第3話 パンダのきっかけは波乱の予感



「シェ…シェラミア様!!どういうことですか!!もう一度、ご説明なさいませ!!」


「下界に降りて人間と一緒に住むと、言ったの」


「人間と、住むですと!?頭がどうにかなったのですか!?」


「どうにかなってないし、口を慎まないと潰すぞ、じい」


「まさか、あの餌に何か吹き込まれたのではあるまいですな!?…姫様?何故顔が赤くなっておられるのですか」


「別に……赤くなどなっていないわ」


「ま、まさか………惚れたのですか?姫様とあろうものが人間に惚れ……ぐぉほっっ!!」


「惚れるかバカもの!!さっさと支度をせい!!くそじいや!!!!」


「ひ、姫様ぁぁぁーー!!あれほどじいは、口酸っぱく、人間にだけは惚れるなと言い付けましたのに!!」


「だから惚れてないと言ってるだろ!!死ね!!もうろくコウモリが!!」


_______………あぁ、なんだ。夢か。

暗く最も落ち着く棺の中で目を覚まし、人間世界へ来るときにコウモリじじいと揉めた時の夢を見た。


 お母様がまだ生きていたときからしもべとして仕えていた私のコウモリ…じいやと呼んでいたが、最後まで私が人間社会に行くことを反対していた。今は、屋敷の留守を任せているが、最近あまり帰ってないからどうしてるのか。ついに干からびて死んでたりして。


__「なりませぬぞ!!お改めを!!お母上様がどうなったか、お忘れではあるまい!!シェラミア様!!」


小うるさくしつこいだけのコウモリだが、お母様が亡くなってからもずっと私の世話を焼いてきたじいやの反対する声が頭を通りすぎた。


「忘れるわけがない……」



 ギィッと音を鳴らして蓋を押し上げる。部屋の大半のスペースを奪う棺と衣装ダンスと机ぐらいしかない、好きに使っていいと言われた自分の部屋。眠る以外の用途に使ったことはないから、引っ越したときのまま、殺風景だ。


時計の時間を見ると、もう19時半過ぎだった。そろそろあいつが帰ってくるか。


 棺を跨いで絨毯の上に素足をつけ、衣装ダンスを開ける。適当な服に着替えて、部屋から出た。洗面所へ行って顔を洗い、自分の歯ブラシを持って歯磨きをする。



リビングの方から、ピロンッとLINEの音がする。歯ブラシを加えたまま自分のスマホを取ると、吸血鬼の知り合いからのLINEだった。

今夜会えないかとの誘いだ。どうやら何か話があるらしい。


聖也が寝れば特にすることもないし、誘いにOKのLINEをし、またテーブルに戻す。


歯磨きを終えて、洗濯機の中の物を出してかごに移し、ベランダの遮光カーテンを開くと、暗闇に支配され、明かりが少し眩しく感じる人間の町の景色が見える。


「夜でもこんなに、人間の街が明るくなる日が来るとは…。そのうち、昼とも変わらなくなったら嫌だな」


 特に渋谷とか新宿とかあの辺り。煩いし目がチカチカするほど光が酷い。人間の数が何処よりも多いが、一体何を求めて集まっているのか未だに分からない。火炙りとか絞首刑が行われてるわけでもないのに。


