第3話 お持ち帰りうな重と、日本酒
「お疲れさまでした~」
「おつでーす」
非常に適当な返事を返されながらも、僕はコンビニを後にした。
週5程度で勤めているコンビニのアルバイト。
普段は大学に通い、ちょっとしたお小遣い稼ぎくらいの感覚でもう1年くらい勤めている。
それくらいの期間店頭に立てば、色々なお客さんと遭遇するというものだ。
やけにクレームを出したがる人、物品を破損させようと悪戯する人。
コンビニのトイレを詰まらせる人。
なんでそんな事する必要があるの? って聞きたくなるくらい、変な事をする“大人”は多い。
でも、それ以上に“疲れた顔”の人達は多く見受けられた。
毎日の様にご飯を買いに来る若いサラリーマン。
先程初めて会話したが、憂鬱そうな顔を浮かべるOLさんなどなど。
いちいち何かにつけて小言を言って来るお客さんなんかはストレスしかないが、毎日の様に訪れる常連さんが酷い顔をしていれば、流石に気になるというものだ。
だからこそ、ちょっと恥ずかしかったがおつまみの紹介なんかしてしまった。
気に入ってくれれば良いのだが……なんて事を思いながら、スマホを耳に当てる。
「あ、爺ちゃん? いまから帰るね。 夕飯買って帰るけど、何が良い?」
『お疲れ様。 夕飯なんじゃが……急に鰻が食いたくなってしまってのぉ』
「ありゃ、仕事忙しい感じ? わかった、いつもの所でうな重買って帰るね」
『すまんなぁ』
「全然平気。 仕事がんばってね、すぐ帰るから」
そう言ってから通話を切り、行きつけのお店にうな重を電話で予約。
僕は今、大学に近い祖父の家でお世話になっている。
爺ちゃんは小説家。
80近くになっても未だに文字書きの仕事を続けており、締め切りが近くなったり忙しくなったりすると、決まって鰻が食べたいと言い出す変わり者だ。
とはいえ別に偏屈な訳でも無く、店に来るクレーマーな老人たちと比べれば、むしろ尊敬できる人に当たる訳だが。
「お酒は……止めた方が良いかな、忙しそうだし。 とりあえず夜食も買って帰ろう」
そんな訳で行きつけのお店の他に、ちょっとだけ寄り道をして帰る事にしたのであった。
――――
「爺ちゃーん、ただいまー」
「おかえりー。 風呂の準備は出来てるぞー」
「そんな、いいのに。 忙しいんでしょ?」
「ええからええから、入ってこい」
何だかんだ孫として可愛がってもらっている僕は、爺ちゃんに甘えっぱなしだ。
コレじゃいけないと思いつつも、僕が居ない間に何かしらしてくれるので止める事が出来ない。
本当にありがたいと思いつつも、申し訳なくなるというものだ。
そんなわけでお風呂に入り、交代で爺ちゃんが風呂から上がって来ると。
「すまんな、心配かけて。 さっき仕事が終わった所じゃ、久々に飲もう」
そんな事を言いながら、一升瓶とグラスを二つ持った爺ちゃんが居間に戻って来た。
ありゃりゃ、こんな事なら僕が新しいお酒を買ってくるべきだったのに。
なんて事を思っている内に、祖父は二人分のグラスに日本酒を注ぎ始める。
そして、目の前にはうな重が二つ。
そんでもって、夜食用にと買っておいたおつまみが幾つか。
「相変わらず、あの店はちゃんとした弁当箱入れてくれるんじゃな」
「常連のお客さんの場合は、らしいよ? 他のお客さんなら、プラの容器なんだって。 ちゃんと返してくれる人ばかりじゃないんだってさ」
「ありがたいのぉ。 今度菓子でも持って行ってやってくれ」
「うん、わかった」
そんな会話をしながら二人して手を合わせ、「いただきます」と頭を下げてから。
「それじゃ、お疲れ様、だ」
「うん、お疲れ様爺ちゃん」
「馬鹿もん、お前も学校に行きながら仕事してるんじゃ。 お互いに、“お疲れ様”じゃろうがい」
「とはいってもコンビニだし……」
「いつ行っても何でも揃っていて、笑顔で迎えてくれる店番。 そりゃ立派な仕事じゃ。馬鹿にする様な奴は、ろくな仕事が出来ねぇぞ」
「言うねぇ……」
そんな事を言いながら、「乾杯」とだけ言ってグラスを合わせる。
キンッと小さな音が鳴り響き、少しだけお酒を喉に通す。
やっぱり、日本酒は飲みやすい。
もしかしたら、爺ちゃんが弱い酒を選んでくれているのかもしれないが。
それでも、爺ちゃんと飲む時は決まって日本酒だ。
友達と騒いで飲むより、こうして爺ちゃんと静かに杯を傾ける方が、何となく性に合っている気がする。
そんでもって。
「うむ、やはり旨い」
「だね。 チェーン店でも鰻は食べられるけど、こうはいかないよ」
なじみの店で買って来た、うな重。
齧ってみれば皮はパリッと、身はフワフワと口の中に蕩ける。
そして何よりタレ。
甘辛で、じんわりと口の中に旨味と香りが広がっていくかの様。
旨い。
美味しいとかうめぇとかじゃなく、美味って言葉が合うくらいに味わい深い。
それくらいに、奥深い。
自身の好みの基準にはなってしまうが、このお店の鰻は他と比べても頭一つ飛びぬけている気がする。
鰻とはこうやって食べるんだと教えてくれているかのように、非常に印象深く残る味。
