第五十六話「壊された絆」

金太郎きんたろうさん……。この先に銀子ぎんこさん、いるでしょうか?」


 金太郎と響香きょうかは、ずっと言葉を交わさずに険しい山道を歩いていたが、ここにきて響香が思わず不安の言葉を口にした。


「わからないけど行くしかない……! 少なくとも角田かくたが行き来していることは、ほぼ間違いないんだ」

「そう……ですね」


 すでに山道へ足を踏み入れてから三十分ほどが経過している。

 ずいぶんと長い道を歩いてきたが、なかなか終わりが見えない状況に挫けそうになる金太郎たち。それでも、お互いに励まし合いながら進んでいく。

 

 しばらくすると周りに生い茂っていた森林が消え、目の前の視界が開けた。

 そこで、ふたりの目に入ってきた予想外の景色──。


「こ……これは……⁉」

「クロスレイドの……フィールド⁉」


 山道を抜けた先のスペースには、寄合所というには到底似つかわしくない巨大な建造物が存在していた。

 それはクロスレイドのフィールド──

 恐らくレイドシステムを搭載したフィールドだろう。


 とはいえ観客席もなければ、他に余計なものは一切なく、実にシンプルな造りとなっている。

 面積的に見ても、野球のスタジアムのような大きさはない。

 屋根を支えるための数本の柱、そして周囲はガラスのような透明な素材で囲われている為、外からでもその全貌が見渡せる。


「な、なんで……こんなものが、こんなところに……?」

 ふたりが目を丸くして驚いていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「……誰?」


 その声に、いち早く反応したのは響香。

 やや遅れて、金太郎も反応した。


 この瞬間、ふたりの脳裏にはある人物の姿が浮かんでいた。

 それは、この声がふたりにとって聞き馴染みのある声だったからだ。


 嫌な予感がふたりの感情を支配する。

 特に響香。

 汗が頬を伝い、その瞳が小刻みに揺る。


 覚悟を決めて振り向く金太郎と響香。

 そして次の瞬間、ふたりの顔に緊張が走った。


「ぎ、銀姉……」

「……銀子さん!」


 そこにいたのは、紛れもなく銀子本人だった。


 だが、金太郎たちの呼びかけに対して、あまりにも不自然な反応を示している銀子。

 顔を合わせて名前を呼んだのにも関わらず、どこか反応が鈍い。


「銀子……さん?」


 響香がもう一度、銀子の名前を口にした。

 すると、返ってきたのは期待していない返事だった。



「あなた────誰?」



「え……ぎ、銀子さん……?」

 響香は動揺を隠せずに狼狽えている。


 いま響香の目に映っているのは、ある意味で最悪のシナリオとも思っていた光景──

 だが、こういう事態を予想していなかったわけではないのだ。

 

 飛鳥あすかの前例から考えて、角田が関わっているのなら想定内の事象でもあった。

 ただ飛鳥の時と確定的に違うのは、金太郎たちの顔を見ても誰なのかわからなくなっていたこと──。


 百歩譲って洗脳されている可能性は覚悟していたとしても、響香にとって銀子が自分のことを知らないかのような反応をしたことの方がショックだったのかもしれない。


 響香は必死で銀子に呼びかける。


「う……嘘です……! 嘘だって言ってください──銀子さん! 私です……響香です!」

「キョウカ? わからないわ。それよりあなたたち……。誰の許可を得てここへ入ってきたの?」

「そ……そんな……⁉ い、嫌……嘘でしょう……? 銀子さん……」


 響香は腰が抜けたようにその場にへたり込み、目には涙を浮かべ、どこか遠くを見つめている。

 金太郎も、響香と銀子のやりとりを聞いて呆然としていた。


 すると、今度は銀子と逆方向──

 つまり今の金太郎たちの背後から、再び聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 正確には響香にとっては聞き覚えのない声。