昔は、人間の罪人を処刑する光景が一般市民にも公開されていた時代があって、それをスポーツ観戦のように娯楽としていた。今では絶対あり得ないが。


 ここに来たばかりの頃、テレビから流れるサッカー中継の歓声が公開処刑の見物人の喧騒とよく似てて、しばらく勘違いしてた事がある。


 ある時、"今日はやけに盛り上がるな。なんだ?ギロチンか?"と聖也に聞き、リモコンを手にしたまま眉を潜めてこっちを見たあいつを見て、ようやく違うと気づいたけど。


 洗濯物を干そうかと思ったが、吸血鬼の凍った肌にも通る寒い風が吹く。朝までに乾きそうにない。いっそ部屋干しにした方がいいかと思い、ベランダから戻る。


 あいつちゃんと着込んで仕事が行ったんだっけ?帰ってくるときに風邪持ってこなきゃいいが。


「ただいま~」


 さっさとハンガーに服をかけているときに、玄関からあいつの声が聞こえた。今日は随分早いな。もう少し遅くなるかと思っていたのに。


ガチャッと扉が開き、あいつの匂いが鼻に入ってくる。


「シェリルちゃん!」


「はいはい、おかえ……」


「聞いて聞いて!!」


ガバッ!!と背後からのし掛かられるように抱き着かれ、ビックリして牙がでそうになった。

自分のすぐ横に、冷たくなったあいつのヘラヘラした顔があった。


「なんだ!!いきなり引っ付いてきたらびっくりするだろ!!」


「ねぇ聞いて!!記念日にパンダランドに行けるよ!!」


「すり寄らんでも聞こえてるわ!!なんだパンダランドって!!」


押し倒そうが如く体重をかけてきて抱き締めてくる聖也の話を聞きながら、やめろと身をよじって突き放す。


「パンダランドだよ!ほら、よくCMでパンダがキレッキレッのインドダンスしてるやつさ!夢の国!!」


「…………あぁ、あの入場料ばか高いとこ」


 よくCMを見るたびに聖也が、いつか二人でいきたいと話してたところか。

新エリアとやらができたせいで、チケットがなかなか取れないと言っていた。



「悠斗に貰ったんだ!記念日に一緒に行ってこいよって!!やったね!」


「悠斗…?あいつに??」


 聖也が見せてきたiPhoneの画面には、赤い布を着けたパンダの絵がついた電子チケットが表示されてる。

あの男に貰ったのか?男が一人であのような場所に行くとは考えられない。

二枚あるということは誰かにフラれでもしたのか。


「シェリルと一緒に行きたかったんだ!ね?一緒にパンダランドいこ?」


「お前、その日仕事じゃなかったのか?」


「大丈夫、予約、午後は15時から偶然入ってなかったから早めに早退させて貰うことにした!店長から死ねって言われたけど!」


死ねって言われたのに行くつもりか。こいつ、意外に神経図太いな。


「シェリル?嬉しくないの?」


「いや、そうじゃないけど、日中はあまり動くことが……」


「大丈夫!!このチケット、少し遅めからでも適用効くから平気だよ!」


 日が少し下がってから出掛けようと、子犬でも貰った子供みたいなはしゃぎっぷりで持ちかけて、私の手を握る。

別に日よけ対策をしっかりすれば、日中でも出掛けられない事はない。ある意味命懸けだけど。

遊園地……夜にならなければあまり派手なアトラクションには乗れないし、というか、行ったことないし…


まぁ、別に断る理由はない。折角チケットも持ってきたということならば……


「シェリル?」


「わ、わかった。それなら、別に…うん」


「やった!!楽しみだねシェリル」


 とりあえずキラキラさせた目で見てくる聖也に頷くと、私の手をブラブラとさせて一人ではしゃぎたて嬉しそうに笑いかけてくるのに、どう反応を返すべきなのか未だに分からない。


はぁ……別にイルミネーションだけでも良かったのに。ましてやこやつ、仕事終わりなのに疲れないのか?


