気に入って頂けたご様子。
ふぅぅと、息を溢していれば。
「あ、ごめんね。 焼いてばっかりじゃ食べられないか。 はい、どうぞ」
……ん?
なんか、先輩が牛タンを箸でつまんで、俺に差し出してきているんだが。
えっと、これは。
「ん? ……あ、んと。 ごめん、私の箸じゃ嫌だよね。 えっと、そっちの箸に変える――」
「いただきます!」
引っ込められそうになった牛タンに、思わず食いついた。
うむ、旨い。
やはりココのお肉様は最高だ。
しかしながら、何故だろう。
いつもより満足感が凄いんだが。
もう、ものすっごい満足なんだが。
俺、ブラックでもこの会社に勤めて良かった。
「えっと、あの、うん。 美味しい?」
「旨いです!」
「なら、良かった」
お酒のせいか、ちょっとだけ顔が赤くなった先輩がそっぽを向きながら、またお酒をチビチビと飲んでいく。
学生時代の俺よ、見ろ。
社会人ってのは良いぞ?
そんな馬鹿な感想を抱きながら牛タンを焼いていると。
「熱くなるのは飯だけにしておけよ? ここはホテルじゃねぇ。 ホレ、カルビと飯。 お待ち」
「店長煩いよ!? あとありがとね!?」
いつの間に顔だけ侵入していた店長が、こちらに向かってお盆を差し出しているのであった。
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