第5.5話 発火した熱情


_____「シェリルのバカ…」



 これ以上言い争いたくなくて、自分の部屋に逃げ込んでしまった。

一年間ずっと耐えてきた欲望をぶつけるように重なりあったベッドを見ると、余計に胸が痛くなる。


 柔らかくて冷たい肌を愛でる度に、苦しそうでも甘えた声で求めてきて、抑えが効かないぐらい、愛し合ってた。


僕の名前を何度も読んで、好きだと言って。


 彼女が心を開いてくれたあの夜は、夢だったと思いたい。そうじゃないと、僕はもう、元に戻れそうにない。


 シェリルが言ってた言葉は嘘じゃないと分かってるのに。

 でも、許せない。僕が人間であることが理由で別れたいなら、もっと早く言って欲しかった。


どうして僕を求めた?

昨日より前だったら、もっとちゃんと、踏ん切りがついたと思う。だけど、あんなに愛し合ってからじゃ遅いよ。



もっと本気になってしまったのに。


「好きだ…」

 自分でもどうしてなのか分からないほど、彼女が好き。出会ったとき、どうしてもこの人じゃなきゃダメだと思ったほど、好きだ。

 諦めきれない自分、凄く苦しくて、苦しくて………。


僕にはシェリルが必要だ。でも、彼女はそこまで必要としてない。替えの利く、ただの人間だから。



___「おい人間!!人間!!引きこもってないで出てこいっ!!」


 ただ情けなく泣くしかなくて、一人部屋に籠っていると、甲高い鳴き声と一緒に声が部屋の外から聞こえてくる。

シェリルのコウモリ……僕を呼び戻そうとしているのかな。今はもうなにも、話なんか聞きたくないのに。



「シェラミアさまがたおれたぞ!!お前、なにした!!なにした!!」


「えっ…」


 聞こえてきた言葉に一瞬耳を疑った。シェリルが命じて、僕を部屋から出そうと嘘をついているんじゃないかと少しでも思ってしまった自分が酷いと思う。


 扉に体当たりする小さな衝撃も加え、煩く鳴くコウモリの訴えに少し扉を開けてそこからリビングの方を向く。

 リビングと廊下を隔ててる少し開いた扉の向こうの床に、白く細い手が倒れてるのが見えて、すぐに飛び出した。


「っ!!シェラミア!!」


コウモリたちで埋め尽くされたリビングに飛び込み、床に倒れてぐったりしている彼女に駆け寄って抱き上げた。


 体はさっきほんのりと熱かったのがさらに熱く火照っている。凄い熱だ、さっき抱き締めた時におかしいと、気づくべきだった。彼女は病気にならないと言っていたけど、どうして。


「シェラミア!どうしたの聞こえる?シェラミア!!」


_「たいへんだ!!たいへんだ!!」


_「シェラミアさまがたおれたぞ!!」


_「死んじまう!!死んでしまう!!」



死ぬ……!?だ、駄目だ、駄目!!別れるだけならまだしも、死ぬのは駄目だ!!


「シェラミア!!目を覚まして!!お願いだからっ!!」


「っ…………」



 コウモリたちが煩く騒いでいるのも相まって、パニックになる。少し反応はあったものの、白い肌に紅がさしたようにほんのり赤くなった彼女は、ぐったりしていて意識がない。でも吸血鬼を診れる病院も知らないし!!



「じいさまに報告だ!」


 扉を叩いてたコウモリがそう発言したことで、ハッと思い出させられる。そうだ!!シェリルのコウモリの執事さんがいた!!あの人ならどうすればいいか分かるはず!!


「じいやさんに連絡取れる方法はある!?」


「あるぞ!あるぞ!!じいさまに報告だ!!」


 コウモリの一部はまたゾロゾロと黒い列を成してAmazonの段ボールに戻ったと思うと、そこから黒い黒曜石の立派な鏡を持ち上げ、バサバサとテーブルの上に置いた。


…って、鏡??

鏡で一体何するの??