「ちょっと………いつまで引っ付いてるつもり!?早くシャワー浴びてこい!!風邪ひく!!」


「いいじゃん。シェリルも、一緒に入ろうよ」


「今、なんて言った?」


「ジョーダンだって」


 ヘラヘラと笑い私の髪を撫でてから離れると、着ているジャケットやマフラーを外して近くのソファーに放置し始める。


「シェリルはよく眠れた?何も変わったことはない?」


「特にない。…………あ、久しぶりにじいやの夢を見た」


なんとなくじいやの夢を見たことを話すと、あのコウモリの事を知っている聖也は、すぐに誰の事か思い出した。


「じいや?あー、あの喋るコウモリの事?連絡とってないの?」


「全然。ついに干からびて死んでたりして」


「そういう冗談はよくないよ。連絡してみたら?シェリルの事心配してるかもしんないし」


「そうだな……って、聖也!!そこで服を脱ぐな!!脱衣所があるでしょ脱衣所が!!」


 ジャケットとマフラーだけじゃなく、その下のニットシャツやズボンまで脱ぎ始めた下僕を叱りつけると、だってこっちの方が暖房きいてて寒くないもんとか言い訳をする。


「いいじゃん、自分の家なんだからさー」


「脱ぎ散らかしたままにするから脱衣所で脱げと言ってんの!!」


「もー分かったよ」


ブーブー言いながら脱ぎ散らかした服を持って上半身裸の聖也がリビングから出ていった。全く……。

………まぁ、あいつの言う通りかもしれないな。久しぶりに連絡をとってみようじゃないか……。


 聖也がシャワーを浴びている間、洗濯物を室内に干して、屋敷から持ってきた黒曜石で出来た真っ黒な鏡をテレビ前のテーブルの上に立て、その前に座る。


両手を前に出し、ぐるぐると円を描くようにして呪文を唱えた。


「鏡よ鏡よ……我が名シェラミアの声に応えよ応えよ……」


ぐるぐると私の手と呪文に連動するように黒曜の黒い鏡が渦を巻き始めた。そして、渦の中より現れた不気味な目と鼻と口を思わせる窪みが現れ、独りでに喋り始めた。



_《会員番号03589、シェラミア・マナナンガル様!ご利用ありがとうございます。ミラーコンシェルジュ、トゥルースがお伺い致します!》


 相変わらず代わり映えのしない陽気な声で喋り出した鏡、ミラーコンシェルジュ……という、こっちの界隈ではスマホで言うsiriとかそういう感じのに似てる。その鏡バージョンの鏡に宿る精とでも言おうか。巷では、魔法の鏡とも呼ぶ。


私のような吸血鬼や特殊な者であれば、誰でも登録をすれば使える便利なものだが、条件を満たすとなれる会員ランクによって、使える能力や用途が異なる。まぁ、誰かとの通話ぐらいなら誰でも利用できるし、別に今回は関係ない。


「久しぶりだな、トゥルース」


《シルバーガラス会員のシェラミア様!お久しぶりのご利用でございますね!》


シルバーガラス会員って一体どの位置なのか未だに分からないんだけど。


「鏡よ鏡よ、我が家にいるじいやに繋いでほしい」


《遠方の者とのご通話でございますね?かしこまりました!お繋ぎ致します!タダイマ、ヨビダシテオリマス……》


呼び出している間、鏡は再びぐるぐると渦を巻き始めしばらく待つ事になる。


人間の開発したスマホを思うと、この魔法の鏡もかなり古風なものになったと思う。


___「シェラミア様…?」


机を指でトントン叩きながら待っていると、黒い渦の中から、久しぶりに見るちっぽけなコウモリの姿が映った。チロチロと首を動かしながら、髭のある顔がまじまじと見つめている。


「久しぶり。じいや」


「シェ、シェラミア様ーーーー!!!!!!じいがどれだけ連絡を待ったと思うておるのですか!?」


いきなりやかましく鼓膜を破ってきそうな甲高い声を発してきて耳を塞ぐ。全く、元気じゃないか。いつになったら干からびるんだ?


「じいはじいは……もうとっくに姫は死んだものと思っておりましたぞい……人間に正体を晒され、杭を打ち付けられ火炙りにされたものかと」


こんのじじい……およおよと泣きながらそんなことと思っていたのか。どんだけ私を見くびっているつもりか。


「あんなボケッとした獲物にそんな真似が出来るものか。私の寝床の前で、花持って正座してたぐらいだぞ」


「ぐうぅ……思い出せば腹立たしい。姫様があんな人間の男子おのこの嫁に行かれ、一つ屋根の下で共に暮らしておるなど……」


「おい!!誰が嫁に行くと言った!!!!あんなやつ!!伴侶にした覚えなどない!!」


私の寝床で待ち構え、無謀にも求愛してくる人間がいる今の世界になんとなく興味を持っただけだ!!誰が伴侶にしたと言ったのだ!!もうろくコウモリめ!!いつもそうだ!!


フンッ!!


「しかしぃ姫様?下界の視察にしては随分と長い気が致しますが?」


「何が言いたいのだ」


「人間と共に暮らすなどもうお止めくださいませ。人間が食糧であると同時に、どれほど危険なものか知っておられますでしょう」


 もうお帰りになられてくださいと困った顔をするじいに、いつ戻るかは私の勝手だろうと言い返す。まだ一年しか経っていないのに、何百年もうざいぐらい時間を共にしたコウモリ一匹の元に帰るのも、また退屈な隠匿生活に戻るだけだし。


「やはり、あの人間に惚れているのでございますな」


「違うと言っているだろ!!!!何故いちいち聖……下僕の事を持ち出すの!?」


キッ!!と牙をむき出しにして威嚇するも、じいは場所が離れているせいもあってか効かず、「相変わらず可愛げのない図星でございまするな」と、余計な口をたたく。今度あったら干物にして食ってやる!



