北海道事件

北海道事件前編

 9月下旬。僕はつばめさんとエビ子の3人で、北海道札幌市へとやって来ている。


 以前からどこか旅行に行くなら北海道がいいね的な話をしていたのと、僕の仕事も一段落していたのとで、行くなら今でしょということで飛行機に乗り、1泊2日のプランを立ててはるばる北の大地へとやって来たのだ。


 ちなみにエビ子のいた世界には飛行機なんてものは存在しなかったらしく、乗っている間はGやら音やら揺れやら気圧やらに怯えたり旅客機のミニチュアを貰って喜んだりと忙しかった。最近なんだか精神が外見に引き寄せられているのではないかと感じるのは僕の気のせいであって欲しいと願っていたりなかったりする日々であるがそんな話はどうでもいい。


「大丈夫ですか!」

「落ち着けポン。外傷はあるようだが、気絶しているだけのようだ」


 旅行初日からとんでもない事件現場に遭遇してしまったのである。暴行および誘拐事件と言っていいのだろうか。


 はっきり言うが、冗談ではない。


 加害者がいて、被害者がいる、正真正銘の事件である。

 

 地下鉄の駅構内で突然小さな女の子が捕まえられて、一緒にいた僕と同い年か少し年上くらいの男の子が殴られた。加害者は女の子を掴んだまま跡形もなく消えた。


 そう、のだ。


 そんな加害者の事が気になったが、今最優先に行わなければならないことは目の前で頭から血を流して倒れている男の子の救護と駅員や警察への通報である。だから僕らは男の子に声を掛けた。

 

「駅員さん呼んでくる!」


 つばめさんがそう言って改札まで走ったところで、彼は目を覚ました。特筆することもないありふれた若者の私服といった服装だがやはり高校生だろうか、と思ったところで彼がエビ子を見て目を丸くした。


「マーちゃん! ……あ……いや……すみません」

「マーちゃん?」


 エビ子は誰だそいつはといった風に首を傾げた。マーちゃんか。マーって何だろう。何かの略だろうか。


 …………ん?


「魔王→魔王ちゃん→マーちゃん……?」

「そんな呼び方をされたことは無い」


 もしかしたらと思ったが、違うらしい。確かにそんな親しみやすいあだ名をつけられる魔王は果たして魔王と呼べるのかは疑問だし、大方誰かと見間違えたとかだろうな、と思っていたら男の子が再び口を開いた。

 

「いえ……あの……違うんです。マーちゃんって言うのは…………俺の……彼女の……マゼンタっていう女の子の事なんです」


 やはり人違いであったらしい。エビ子を見たら「そうだろうな」という顔をしながら、彼の顔についた傷をじっと見ていた。もしかして、彼女となると。


「さっき連れ去られた――」

「連れ去られた!?」


 男の子がすぐに身体を起こし、僕に縋りつくような体勢になって言った。

 

「だけど消えちゃったんだ。まるで手品か魔法でも使ったみたいに……」

「魔法…………もしかして……」

「いや、それは例えとして言っただけで……」


 自分で例えておいて何だけれど、そこに引っ掛かるとは。


「殴った人に見覚えは?」

「いえ……ただ……」

「ただ?」


 僕が尋ねるも、彼は床を見て、何も答えなかった。


「どうかしましたか?」


 そのまま沈黙が続きしばらくすると、改札側からつばめさんと駅員さんが慌ただしい様子でこちらへとやって来た。110番通報も行われたらしく、まもなく警察官もやって来た。僕らは事件の目撃者として、女の子を殴った人物は女の子ごと消えたと正直に言った。当然不可解であるという反応をされたが、本当にそうであったので仕方がなかった。また、男の子は札幌市内の高校に通っている竹浦計くんであるということ、女の子はマゼンタ・マウントバッテンという名前であり、イギリスからの留学生であるらしいのだが、それを聞いたつばめさんが非常に驚いていた。竹浦くんは警察への説明が終わると、救急車を呼んだ方がいいかと尋ねられていたが断った。そして、何か情報が入ったらすぐに連絡すると言われ、僕たちはひとまず解放された。

 

「ここで話すのも何だし、場所変えない? 怪我の手当てもしなきゃだし……」

「そうだね」


 つばめさんの提案に、僕は頷いた。エビ子も、無言で首肯した。


「でも、マーちゃんが……」

「それは警察に任せよう。君は手当しないと」


 立ち上がってエビ子を追いかけようとする竹浦くんを、つばめさんは優しくも厳しい声で制止した。こういう時、真面目モードになってるつばめさんは頼りになる。


 ひとまず僕たちはタクシーに乗り、すすきのにあるカラオケボックスに行った。なぜかと言うと、竹浦くんから何か話さなければならないことがあるらしく、ゆっくりと落ち着けて話せる場所に行って欲しい――という希望があり、それならとつばめさんの提案でカラオケボックスになったのであった。カラオケ屋なんて騒々しい場所であるイメージがしかなかったけれども、確かに歌わなければ静かに過ごせる場所でもあったなと思い直した。