「じいやさま!!じいさま!!」


 コウモリが黒い鏡の前で呼び掛けている。まさか、この鏡の中に入っていることなんてあるわけがない。と思って見ていると、黒い鏡の中が渦を巻き始めた。


 え?あ、もしかして、そういう機能のついた連絡機器みたいなものなのかな?…って、そんなこと考えてる場合じゃない。



まだ熱に犯されている彼女を抱き込み、鏡の前に一緒に行くと、鏡に呼び掛けていたコウモリの前に、ニョッと黒い渦から現れた見覚えのあるコウモリの顔が飛び出てきた。


「煩いのぉ……ほいほい、今出ますぞ出ますぞ………って、なんじゃ、どうしたのだ?姫様の所に無事たどり着いて…」


「じいやさんっっ!!!!」


「ぬぉぉい!?びっくりした!!なんじゃ!!お前さんか!!シェラミア様を拐った泥棒人間めっ!!」


 コウモリの後ろからいきなり声をかけた僕に、驚いたようにじいやさんがバサバサ羽をばたつかせて鳴く。泥棒なんて言われたけど、そんなことは今どうでもいい。


「ねぇじいやさん!!シェラミアが倒れたんだ!!どうしたらいい!?」


「は?なぬ?、姫様がどうしたと」


「倒れたんだよ!!熱を出してて、ぐったりして、意識がないんだ!!」


「な、なんじゃと!?吸血鬼であるというのに、熱を……!?」


 吸血鬼は病気にかからない。熱を出して風邪を引くこともないというのにとじいやさんは、僕の腕の中にいるシェラミアの顔を覗き込み、彼女の赤くなってうなされている様子を見て、驚愕した。



「こ、こここ、これはっっ………!!なんということじゃっ!!」


その大袈裟な程深刻な驚きように、僕は全身から血の気が引いてくる。


「お………おぉ………恐れていた事態が…」


「そ、そんなに重いんですか!?彼女はっ…」


「なんということじゃ……下手したら、死に至る病!!なんという事をしてくれたのじゃ」




 死に………至………る??

まさか、そんな。そんなに重い病気を患っていたなんて、知らなかった。まさか、別れ話っていうのも、この先、僕よりも長くない病気がある事を知られたくなくて………?


 ぐったりと力なくうなされている彼女の火照った色気のある顔を覗き込む。

 愛しい彼女。まさかそんなことだとは思ってなかった。吸血鬼である彼女が、僕より先に死ぬなんて事を心配してなかったから。




「シェリル…シェリル!!嫌だよ!!そんなに重い病気があるなんて知らなかったんだ!!」



「そりゃそうじゃろお前さん」



「嫌だ!!彼女が死ぬのは嫌だ!!何か、方法はないんですか!?彼女が生きられる方法は!?」



「あるにはあるが、だいたいこうなったのはお前さんのせいじゃ、馬鹿者が!!」



「そうだ!!僕のせいでこんなことに!!シェリルぅぅぅーー!!」





……………………………………………………………………………………………………。




「え?」


暫くの沈黙の後、周りにいるコウモリと同じように、涙で濡れた目をパチパチさせながらじいやさんの方を向く。


鏡の向こうのコウモリは、僕を睨みつつも、諦めたようにため息をついていた。



「え、待って。僕のせい?」


「そうじゃ」


「なんで!?こうなったのには僕が原因ってこと!?」


「そうじゃ」


「なんで!?」


 そうじゃそうじゃとしか言わないじいやさん。一度落ち着いてシェリルを眺めながら考えたけど、そんな覚えなんかない。インフルエンザには今年掛かったことないし、感染症も今はない。


 第一、シェリルがいつもと違ったのは今日だ。昨日初めて一緒に夜を過ごしたからいつもと違ったように見えたかも知れないけど、帰ってきた時に見た彼女は、いつもよりどっか色っぽくて恥じらってて、それにほんのり温かい体温があった。