「姫、じいは先代の頃よりお仕えして来ましたのですぞ。姫の気持ちはよう分かっております…」


そう言って目を伏せたじいは、バサバサと翼を扇ぎながらこう言った。


「しかしながら、シェラミア様は高貴な血筋を持たれる吸血鬼ヴァンパイアの数少ない生き残り。相手はせいぜい百年生きられるかどうかのただの人間、身の程が違い過ぎまする」


「別に私は……」


 ずっとあいつと一緒に居ようだなんて、思っていない。だってどうせ、その百年の間に、あいつも分かってくる。今は若く、私とはそんなに変わらないように思えるが、これが数年すれば見た目にも変化が出てきて、いずれ気づくことだろう。


 自分は、姿の変わらない生き血を吸って生きてる化け物と一緒にいるべきではないと。

私達吸血鬼はどちらかと言えば気長な方だが、それは生きる時間が長すぎるからこそ。人間はそうじゃない、だから裏切りや戦争が起こるんだ。

聖也も………そう、いずれ飽きたところで、同棲生活を止める。いつか必ず来る未来だ。


「人間が飽きるまで一緒にいるつもりと?」


「別に、私から離れる理由も今のところないから。なぁに、十年くらい経てば、あいつだって…」


「そのとき、ご自身は絶対に傷つかないとでも思っておりますか?」


……………。


「図星でございまするな」


「う、煩いぞクソじい!!私に意見するなっっ!!!!」


傷つく?私が??何故??別に聖也に別れを切り出されたとて、これっぽっちも未練などない!!「そうか、なら帰る」と言ってすぐにだってさよなら出来るわ!!


「じいはシェラミア様の為を思っているのですぞ」


「何の為だ!?」


「全く、お母上様そっくりになられまして………姫様、何事も一緒におれば情ぐらいは移されるものでございます。いざ別れを切り出された時、ご自分が無傷でいられるかと思っていたら大間違いですぞ」


「………」


情……情など別に、移してなんか………あいつと一緒に寝たこともないし、一年経ってもあいつからのスキンシップと言えばハグかちょっと触れるぐらいのキスだけで。別にそこまで私からすることもないし、距離感はちゃんと保ってきたっていうか……。



 ま、まぁ、別に悪い気はしないというか、犬に懐かれるのと同じというか……。最初見た時は、何とも、人間の男にしては背も高くはないし、細っこいし、手加減しても腕相撲弱いし、シャツは裏と表間違って着るし、バカだし、すぐ泣くし、へたれだし、ベタベタしてくるし、朝いつもギュッとしなきゃ仕事行かないし、血は美味しいし、笑った顔が………なんか、凄いい眩しいというか。



「顔が赤くなっておりますぞ」


「っ!?」


 冷めた体の中から急上昇する程の熱がいつの間に上がっていることに、じいの呆れたような一言でようやく気づいた。ふるふると体が小刻みに震え、無性に恥ずかしさが出てきた。


「完全に、骨抜きにされておりますな。シェラミア様」


 何処か見限られたようにじいが鏡の中から呟き、奴がシャワーから上がってくる前に赤くなっていた顔を髪で覆い隠す。


え………嘘??嘘??

もう訳わかんない。







「……シェラミア様」


「………何?」


しばらくの沈黙が流れた後、じいやの方から静かに声を発してきた。


「完全に惚れておるではないですか」


「シャッ!!黙れ!!惚れてないっっっ!!!!」


「でも今、完全にあの男子おのこを思って顔真っ赤にしておるでないですか。別れの時を考えて一瞬辛そうなお顔をなさったではないですか?」


「口を慎め!!!!けしてそんなことはない!!あんな…血だけは美味しい食糧を逃すのは勿体ないかなとか、そんな程度だ!!愚かな!!」


「では、殺して全て抜き取ったらよろしいではないですか?」


「こっ………い、生き血がいいっっ!!!!」


「惚れてるではないですか」


 テーブルを叩き、牙をむき出しにして突っ返すも、離れた場所にいるせいでじいは調子に乗った発言しかしない。小癪な……近くにいたら干物にして吊るしてやるというのに!!


「はぁ……もうそこまで毒されましたか。ですが、まだ間に合います。後戻りが出来なくなる前に、お戻りくださいませ」


 このまま本当に離れがたくなって、お互いに辛い思いをする前に戻ってこいとじいは静かに諭すように言った。


離れがたくなんかないわ!!あいつの事なんかただの拾った犬感覚であって、けしてそこに愛情というものなんか……………………………………………………………愛情なんか。


………。


「完全に離れたくないと顔に書いてありますぞ」


「だぁぁぁぁーー!!うるさい!!じゃあ別れる!!別れてやるから待て!!!絶対別れて来週には帰ってやる!!」


「おぉっ、そのお言葉を待っておりましたぞシェラミア様!じいはとても嬉しゅうございまするぞ!!」


「あぁ!!帰ってやるやるともぞ!!あんな軟弱な人間と別れて、さっさと帰ってきてみせてやる!!見くびるなよじい!!!!」_______



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