これもまた、頻繁に食べているお店だからこそ思う感想なのかもしれないが。
僕にとっては、非常になじみ深い味わい。
でも何度食べても、“旨い”。
そう感じられる。
「それから、酒を合うんだよな」
「飲み過ぎないでよ?」
「飲み過ぎたって、明日の仕事は終わってるわい。 今日飲みたくて急いで終わらせたようなもんだからな」
そんな事を言いながら、ぐびぐびと日本酒を呷る祖父。
ちょっと心配にもなるが、どんな仕事にもストレスは伴う。
だからこそ、コレは祖父にとってのストレス解消なのだろう。
だったら、止めるだけ無粋というものだ。
しっかりと仕事は終わらせたみたいだし。
あまり口煩くならない程度に気を使う程度で、丁度良いのだろう。
「それじゃ僕も、いただきますかね」
「おう、グイッといけ」
という訳で、日本酒をまた一口。
濃厚な甘辛ダレで口が満たされ、至福とも言える口内に入ってくる日本酒。
それは非常にスッキリとしていて、口の中を一度リセットしてくれるような味わい。
もちろん日本酒だから、その匂いや後味は残る。
でも、ビールやチューハイと言った“缶”のイメージがあるお酒と違って、コイツは非常にシンプルなのだ。
どこまでも“酒”であり、酒の肴に合わせる物なのだと実感できる。
個性が薄いと思われるかもしれないが、それこそが個性。
とにかく食事を引き立て、次の一口の為に準備を整えてくれる存在。
それが、僕にとっての日本酒だ。
だからこそ続け様にうな重を掻っ込んでみれば。
「ふぅぅ、やっぱり旨い」
「やはり鰻にはこの酒だな。 旨いし、ちゃんとした満足感が得られる。 ただ食うのではなく、“味わう”事が出来る。 何度味わっても、飽きる気がせん。 食欲を満たすなら簡単だが、こうも満足感を得られる手段を他に知らん。 お高い料理を食えば良いという訳でもないしの」
文字書き故なのか、祖父はちょっと遠回しというか、面倒くさい言い回しをする。
別にソレが嫌いという訳でも無いし、僕は結構聞いていて楽しいんだが。
そして言っている内容に力強く頷いてしまう程に、“旨い”のだ。
鰻とタレの沁み込んだ米を口に放り込み、味わう。
次に日本酒を口に含み、その濃厚な味わいを感じながら口内を洗い流す様な感覚。
祖父には申し訳ないが、鰻の日はやはり良い。
忙しい、切羽詰まったって時じゃないと「鰻が食いたい」って言わないので、たまにしか食べないのだが。
とはいえ一か月に一回以上は食べるので、普通よりかは頻繁に食べている方だろう。
なんて事を考えていると。
「しかし、この鰻をもう食べられなくなると思うと……切ないもんだなぁ」
急に、そんな事を言い出した。
「どういう事?」
「ん? 聞いてないのか? 馴染みのうなぎ屋な、跡取りが居ないから店をそろそろ閉めるって言っておるんだ。 しかも世間はチェーンだコンビニだと随分便利になったからな……あぁお前を責めている訳じゃないぞ? ただやはり、客足は遠のいているらしい。 ま、時代の流れだな。 個人経営はどこも似たようなもんじゃ」
そんな事を言いながら、祖父は悲しそうな表情でグイッと酒を呷った。
コレばかりはやはり仕方のない事。
時代の流れや流行。
何かしら目に留まる情報でもない限りは、やはり店を畳む選択をする外ない所も多い。
しかも、個人経営となればなおさら。
「爺ちゃん、あのさ」
「ん?」
「ココの店、バイト募集とかしてないかな」
何故そんな言葉を紡いだのか、自分でも分からない。
でも、なんとなく。
この味がもう味わえなくなるのは嫌だと思ったんだ。
本当に、ソレだけ。
行きつけの店が潰れてしまえば、今後こうして爺ちゃんと鰻を食いながら酒を飲む機会も無くなるのだろう。
もしかしたら別の物に代わるだけかもしれない、来月からは目の前にピザとか置いてあるのかもしれない。
でもそんな光景、今の僕には考えられなかった。
別に僕達にとっては切羽詰まった状況でも無いし、地元の店が数件潰れるなんてよくある事だ。
でも、僕にとっては。
この店の鰻と日本酒、そして爺ちゃんと酒を飲むってこの環境が、何より好きだったのだ。
「聞いておいてやる。 時給が安くても文句言わないんならな」
「ありがと!」
そんな訳で、近々バイトを変える事になるかもしれない。
でも、後悔はない。
仕事が変わって、手に入る金額が変わっても。
それでも、得られる経験は増えるのだから。
大学を卒業した後はどうしよう、どんな職に就こう。
むしろ今の時代、就職先なんてあるのだろうか?
なんて、先の見えない不安ばかりを抱えているより。
今できる事を精一杯やってみる。
その方が、何となく僕には合っている気がした。
「もしかしたら、余り物の鰻とかもらえるかもね」
「そんなことになったら、毎日飲み会になっちまうなぁ……」
他愛もない会話を繰り広げながら、僕たちはグラスを空けた。
やはり、この店の鰻は旨い。
改めてそんな事を思いながらも、僕たちは今日も酒を飲みかわすのであった。
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