でもそれだけだ。昨日触れていたときは普通だったと思うし。


それでも、じいやさんは、お前のせいじゃ、そうじゃそうじゃと繰り返してるので、僕はムッとして言った。



「教えてくださいよ!!何が起きてるんですか!?」


「……わしとて信じたくもないが………はぁ…こうなる前に、姫様をお救いしたかったものじゃ」


「だ、だから、なんですか?彼女の病気って。僕のせいって、一体どういうことですか!?」


「まぁ、はっきりざっくり、言うとなれば、シェラミア様を襲った病は…」



羽を畳み、じいやさんはあくまでも落ち着き払った様子で僕と抱えた彼女をチロチロと視線を動かして見てから、その病気の正体を口にする。




「"発情期"じゃ」



…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………..。





_______今、なんて????


_______発、情、期………………????






「発情期っっ!?」


斜め後ろから射て来たような衝撃的な答えに、思わず叫んでしまった。


「どういう事!?発情期でっ…っていうか、発情期って、動物がなるアレじゃないの!?」


「お前さんら人間かて発情するじゃろうがー?吸血鬼の女子がなる発情期というのは、ちょっと特殊なものでの…」



 一体どういう事かと言うのを、じいやさんはいまいち整理のつかない僕に説明し始めた。


「吸血鬼というのは、お前さんも知っての通り、元は屍。生殖能力はない。しかし、吸血鬼の祖ヘカテに連なる純血吸血鬼ならば、可能性は少ないが、相手が吸血鬼でも人間でも繁殖が可能。故に、シェラミア様のような純血の姫は、重宝されておるのじゃ」


「へぇ~……それで?」


「吸血鬼の純血一族の姫には、繁栄の為の本能と言うべきか、体に大きな負担をかけるほどに、理性がぶっ飛ぶ激しい発情期が来る時がある。稀ではあるがその条件というのはお前さん……呆けておるが、発情期って何のために起こるのか、分からんでもないよな?」


「そりゃ、発情期っていうのは………………」



それぐらい僕でも知っていると答えを言おうとした時、言わずともじいやさんの言おうとしてることが分かってしまった。



そしてそれが、僕のせい、という意味を。



「その病は、子を作るのに適した相手を見定めた時に起こる発作じゃ」



「………えぇぇぇぇっっっっ!!!!!!!!」



 じいやさんのとどめの一撃で、悲しみと絶望からの気持ちが、急激に羞恥心へと変わって、頭から煙が出そうな程、体が熱くなった。僕の腕で、苦しそうに唸っている美しい彼女の存在も感じていれば、僕の方がむしろ倒れそうになる。



「ま、ままままままま……まじで………?」


「ようやく気づきおったか、こんの、ど阿呆めが!!!!大事に育ててきた姫様を汚し、発情期に仕立ておって!!!!まさか姫様も、こんな……こんなパッとしない男にそそられたとは………」



 凄い酷い事を言われた気がするけど、そんなの気にならない。むしろこの後の、「今までの交際相手には発情しなかったのに」という涙ながらの発言の方が気になった僕はどうかしてるんだろうか。


「じいや、人間だけはいかんと言いつけておりましたのにシェラミア様ぁぁ~………という訳での、お前と間違いが起こる前にと引き取りたかったのじゃが、無理矢理引き剥がそうとすれば、これそのように、下手すれば死ぬ」



「な……なるほどです………」



そうか、これ、苦しそうにしてるのはそういうことで、体の熱は単に…僕への"発情"。

事実を知ってしまった今、嬉しいんだか恥ずかしいんだか、なんだか、分からない。




「えぇっと………その場合、僕はどうしたらいいんですか、ね?」



「…不本意ながら、お前さんが姫様を鎮める他なし。無理矢理引き剥がそうとすれば、姫様がショック死してしまう」


 鎮める。って、だよね?いや、他に何がある?正直僕としては、全く嫌じゃないしむしろ、ウェルカム。

……というやましい心の声は、漏らさないようにぎゅっと表情を固めた。



「ということは、じゃあ僕達、別れなくていいんですね?」


「勘違いするでない!!!!発作が収まるまでじゃ!!」



 強く「これ以上の交際は、断固反対!!」と念を押され、周りのコウモリ達からも睨まれた。やっぱり、凄く恨まれてる。あの雪山のお屋敷からシェリルを連れ出したことを。

しかもあぁいう流れになったとはいえ、彼女と親密な関係になったことまでこんな形でバレて、余計に。


苦しんでいる彼女にもじいやさんにも、申し訳ないとは思うけど、嬉しい自分がいる。


 だってこれって……彼女が欲情してくれてるって事だ。普段あまり心意を表に出さない彼女が、僕に……。そうか、昨日のことは全部、本当だったってことになるんだよね?


