18.帰宅
***
目が覚めてから二週間。僕はすっかり健康体だった。記憶がないこと以外は。
入院していても特に打つ手はないとのことで、案外あっさりと退院することができた。目下、僕が目指すのは”君”の情報を集めることだ。奇妙なことに僕の所持品に“君”に繋がるものは何もなかったのだ。
思い出せた記憶は僅かだ。僕は一日一通”君”に宛てたポエムを綴っていたこと。そしてそのポエムはきちんと封筒に入れて切手を貼り郵送していたこと。
送り先も覚えている。そしてその住所は僕の免許証に書かれたものと一致していた。素直に受け止めれば僕は旅先から自宅にいる”君”に送っていたということになるのだが……。
大変大変残念ながら、”君”が家に居るとは思えない。
同居していたってことは特別な仲ということ。であれば僕が入院している何ヶ月もの間、”君”から何のアクションもなかったのは不自然だ。病院が調べたところ、僕の捜索願いなんかも出されていなかったという。
恐ろしい結論が導かれる。僕はただの強烈な”君”のファンなのかもしれない。”君”とは親しい中でも何でもないということ。
溢れる想いを処理しきれずポエムを書き、それでいて”君”に送る勇気はなく、自分の家に送るという代償行為に身をやつしていたと考えると辻褄は合う。
しかし、……何となくの感覚だが、そうではない気がする。僕の魂が違和感を感じる。
この気持ちは勇気とかそんなレベルの問題で遮られるほど小さくない。僕は”君”にポエムを送りたくて仕方がなかったはず。
じゃあ絶対、”君”は家に居るんだ。……でも、”君”は僕を探していない。
わからない。僕と”君”は一体どんな関係だったのだろうか。
────と、いうわけで。僕は退院してすぐ自宅ではなくまず役所にやってきた。慣れない自分の名前を申請書に書いて住民票の写しと戸籍謄本を取り寄せた。
「……げ、ゲボを吐きそうだ」
一瞬で全身から脂汗をかき、膝がアヘアヘ笑った。
僕に配偶者はない。女性と同居していた経歴もない。
やっぱり僕のこの想いはただの片思いだったのか……⁉︎ 今すぐ君に抱きしめてもらわないと爆散してしまいそうなのに……!
待て。だったら今からでも”君”にアプローチを──、いや、記憶喪失前の僕がしなかったはずがない。ってことはいよいよ、蓋をしていた可能性に直面しないといけないな……。
先日調べ物をしていたところ、興味深い情報に遭遇した。
数年前、何とかいう本の影響で好きな人に延々手紙を送り続けるという手法のストーカーが流行ったらしい。その手口を使えばすぐさま捕まる法律ができたという。併せて指定した送り主からの郵便物を拒否する制度もできた。
多分、僕もその口なんじゃないか? おそらく逮捕され、お勤め後なのだ。
国家を挙げて僕が”君”にポエムを送る行為は禁止された。僕はそれでも止められない想いを鎮めるために自分んちに送るという奇行で紛らわせていた。そう考えれば全て説明がつく。
アプローチはしたが失敗し、それどころか前科を貰い、八方塞がりになったというわけだ。あ、じゃああの交通事故ってまさか……⁉︎
「死に直そっかな☆」
僕が底抜けに明るく宣言すると、周囲の人たちがギョッとした後慌てて僕から視線を逸らした。ここで死ぬともっとギョッとされるだろうし、ひとまず家に帰ろう。
僕はキャンピングカーを走らせて自宅の住所に辿り着いた。全く見覚えないがこれが僕の家か。少し古ぼけた一戸建て。持ち家だといいな。賃貸に死体は大家さんに迷惑だ。
駐車場を使うのは何となく憚られたので路肩に車を停め、道路から自宅を眺める。────すぐに違和感を抱いた。
僕は少なくとも三ヶ月と二週間帰宅していない。キャンピングカーに乗っていたことを考えると、もっと長い間この家を放置していてもおかしくない。なぜか異常な大金を持っていて仕事もしていない風だったし、下手すりゃ年単位で帰らず車生活を楽しんでいた可能性だってある。
だがこの家、全然荒れていない。
塀越しに中を覗くと庭とも通路とも呼べそうな微妙な空間に雑草が生えていなかった。定期的に手入れされている気配を感じる。
かつて僕は塩でも撒いて二度と草木の生えない死の土にでもしたのだろうか。……いや、そんなの効果は長く続かない。
誰かが、ここに、居る。
僕は「ここは僕の家だ」と自分に言い聞かせながら恐る恐るポストを確認した。
「…………数が合わない」
中にはチラシと、「君へ」と書かれた封筒三つ。僕が送ったポエムだ。僕は目覚めたその日からすでにポエムを送っている。日程的に少なくとも一昨日送った分までは届いているはずなので、最低でも十二通ないとおかしい。
大体、チラシの類も少ない。数ヶ月もあれば溢れるほど溜まる。……間違いない。誰かがこの家に居て、郵便物を回収している。
「”君”なのか……?」
胸が高鳴る。僕はポケットの中にある自宅のものと思しき鍵を握り締めた。これと同じ鍵を”君”が持っているんだ。きっとそうだ。
ジリジリと玄関に近づき、いよいよ鍵を差し込もうとしたその時だった。
全身が震えた。全細胞が、警告を告げるかのように激しく振動する。
立っていられないくらいの強烈な眩暈。
吐き気。寒気。
「なん……だ……⁉︎ これ……⁉︎」
この場に居てはいけない。本能がそう叫んでいる。この感覚は、恐怖だ。途方もないほどの恐怖。
────僕はこの家に入るのが怖い。
分からない。分からないことだらけだ。嬉しいはずだろ? 帰りたいはずだろ? 君に会えるんだぞ?
思えば僕は無意識に帰宅を先延ばしにしていた。わざわざ市役所に行かなくったって、あれこれ推理をしなくたって、家を調べるのが一番手っ取り早いはずだ。なのに、どうして僕は……?
記憶がないなんて些細な問題だと思っていた。だけど僕はこの時初めて、寄る辺ない空っぽの存在であることが心細くなったんだ。
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