第105話 将来の予測

山野が教壇から降りようとしていると、珍しく酒井が質問して来た。


「ちょっと山野さん、良いですか?」

「どうした?」

「貸借対照表と損益計算書の2つだけで、会社の状況のどれくらいが分かるんですか?」

「そうだな。凡そだな。」

「凡そって、どれくらいですか?」

「8割くらいだな。」

「8割ですか?結構ありますね。投資家は、誰もがその勉強をしてるんですか?」

「いや、投資家と言っても、様々なタイプがある。樋野は、財務諸表って勉強してるか?」


そう山野は酒井の肩越しに、教室のスミにいる樋野に声を掛けた。

樋野は、祐香と話していたが、山野の声が届くと、顔を向けて少し大きめの声を出した。


「まぁ、あんまりやらんな。やった方が良いとは思うけど、絶対必要だとは思わない。」

「だろ!?」


声が届くと、なぜか山野はちょっと上から目線気味に言った。

そのことを、友紀は不可解に感じた。



財務諸表が投資には必要だから、山野は教えてくれているはずだ。

しかし樋野は、余り重要視しないと言う。

それを山野は、なぜか自慢げに認める。

山野の行為を、友紀は全く理解できないからだ。



「財務諸表の勉強は、余り意味が無いんですか?」

「いや、そんなことは無い。」


思い余って友紀が尋ねると、山野は直ぐに否定した。

友紀は、肩透かしを食らった気がした。


「でも、今、樋野先生は余り必要じゃないと言いませんでした?」

「言ったよ。」

「じゃ、辻褄が合わなくないですか?」

「合わなくは無い。」

「どうしてですか?」

「投資は、将来を先取りしなければならない。店でも、客の好みはどんなのかを予想して料理を作る。その結果が数字となって返って来る。分かるか?」

「はい。」

「その数字が財務諸表なんだ。だから、あくまで過去の実績が書かれているだけで、将来のことは、何も書かれていない。」

「なるほど。」

「ただ、何の材料もなく、将来を予測しろと言われても、無理な話だ。」

「確かにそうですね。」

「そこで財務諸表ってことだ。」

「財務諸表は、将来を予測するための資料ってことですか?」

「そう、樋野は財務諸表を使わずに将来を予測する。だから、絶対に必要だと言わなかった。」

「はい。」

「でも、オレは違う。オレは、樋野みたいに財務諸表以外から将来を予測することができない。だから、財務諸表が必要なんだ。」

「なるほど。人それぞれなんですね。」

「そうだ。前にも言ったが、投資には受験勉強みたいに正解が無い。勝てば官軍負ければ賊軍と同じで、儲けられるヤツが正解なんだ。」


そう山野が言い切ると、2人の話を聞いていた祐香が授業外だからだろうか、珍しく質問して来た。



「それなら、知識はあっても、儲けられない人はどうなの?」

「そんなヤツらは、投資評論家という名前で、ゴマンといるよ。儲けられないヤツの話は、大事なところが欠けている。」

「大事なところとは?」

「それがまた、投資法によって異なるんだよ。それに気づいて克服出来れば儲かるし、克服出来なかったら儲からない。樋野は、どうだ?説明出来るか?」


山野は、祐香の向こうにいる樋野に声を掛けた。



「何だよ、お前が説明しろよ。」

「オレのは体験しないと理解できないのは知ってるだろ。」

「ったく、しゃーないなぁ。」


樋野はそう言って頭をかきながら近づいて来た。

そして、ゆっくりと説明し出した。



「短期投資ってのは、騰り始めたら買って、その動きが鈍ったら売るだけなんだ。それを色々と飾り立てて凄そうに話すのが評論家だ。その言葉通りやり続けられたら儲かるんだが、彼らはやり続けられない。」

「どうして?」

「予定外、計画外のことが起こるからだよ。」

「予定外?」

「動きが急変することが稀にある。その時に、対処出来ないんだ。」

「用意してないんですか?」

「いや、用意はしている。でも、現実に起こると、戸惑って動けなくなってしまうんだ。例えば、買値より下回ったら損切りすると決めていたとする。それで利益を少しずつ積み上げていた矢先に、大きな売りに押されて急落する。大口の売りが出て、逃げ場の無い状況だ。気づくと、ここ1ヶ月の利益がムダになるレベルだ。それでも、切らないといけないんだが、評論家はできない。急落後の急騰があるんじゃないかと期待して持ち続けてしまう。その結果、戻れば良いが、更に下がれば2ヶ月分の儲けがムダになる。」

「どうして評論家は売れないの?」

「売ることができたら、評論家なんかやらずに自分で売買するだろ。その方が段違いに儲かるのに。」

「なるぅ〜〜〜。」


樋野に説明されて祐香が頷いていると、開始のチャイムの音が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る