……凄く、嬉しいです、はい。



「お前………良からぬ事を考えておるな??」


「ふぇ?」


「顔にスケベ心丸出しじゃ」


 じいやさんにそう言われ、黒い鏡にうっすら写る自分の顔を見る。…ほんとだ、めちゃくちゃにやけてる。出さないようにきつく意識してたつもりなのに、出てた、やばっ。



「一つ、はっきり、忠告しておこうぞ。お前に預けるのは、あくまでも!!発情期が収まるまでじゃ!!その間に、子でも孕ませる事があれば!!いくらシェラミア様の御手付きでも容赦せぬぞ!!!!」


「わ、分かってます!!ちゃんとするんで!!」


「緊張感のないたわけ者め!!!!その発作は本来吸血鬼同士での交配現象なのじゃ!!下手すれば死を伴うものと言うのに!!」



 なんでこんな軟弱な現代者なんかに~!!とか嘆かれては、避妊しろ!!絶対に!!と目を充血させながら繰り返しコウモリに睨まれながら念を押され、僕は分かってますと頷き続けていると、腕の中の柔らかくて心地のいい感触がもぞっと動く。



「うぅっ…あっ……っ……」


 発情期の熱にうなされて頬が高揚している彼女はとても艶めかしく、美しい。今までの君、昨日の君よりも挑発的で誘惑する色気があった。



 本人は苦しんでると知っていながらも、やましい心から早く解放してあげたいという、最低な考えが早速浮かぶ。



「姫様、姫様!」


 少しだけ反応があった彼女の事を見て、じいやさんが声をかける。意識が戻りつつあったせいかその呼び掛けに反応したように動き、彼女の睫毛が開いて、綺麗な輝きがある薄紅の瞳がようやく見えた。



「じい…?……聖、也………?」


「僕だよ、シェリル」


「……っ!痛いっ」


 彼女の言葉に僕が答えた時、苦しそうに胸を手に当てビクンッと体が跳ねた。



「どうしたの?どこが痛いの!?」


僕が彼女の体を支える力を込めると、彼女はハァハァ言いながら体をよじり、僕から目を反らし、じいやさんの方を向いた。



「じいや…おかしいのだ……私はなんだか変だ……心臓がバクバクして収まらぬ……私は、死ぬのか…?」



「おぉぉ………おかわいそうに姫様!!もう少し早く帰ってきてくださればこんなことには」



と、言いつつ、じいやさんが僕を睨んだ。分かってますってと口パクで返す。


 そんな目を向けられても、僕だってこうなると思ってなかったんだもん。



 ぽやっとした表情の彼女から汗が出ているので拭き取るように撫でると、また呼吸が荒くなる。その度に、僕にはどうしていいのか分からなくなってくる。


 こんなこととはいえ、彼女の合意もなく手を出す事はしたくない。というか、どう説明すべきなのこれ?



「じいや…どうしたのだ私は……ずっと熱くて堪らない」



「姫様は発情期を迎えられたのですじゃ」



きっぱりとシェリルに伝えたじいやさんの発言に、思わず彼女を撫でる手を止めた。


そんなはっきり伝えて大丈夫?と思ったのもその心配事通りで、じいやさんの発言を聞いてから数秒、間が空いた後。




「…………は?」


 シェリルはなんとなく想像がついていた反応を見せた。


「発情…だと……?なんだ、それ」


「ざっくり申し上げますと、シェラミア様はそこの人間と子を成したいと疼いている状態でございます」


「じいやさん、その説明だとちょっと何か飛び越えてるような気がす………」


「はぁっっ!!!?何を言うか!!!?冗談も大概にしろっっ!!!!」


 顔を真っ赤に紅潮させたシェリルは、僕の体を退けて腕から飛び出した。


 彼女にも発情期の意味が伝わっているよう。あわあわと口を動かして慌てている姿も、また可愛くも面白くも見える。だけどそんなシェリルにも冷静に、慣れきっているせいか「事実です」とじいやさんは言い切った。



「な、何かの間違いじゃないのか」


「間違いを犯されたのはシェラミア様でございましょう。全く、人間相手に発情期を起こすとは……やはり骨抜きにされておりましたか」


「まさかこんなっ………」


「その人間を見てどう思いますか?さっさとまぐわりたいという気持ちになりますでしょう。拒絶され、胸が苦しくなったり体調が悪くなったりしましたでしょう?そういうことです」