「実は……嘘……なんです……マゼンタが……留学生っていうのは……」


 竹浦くんは、カラオケボックスの個室内のソファに座り、しばらく呼吸を整えた後、こう言った。


「それなら……本当は何? ……どうして、虚偽の説明を?」


 それを聞いたつばめさんが尋ねる。どうしてわざわざ嘘をつく必要があったのか。それとも嘘をつかなければならない事情があるのか。当たり前の疑問であった。


「それは……あの……何言っているんだって思うかもしれませんけど……オッスルドゥンムという異世界から来た異世界人……なんです……彼女は」

「異世界人……!?」


 僕は思わず、驚愕の声を上げてしまった。 


「信じて……もらえる訳……ないですよね……こんなの……」

「信じるぞ。なぜなら我も異世界人だからな」


 あっけらかんとした態度でエビ子が言った。

 

「え?」

「お前の彼女がいた世界とは別の異世界だがな。だが我は正真正銘、キエ・ダールの魔王だ」

「で、でも……」

「異世界人なんです。って言っても普通は誰も信じてくれないと思うよね。だけど、だからこそあたし達はあなたを信じられる。マジで異世界人と一緒にいるもん」

「見た目もこんなんだし、魔王には見えないよね。普通に幼稚園通ってそうだし」

「黙れポン」

「そう……だったんですか……」


 僕はエビ子に殴られたが、それはともかく、竹浦くんから色々と話を聞いた。


 竹浦くんは、冬に突如異世界に飛ばされた後、再びこちらの世界に戻って来てマゼンタさんと付き合って一緒に平和に暮らしていた。けれど今日になって、駅で突然マゼンタさんが捕まえられて――といった話をした。


 捕まえられた理由は恐らく、マゼンタさんを召喚魔法の生贄にするためであるという。つばめさんのいう通り、いくら真面目にこんな話をされても普通の人なら中二病患者の痛い妄想だと一蹴するのかもしれない。だけど僕らにはエビ子という自称魔王の幼女が側にいるし、二足歩行で喋るキツネにも、ムチャクチャな事を息をするようにやる神にも等しい存在にも出会った事があるからむしろリアリティを感じる程だ。それはそれでヤバいのかもしれないが。


                  *


「ちょっと沁みるよ」

「いてて……」


 つばめさんが竹浦くんの傷を手当している。やっぱり凄い手際の良さだ。流石警察官の娘と言うべきか。実際のところそれはあまり関係ないのかもしれないが、明らかに知識や技術を心得ているといった印象があった。


「もし異世界に連れ去られたとなると厄介な事になる。我の力が完全に戻りきっていない以上、異世界に転移する術などこの世界には存在しない。仮に取り戻せたとしても我にとってオッスルドゥンムは第三の世界となる。転移の成功は正直、期待できない」

「そうですか……」


 エビ子が手当を手伝いながら竹浦くんに言った。竹浦くんはそれを聞いて、身体を震わせ、目に涙を浮かばせた。それが痛みか、悲しみか、悔しさかは僕にはわからない。


「本当に、存在しないと思う?」

「ああ。少なくとも、我が認知している限りでは、この世界にそれらしき魔法を使える人間は我以外には存在しないな。そもそも魔法を扱える人間が皆無に等しい」

「そっか……」

「何だ。ポンも異世界に興味があるのか?」

「いや……まあね……」

「無理なものは無理だ。今のところは我で満足しろ」

「ああ、うん」


 異世界に行ける術は存在しない、か。


 僕が黙っていると、つばめさんが口を開いた。

 

「異世界に行った時の状況を再現する――のは無理か……。そもそもマゼンタさんが召喚したんだしね。しかも狙って竹浦くんを召喚した訳じゃないっぽいし」

「仮に、召喚が出来るのであればもう召喚されているだろうな」

「エビ子は何か出来る?」

「今の魔力では無理だな。何も出来ん」

「そっかぁ……」


 僕にも何もできなかった。ただのエッセイストで、チート能力の類は持ち合わせていない。神にも等しい存在が持っているチート能力が効かない体質ではあるけれども、今の状況ではだから何だって話だ。

 

 カラオケボックスにそぐわないとやはり思うほどの、沈黙が流れる。この状況で1曲歌えるほど無遠慮なムードメーカーにはもうなれない。ただソファに座り、目を腕で覆っている竹浦くんを見る事しか出来ない。もらい泣きしながらも健気に振舞うつばめさんを見る事しか出来ない。目を閉じて額を指で叩き続けているエビ子を見る事しか出来ない、ただの傍観者にしかなれない。


「マママーゼ!」


 沈黙を破ったのは、突然この場に現れたコッテコテの魔法使いのコスプレをした女の子であった。女の子は僕たちを順番に見た後、膝から崩れ落ち、泣きだした。


「ごめんなさい……間に合わなくて……ごめんなさい……」


 女の子はここにはいない彼女に対して、謝り続けていた。

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