 そして、金太郎にとっては二度と聞きたくなかった声。



「おい、銀子ォ! 誰だよォ、そいつらァアアア!」



 今度は金太郎の方が、響香より速く反応して振り向いた。

 そこにいたのは紛れもない、あの男────


「か、角田……!」


 金太郎の表情が一気に強張っていく。

 そして、少し遅れて響香が振り向き、角田を見上げた。

 響香は少し怯えたような様子で、警戒したように言葉を口にする。

「こ、この人が……角田……さん?」


 金太郎だけでなく、響香も汗を浮かべて身構えていた。

 角田は、金太郎と響香を交互に見てから、にやりと口元を歪めて金太郎を煽り始める。


「あれェエエエ……? 御堂みどう先輩じゃねェっすかァ? 何してんすかァ……こんなところでェ?」

「か、角田……! おまえこそ……こんなところで、いったい何を企んでいるんだ……?」


 大量の汗を浮かべた金太郎が、質問に質問で返した。

 すると角田は金太郎の質問には答えずに、響香を舐めまわすようにじっと眺めながら、さらに質問で返す。


「なんすかァ……? また新しい女ァ連れて……いいご身分すよねェ。今度はその人が新しいパートナーっすかァ?」

「き、響香さんはそんなんじゃない……! 響香さんは────」


 金太郎がそう言いかけた時、角田が何かを閃いたというような表情に変わった。そして金太郎の言葉を遮るように喋り始めた。

「あ、その人が響香さんっすかァ! 知ってますよォ! 銀子の元パートナーっしょオ? 銀子がよく名前を口にしてたんすよねェエエエ!」


「──っ」

 角田を睨む響香の顔が苦悶に歪む。

 その響香をジロジロと眺めながら、不気味な笑みを浮かべて独り言を呟く角田。

「響香かァ……。いいっすねェ……。思ったよりオレ様の好みっすよォ」


 すると、金太郎が響香を護るように角田の前に立ちはだかり、声を荒立てた。

「角田! 銀姉から響香さんのことを聞いたっていうなら、どうして銀姉が響香さんのことをわかんないんだ⁉ おまえ──銀姉に何かしたな!」


 響香に夢中になっていた角田は、金太郎の質問に苛立ちを覚えながら答えた。

「うぜェなァ……もうわかってんだろォオオオ? 洗脳だよ、洗脳ォオオオオオオ!」


「せ────洗、脳……」

 響香の目が大きく見開かれた。


 金太郎は角田が素直に答えるとは思っていなかった為、少し驚いた表情に変わったが、チャンスとばかりにずっと引っかかっていた疑問を口にした。

 「やっぱり……飛鳥も洗脳してたんだな…………おまえ!」


「ヘっへェエエエ。……だからァアアア?」

 角田に悪びれる様子はない。

 それどころか、逆に金太郎を煽っているようにも見える。


 それでも金太郎は、この機会に可能な限り情報を聞き出してしまおうと質問を続けていく。

「……飛鳥は、洗脳されても俺たちのことを覚えていたぞ? どうして銀姉は、響香さんや俺のことがわからなくなっているんだ⁉」


「飛鳥の時はァ、まだオレ様自身が能力を完全に使いこなせていなかっただけなんだよォ! だがァ……見てのとおりィイイイ! 銀子の洗脳は完ッ璧だろォオオオオオオ⁉」


 金太郎の質問に答えながら、銀子の方へと歩み寄っていく角田。

 その角田の動きに反応するように響香が身構えた。

 金太郎も、角田の動きを注意深く観察している。



「お、おまえの目的は……いったい何なんだ⁉ ……角田!」


 恐らく金太郎が最も知りたい疑問──

 角田の目的。


 金太郎と響香の視線を浴びながら、銀子の方へと足を進めていく角田。

「オレ様の目的ィ……? 前にも言いませんでしたァ? 最初は、飛鳥がオレ様の女にさえなれば、それでよかったんすよォ?」


 角田の言葉に、思わず顔を歪める金太郎。

 そんな金太郎の反応を見た角田が、舌なめずりをしながら続きを口にした。

「でもォ、飛鳥を手に入れたらァ……思い付いちゃったんすよねェ? ついでにオレ様と飛鳥がクロスレイドのダブルス最強のペアとして世界に名前を轟かす夢ェ! そんなのも悪くねェなァ……てねェ!」