「う、煩い黙れっっ!!!!」



凄い容赦なく、次々に指摘を入れていく追撃。

彼女はあたふたしていて、こっちをチラチラ伺っているものの、全然振り向こうとしない。



「そういうわけで、コウモリどもは一度帰らせます。収まりついた頃にまた伺わせますので」


「じい!!別れろと言っといて今度はくっつけと!?薬か何かないのか!!」


「姫様がその男を好いておりますなら、薬なんぞ必要ございませんじゃろ。というかそんな薬はございません。じいの言うことを聞かなかった姫が悪いのですぞ~」



「だっ……どうしろと言う!?今までこんなことはっ………!!」



 困惑しているシェリルをよそに、勝手にベランダの扉が開く。じいやさんの言った事は冗談ではなく、本当にコウモリの群れは一斉に外に羽ばたいていってしまった。


「待て待て待て待て!!お前たち!!何かの間違いだ!!昨日は久しぶりに動いて少し体調が悪いだけで……」


「そんな惚気はじい、聞きとうございませぬ」


「惚気てないっっ!!!!歩き回って疲れたと言う意味だっっ!!!!」


照れ隠しか、必死に否定している彼女に、じいやさんは、ほう?と疑いの目を向けてから僕のほうにひょっと頭を向けた。


「なら別れて帰ってきてもよろしいんですぞ?そうなさいますか?」


「………それは」


「ほぅれ、嫌なのでしょう?苦しいのでしょう?強がって苦しい思いをするのであれば、素直に受け入れてください。では、ごきげんよう」


「まっ………」


 さすが伊達に長く仕えた人はあしらいかたも分かっていると言うか、シェリルのツンものらりくらり交わしてさよならと鏡の中から消えた。

シェリルは手を鏡の前にかざしたまま、じっと動かず止まる。残された僕達の間に、静寂が流れた。





………気まずい。色々と気まずい。

発情期を起こしたと言われて、対処に戸惑わない人なんていない。

 薬もないなら、収めてあげる方法は一つしかないと分かっていながらも、彼女とはまだ、初めての段階だ。


 僅かだけど、彼女の背中は小刻みに震えている。知らなかったとはいえ、彼女をこんな風にしてしまった。


「シェリル」


また怒鳴られるかもしれないと思いつつ、僕は彼女の名前を呼んで肩にそっと触れると、ビクッと彼女の体が奮い立った。


「触るなっ…!!」


 両腕を擦り続け、小さい声で叫ばれるように呟かれる。だけど振り払ったりはしなかった。まるで、触れられることに怯えているようで、些細な指の動作にも彼女の体は敏感な反応を見せる。



 僕も凄く戸惑ってるけど、彼女自身が一番戸惑っているみたいだ。それも、そうだよね。だからこそ、あまり彼女を刺激しないようにゆっくり、背後から近づいて、彼女の前に移動する。


「っ………」


…顔が真っ赤だ。今にも泣きそうで、目線がずっと下を向いている。僕が覗き込もうとするとさっと逃げていく。とても、可愛い。本当に、可愛い。



「来るな……お前なんかに、欲情しないぞ」


まだそう言い続けてる彼女に、してるじゃないかとからかってやりたい意地悪な心を抑えた。


「分かってる。僕が悪いんだ、ごめんね」


「な、なんで謝る」


「少し感情的になって、君の話を聞かなかった。ごめんね、傷つけるつもりはなかったんだよ」


「いや……その事は別に……」


 あえて発情期の話は置き、さっきの事を謝ると、シェリルは気まずそうにチラチラと落ち着かない目線を動かしながら首を横に振る。


そこから何も言わなくなった彼女に、向き合うように座り直し、真っ直ぐ彼女を見つめながら聞いた。



「聞かせて。どうして別れようと思ったの?」


 別れようとしてたのは本当なようだから、せめて理由をちゃんと聞きたい。僕が人間だからとか、色々言っていたけど、他に嫌なところがあったんだったら謝りたいし、一方的に事を進めたくはなかったから。


 僕の質問にすぐには答えなかった。けど、シェリルは少しした後に目線を上げてようやく僕を見てくれた。


 気の強い目付きだけど、ぱっちりとした目と可愛い色をした瞳の色。ずっと見ていたくなるほど、恐ろしくも美しい、魅力的な目。誰よりも一番、好きな瞳だ。


「……お前に、情を持ちたくなかった…から」


小さい声で、僕にそう告げた理由。情を持ちたくなかったというのは、どう言うことだろうと思っていると、また彼女は答えた。


「お前のことは嫌いじゃ、なかった。だけど、そこまで好きでも…なかった。異性的に、好みじゃないし……」


初めて彼女の僕に今まで抱いてた気持ちを聞けたものの、異性的に好みじゃないとはっきりそこまで言われると、かなり傷つく。ズキッと胸に釘を打たれた痛みがあったけど、耐えてそこは続きを聞いた。


