第106話 災害時

教室内に、開始のチャイムが響く。

樋野は、条件反射的に顔を上げてスピーカーと、その隣にある時計を見た。


「ほら、山野のせいで休み時間無くなったぞ。」

「悪い、悪い。」


樋野がブータレながら言うと、山野は軽く謝った。


「お前らも、いいのか?トイレ行ってないぞ。」


生徒たちは、みんな山野たちの話に聞き入っていて、教室から出ていなかった。

だから、樋野が気遣ったのだ。



「今から行ってよいですか?」


莉央が小さく手を挙げながら言う。


「いいぞ。」


樋野がそう言うと、莉央だけでなく、友紀、陽菜、更には岡崎も教室を飛び出して行った。


「ったく。オレの時間が・・・。」


樋野が腰に手をやって怒っているのを見ていると、山野はなんだか笑けてきた。

最初は教えることを嫌がっていたくせに、1ヶ月も経たないうちにエラく変わったものだと思ったのだった。



4人は、順次、トイレから戻って来た。

最後は友紀と陽菜で、開始が5分ばかり遅れた。

全員が揃うと、莉央が号令をかけた。

礼が終わって着席すると、樋野は直ぐに説明を始めた。



「山野がやってる戻り待ちってのは、下がってもなるべく早く戻って来る銘柄を選べるかどうかが、成否のカギを握っている。逆にオレの損切り投資は、下がれば切ったら良いだけ。簡単だろ!?」

「はぁ・・・・。」


なぜか、樋野に顔を凝視されながらそう言われた酒井は、多少たじろいだ。

樋野は時間が短くなったことが表情に出ているだけなのだが、酒井には自分が睨まれているように見えたからだ。

そんな酒井の感情を他所に、樋野は話を続けた。



「ただし、さっき言ったように、予定外のことが起こって、それが出来ないことがある。例えば、東北の震災の時だ。」


そう言って、樋野はその時のことを話し始めた。

震災が起こったのは今から11年前。

樋野もまだ学生で、投資家になる前だ。

だからこの話は、樋野が他の投資家から聞いた話だった。



2011年3月11日は、金曜日だった。

大引け直前の14時46分に地震は起こった。

その揺れは大きく、関西でも体感出来た。

ゆっくりした鈍い揺れと言う形で、関西まで伝わって来たのだ。

それを感じた人は、まさか地震の揺れだとは思わなかった。

それくらい異質なものだったのだ。



50分にはテレビで速報が流れ、東京証券取引所も売りに押された。

ただ、下落幅は日経平均で200円程度。

地震の被害が分からない関西人から見れば、市場は狼狽していないと映った。

だから週明けには、何事も無かったように戻るだろうと考え、売るのを止めた人が多かった。

ところが引け後に、大津波が東北を襲う。

更に大津波を受けて電源消失となり、福島の原発が爆発した。

その被害は、日本人なら誰もが知るところだ。



だから週明けの14日(月)は、開場と共に大きな売りに押された。

買われたのは、震災復興関連の1893五洋建設くらいだった。

つまり、ほぼ全ての銘柄が、一方的な売りに押されたのだ。

こんな時は、予定通りの株価で損切りすることは出来ない。

その水準では、売買が成立しないからだ。

運良くてストップ安、悪ければ翌日もストップ安となる水準なのだ。



つまり、それまでコツコツと積み上げて来た半年分程度の利益を、一気に吐き出させられることになるのだ。

損切り投資は、こんな時でも、涼しい顔をして切ることが要求される。

コレがあるから、損切り投資は戻り待ち投資より効率が良いと言える。



「予定通りやろうとしても、出来ない時か・・・。」


莉央が独り言のように呟いた。


「そこでだ、上原。」


そう樋野は言った。

酒井から、今度は隣に座っている上原に、ターゲットを移したようだ。

上原自身は、急に名字を呼ばれたことに驚いていて、返事を忘れていた。


「上原、返事!」

「はっ、はい。」


横から酒井がそう言うと、上原は思い出したように返事をした。

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