「……おまえの目的は、本気で飛鳥だけだったのか?」

「だからァ……そう言ってるっしょオ? まあ、もう飛鳥はオレ様のモンになったわけだしィ……最強ペアの座は、しばらくお預けにしましョ?」


 角田の発言に違和感を感じた金太郎が、疑問を口にした。

「なに言ってるんだ……おまえ? 飛鳥の洗脳は、もう解けたはずだろ?」

「……そう思うなら、思っとけばいいデしョ? ただ──もう飛鳥は手遅れっすけどねェエエエ」

 角田は金太郎の反応を楽しむかのように、はっきりとは答えようとしない。


 しばらく睨み合う金太郎と角田。

 今は過去の話を追求している場合ではないと判断した金太郎が、話題を変えて質問した。

「それじゃ、おまえの目的は飛鳥だったとして……。だったら──どうして銀姉を洗脳した⁉」

「銀子は、まァ……洗脳の実験台ってところっすかねェ?」


「──っ⁉」


 鬼のような形相に変わり角田に飛びつこうとする響香を、金太郎が羽交い絞めにするようにして制止する。

「き、響香さん……落ち着いて!」

「は、放してっ……! 止めないでください──金太郎さん!」


 そんな金太郎たちへ下品な視線を向けながら、ついに銀子のすぐ隣まで到達した角田。そのまま銀子の肩を抱き寄せて、金太郎たちにその様子を見せつけた。

 銀子は微動だにせず、無表情で一点だけを見つめている。


 その様子を見た響香が発狂するように声を上げた。

「うぁああああああっ……⁉」


 角田を殺しかねない勢いで暴れる響香を、必死で止める金太郎。

 その様子を恍惚の表情で眺めている角田。


「オレ様はフェミニストっすからァ! 飛鳥を愛しているからこそ、飛鳥以外の女を真のパートナーにする気はないんすよォ? ──わかるゥウウウ?」


 角田の話では、あのダブルス大会のあと、飛鳥の心が壊れかけてしまったことから、あえて飛鳥の再洗脳を延期したという。

 それは飛鳥を愛しているからだと角田は言った。


 だが飛鳥は七ヶ月前の時点では、いつ回復するかもわからない状態だった。

 そして同時に、どうしても次のダブルス大会に出場したいという野望が、角田にはあったようなのだ。


 そこで一時的な飛鳥の代わりとして目を付けたのが銀子だったというのだ──。



「か……代わ、り……? 代わりって……なんですか……?」


 金太郎に羽交い絞めにされた状態の響香の目から涙がこぼれ落ちた。

 だが角田は、そんなことお構いなしに話を続ける。



 クロスレイドの女王とまで呼ばれ、現チャンピオンでもある最強のクロスレイダー。御堂銀子。

 その美貌と強さが、角田の標的となる要因となったのだ。


 角田は、いずれ飛鳥を再洗脳して自分のパートナーとするつもりでいたが、それまでの代用ペアとして銀子を洗脳したのだという。



「ま──仕方ないっしょオ? オレ様は飛鳥を愛してるんだからァ! それに、オレ様は浮気とかしない男っすからねェ! あくまでオレ様の女は飛鳥だけェエエエ!」


 金太郎に止められながらも暴れる響香を眺めて、笑いながら話を続ける角田。

「むしろオレ様には飛鳥がいるのに、銀子にも『愛してる』とか言っちゃったら無責任っしょオ?」


「あ……あなたって人はぁあああッ!」

 響香が角田に向かって大声で怒鳴りつけた。

 だが角田は、それすらもエネルギーに変えて答える。


「でも、まァ──。銀子も結構気に入ってるんすよォ? だからァ……銀子は今後もずっと飛鳥の代用品として使ってやってもいいと思ってるんすよォ」

 角田は、わざと銀子とのツーショットを響香に見せつけながら言った。

「ま────言うならサブっすねェ!」



 その瞬間──

 響香が空に向かって咆哮した。


 空気は震え、伝播し、広がっていく。

 天を仰ぐ響香の目からは、大粒の涙が溢れ出ていた。


「ぅうっ……あぁああああああああっ……!」


 まるで響香の心の痛みが伝わってくるかのような、悲痛を帯びた叫び──

 辺り一面に悲しみの声がこだまする。

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