「けど?」


「なんか、悪くないって思った…….。好みがちょっとずつ変わる感じ…味わい続けたら、こっちの方がいいって思えるような……」


「本当?」


「だから、危ないと思った。本気にしたら……後々辛くなるだけだと」


そう言って彼女はそっぽを向いてまた黙ってしまう。

本気にしたら辛い?好きになっていくことが辛かったってことなんだろうか?


「僕の事はその…好みじゃなかったから、いざ好きになって、気持ちの変化についていけなかったってこと?」


「違う」


 彼女はフルフルと首を振ると、僕の方に向き直り、真っ直ぐ見つめ返してきた。


「私が人間だからと言う理由…分かってないだろう。お前は良いかも知れないが………私は、どうしたって殺されない限りは、死ぬことがない。人間は、そうじゃない」


「……え。そういう事…?」


 ようやく彼女の気にしていることが分かった。察した僕を、彼女は赤みがある顔で睨み、やっぱり分かってなかったと表情で訴えてきた。



「これからの事を、少しは考えたらどうなんだっ…!今は良くても、聖也は私よりも先に死ぬ事が決まってるんだぞ?身体も外見上の衰えだってあるし、気持ちだって……いつまでも続く保証はないだろう!!」


「う……うん」


「仮に、それでもとお前と私が一緒になったとしてもだ!!ここから先、20年…いや、50年の事を考えてもみろ!!お前は寝たきりになった老人!私は今とそう変わらない状態!で、お前のオムツを変えながら死に際を看取る状態を考えると、色々不安にもなってくるわ!!」


「そんな、僕の介護する所まで考えてたの……?しかも寝たきりになってるんだ50年後」


「それか、お前が別のメスに心変わりしてそっちに行くのかもしれないという可能性だってあるしな!!そんなの、本気になったところだけ損だ!!…全く、夢にまで出てくるし。これで、お前のぽやんとした脳みそでも分かったでしょ!!!!」


「………うん」



…………恋は盲目というべきか。

全く気にしてなかった。自分と彼女は、人間と吸血鬼という認識は持っていたけれど、寿命に大きな差があるということを全く考えてなかった。



というか、あんまり問題視してなかったというのが、本当のところ。目の前の今にのぼせ過ぎて、未来の事は後回しにしていた。


だって、彼女は、僕の人生の中で唯一、本気になれた人だったから。雪山で一目惚れしたあの日から、"この女性を一生愛する"と自分に決定付けた。これからもずっと、死ぬまでそうだと。


 でも、肝心なところが抜けていた。

年を取るのは同じでも、どうしたって人間の方が先に死ぬって事。


 どうしたって僕は年を取るし、病気になるし、歩けなくなって、彼女にオムツを変えてもらう事にもなるだろう。

 そして脳が衰えて最後、最愛の人が誰なのかも分からなくなったまま、死んでいくかもしれない。


 ……あぁ、そう思うとなんて自己中だったんだろう。…シェリルは、怖かったんだ。僕が無限じゃなく、限りある有限だから。

 いつか、自分の前からいなくなる事が、分かりきっていたから。だから、本気で好きになるのを避けようとした。



 どうして気づけなかったんだろう。彼女との未来をちゃんと考えてたつもりだったのに、全然検討違いの方向を見てたよ。



「ごめんね。凄く、不安にさせた。好きだって言っておいて全く先の事を考えてなかったし、君の気持ちも、分かってなかった。……最低だよね」




 ごめんだけじゃ足りない。彼女はそう言いたげにそっぽを向いた。これで分かっただろう、だから、私達が一緒になるのは間違いだ。…………なんて、言いたいんだろうな。



「僕は、それでも好きだ」


「!?」

 僕の答えに目を見開き、彼女は驚いた表情で僕を見る。



まぁ………だからと言って、別れるなんてコマンド、僕にはないんだよね。


そう頭の中で呟きつつ、信じられないといった顔で僕を見る彼女に、笑いかけた。


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