12.六年目2
*****
「先生……っ!」
病室のドアが蹴破られる。まるで犯罪者が立て篭もる倉庫に飛び込むSWATのようだ。だが僕は犯罪者ではないし、橘さんはSWATではない。
「ご無事ですか先生⁉︎」
彼女はもう無事ではないドアだったものを踏みつけながら、地下にあるモルグの奴らまで飛び起きそうな声量で叫んだ。
「無事なんですか⁉︎」
「えっ、ちょ──」
「ご無事なのか聞いてんだから返事してくださいよ先生!」
「無事だよ! もう暴れないでと懇願できるくらいには!」
「そ、そうですか。え? で、でも……」
僕の懸命な抗議は彼女の声量を抑えることには成功した。しかし彼女は僕の姿を見てオロオロし続けている。
まあ、それは無理もあるまい。僕は包帯を巻かれすぎて顔以外の肌が露出していない。何らかの機械が僕という物体をスキャンした場合「人間」ではなく「包帯」と判定する可能性が高い。見るからに悲惨な状態なのである。
橘さんをパイプ椅子に着席させ、僕は端的に状況を説明する。
「骨は大体折れていて、内臓は大体壊れてる。でも生きてるし、そのうち治るし、書いてる」
交通事故の影響だけではなく、元々の荒れた生活のせいで身体中が悪かったらしい。しかし純な愛の戦士たる僕には神が幸運をギフトしてくれたようで、奇跡的に命に別状はなかった。数ヶ月じっとしていればいいだけだ。
「そ、その状態でどうやって執筆を……?」
「右手が折れたら左手、左手が折れたら口だよ」
「おみそれしました……!」
ポエムにも支障はなかった。口では書ける文字数が限られてしまうのが唯一の難点か。しかし制限の中でこそ芸術は輝く。新境地にたどり着けそうな予感がして、僕はむしろワクワクしている。
「ですが先生、なるべく安静にしてくださいね。死んじゃってもおかしくないくらいの事故だったわけですよね」
「まあ……。でも元々臨死体験しようと思ってたからちょうど良かったよ」
「はぁ⁉︎」
「あ、いや、本当に死ぬ気はさらさらなかったんだけど」
途端に愚かな自殺志願者を見る目になった橘さんに、僕は一から釈明することとなった。スランプに陥ったこと。執筆のためには世界と僕を切り離す必要があったこと。そしてアルティメットバンジー計画の全貌。
橘さんは顔面蒼白となり、聞き終わってから口を開くまでに数十秒を要した。
「……正直、私には途中式も解答も理解しかねます。どちらかというと、絶対に死んでやるという強い意気込みしか感じません」
──確かに、ご指摘の通りだ。今になって冷静に考えると、例のバンジー実行していたら「どれで死んだか分からん死」していた可能性が高い。どうにかスランプを解決しようと躍起になって意味不明な穴に転がり込んでいた感は否めない。
しかし。しかしである。他者からすればどれだけバカらしくとも、
「劇的な変化が必要だっだんだ」
僕は思い通りにポエムを書けない自分に、辟易していたのだ。もしこの苦境を乗り越えられる希望があるのなら、また無茶をしてしまう自信がある。
「で、ですが……。執筆に適した環境を、ご用意できていないのであれば、それは……私の責任です。何か対策を考えますので、その、危ないことだけはしないでもらえませんか……?」
橘さんは一つ一つ慎重に言葉を選ぶ。視線を上げたり、下げたりしながら。一番僕に響く言葉を探すように、どうか伝わってと祈るように。
以前にも見た姿だ。初めて会った時や、無礼な上司を撃退した僕へお礼を述べた時。本当に大事な話をする時の彼女の癖だ。
「先生はきっと、”君”さんへのポエムを書くためだったら何だってやってしまう方なのだとは思うのですが、せ、先生の身に何かあったら……」
しばしの沈黙の後、彼女は勇気を振り絞るように顔を上げ、僕と目を合わせ、そしてすぐに再び顔を伏せる。
「わ、私は悲しいです」
ようやく絞り出した言葉は、担当編集として発したものではなく、彼女自身の言葉に聞こえた。
「……」
軽々に返事はできなかった。彼女はスランプの対策を考えると口にした。だが、彼女にそれができないことは自明なのだ。”君”と僕以外の存在が居ること自体が、スランプの原因なのだから。
しかし、別の言葉は僕に強く響いていた。
「ポエムを書くためなら何だってやる、か……」
僕が呟くと、橘さんは不安そうに視線を寄越した。悪いが一旦受け流す。僕の脳内は今酷く忙しい。「何だってやる」というフレーズは、僕にある思い出を強烈に想起させるのだ。
そうだった。僕はあの日、こう思ったのだ。”君”へのポエムを書くためだったら、「生きたっていい」と。僕にとって、それ以上に苦しい「何だってやる」はなかったのに。
だけど選んだんだ。生きて、”君”のために書き続けると。
「橘さん。……もう大丈夫だ。僕は絶対本気で生き抜く」
何と愚かだったのだろう。あの日立てた誓いに背くところだった。生きてポエムを書き続けることが僕の使命だったはずだ。
橘さんは僕の答えを聞くなり脱力して、昆布のようにくにゃくにゃになった。深い深いため息は肺を丸ごと吐き出しそうな勢いだった。
「先生が本気出したら永遠に生きそうですね」
含み笑いと共に呟く。確かにそうなるかもしれないと思い、僕も笑った。
重苦しかった空気を取り払おうとするかのように、彼女は二度手を打った。そのまま胸の前で手を合わせて小首を傾げる。
「入院、しばらく続くんですよね? 色々サポートさせてください」
「え? ここ山形だぞ……。東京から来てもらうわけには──」
「どうせ海外出張ばかりであまり帰れていなかったので。こっちでゆっくり羽を伸ばさせてもらいます。むしろ休暇になるので助かります」
担当編集にお任せをとばかりに胸を張る。彼女の申し出はありがたかった。僕には他に頼れる人はいない。財布と家の鍵しか持たずに轢かれてそのまま病院に運ばれ、途方に暮れていたところだ。
「ご自宅からお着替えとか持ってきましょうか?」
僕は包帯まみれの身体を無理矢理動かして頷いた。当面は「着る」というより「巻く」生活にはなるが。
「階段上がって手前の部屋のタンスを適当に漁ってくれ。あ、鍵はそこのテーブル」
「承知しました!」
「あ、例の部屋は二階の奥だから、そこには入らないようにしてくれ」
「……承知しました!」
橘さんは鍵を拾い上げ、颯爽と病室を去っていった。機敏なのは助かる。でもお礼くらい言わせてくれ。
そしてもう一つ、言及し損ねた話題がある。もしかしたら、彼女はあえてその話題を避けたのかもしれない。きっと回答が、まだ、あるいは永遠に、彼女の中にはないから。
──僕のスランプはまだ解決していない。
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