追試事件後編

「えっと……本当にここ……なんですか……?」

「うん」

「ほんとなの……?」

「ほんとだよ」


 エントランスから僕の部屋へと昇っていくエレベーターの中、西小村上さんは借りてきた猫みたいに大人しくなって、怯えたような目で僕を見る。


「1人暮らし、なんですか……?」


 西小村上さんはゼリーみたいにプルップル震えながら僕に尋ねた。


「違うよ。3人暮らし」

「3人!? だ、誰とですか!?」


 西小村上さんが叫んだのと同時にポーンと小気味いい音が鳴って扉が開く。


「まあ……それは……うん」


 どう説明したかと迷いながらも僕は彼女を目線で誘導しながら、部屋へと向かい、扉の鍵を開けた。


「お……おじゃまします」


 超絶ぎこちなくお辞儀をしながらたたきで靴を脱ぐ西小村上さん。まったく一体どうしたものか。誤魔化すか? 誤魔化せるのか? そう考えていたら、リビングからエビ子がいつものように女子としての恥じらいも何もないだらしない髪と部屋着で玄関へとやってきてしまった。……しょうがない。


「おかえりポン……待て、その娘は何者だ」

「西小村上陽さん。僕のクラスメイトだよ。西小村上さん、この子は僕の娘のエビフライ子」

「え?」


 そう言ってしばらく固まる西小村上さん。エビ子はそんな彼女を至近距離で見つめ、こう口を開いた。


「我はこいつの娘だ!」

「え?」

「だから娘だと言っているだろうが!」

「えええええええええええええ!!!!??!?!?!?!?!!?」


 絶叫。まあ、普通はそういう反応になるよね。


                  *


「魔王たる我が貴様のために淹れてやった茶だぞ。ありがたく味わえ」

「どうも」

「ありがとう……存じまっす!」

「なんだそれ」

「な、なんでもないでございます……わよ!」


 エビ子は冷めた目で熱い紅茶をリビングのテーブルに3つ置くと、僕の隣に座った。西小村上さんは変な口調になっている。元々敬語で喋ってんのかそうじゃないのかわかんなかったけどますますわからなくなっていた。


「おいポン。ハルとは一体どういう関係だ? まさかツバメに黙って作ったあいじ――」

「なわけあるか!」

「つばめ……? え、あの、つばめちゃん? 園空つばめ?」

「なんでそれ言っちゃうかなあ! もう!」

「ますます怪しいぞ」

「だ、だから!」

「どういう事なんですか斉藤くん! ねえ! おかしいですよ! おかしすぎだよ! パパなのは1億歩譲りますがそれでもなんでこんな大きな子がいるんですか!? しかも魔王って! 一体何なの!? も、もしかして小学生の頃につばめちゃんと……その……したの!? ねえ! ちょっと! どういうことなの!?」

「そもそも本来ならば我の方がずっと年上だからな!」

「ややこしいこと言わないで!」

「もうわけわかんないよ! なんなの斉藤くんは! ロリコンなの!?」


 僕の腕を掴みブンブン動かす西小村上さん。めんどくさいことになった。実にめんどくさぁいことになった。でもまあ、これ以上変に逃げても双方から余計に怪しまれるだろうから素直に言うしかないか。僕はエビ子の肩に両手を置いて口を開いた。


「エビ子。西小村上さんは僕に勉強を教えて欲しくて頼んでここに来たんだ。だから、間違って僕が変な気を起こしたとかそういうんでは絶対無い。いい?」

「そこまで頑なに否定されるとよけ――」

「本当にそうだから! 西小村上さん。エビ子は、本当に複雑な話だから詳しく説明することは出来ないけど、僕の娘なんだ。そしてつばめさんは僕の妻でエビ子の母親ということになってる。けどこれはつい最近成り行きでそうなったみたいな感じで、小学生の頃からどうのこうのという話ではないよ」

「……成り行きで?」

「うん。こうなったのは偶然と偶然が重なりあった結果なんだ。そう理解してもらうしかないくらい、当事者も訳のわからない話なんだ」

「それはいいの。それよりも……つばめちゃんのことは、どう思ってるんですか? 成り行きだから、仕方なくって感じなんですか? それとも、好きでこんな……変な子と、夫婦と親子、やってるんですか? まあ、つばめさんも男子なんて誰も――」

「好きだよ」


 口が動き続けていたのでろくに考えもせずに即答してしまったが、僕の言葉を聞いた瞬間、西小村上さんの表情が極寒の氷原に放り出されたかのように一瞬で凍り付いた。僕は慌てて口を閉めたけど、紡がれたものを解くのには遅すぎた。


 僕はこんな表情を、今まで何度も見てきた。彼女が一体何を考えていたのか、僕にどういった感情を抱いていたのか、もう、何も考える必要は無かった。


 もし僕が、よくいる鈍感主人公だったら、何も気づかず、何も気にせずにいられただろう。


 もし僕が、よくいるハーレム系主人公だったら、彼女の好意を受け止めた上で、つばめさんとの関係も続けるなんて芸当が出来ただろう。


 もし僕が、たったひとりのヒロインと、たった一度の出会いで、たった一度の物語で終わる主人公だったら、それがハッピーエンドだろうが、バッドエンドだろうが、どちらでもなかろうが、どれかのエンディングを一度だけ味わえただろう。味わうだけで、良かったのだろう。


 でも僕は、そうではない。そういう主人公になるには、そういう人間を演じるのには、もう色々な経験をし過ぎてしまったから。そして、つばめさんという女性を、エビ子という娘を、この2人とのルートを、僕は選んでしまったのだから。もう、これ以上のルートは選べない。どんなにフラグが立っても、反対側の列車みたいに、ただただ黙って眺めて見送ることしか出来ない。たとえそれに乗ったとしても、僕が望んだ未来に行けるのか、行けないのかは、それこそ神にも等しい存在くらいにしかわからないだろう。だから僕が下す選択が正しいのか正しくないのかは、僕が決めるしかない。


 ラブコメ体質というのは、そういうものだ。


「ごめん」


 だから僕は、彼女に謝る。


「な……なんで謝るの!?」

「ははは……なんでだろうね」


 それから西小村上さんは、言葉も少なめに部屋から出て行った。結局、本来の目的であった勉強を教えるということは無かった。多分ここまで追試が長引けばそれだけ試験も易しくなっていることだろう。そうであることを祈るしか、もう僕には出来ないけど。


「お前の体質も……難儀なものなのだな」


 全く口がつけられていないカップを眺めながら、今ので全てがわかったかのようにエビ子が短い黒髪をかき上げながら言った。


「どうすれば良かったと思う?」


 僕は僕よりも人生経験が豊富な女児という訳のわからない存在である娘に向けて、少しだけ、救いを求めた。


「我にもわからん。少なくとも、彼女との道を選べばきっとつばめはただじゃ済まさなかっただろうな」

「だよね」


 僕は多少無理して、笑みを浮かべた。


「安心しろ。我を捨てなければハッピーエンドは間違いないぞ。なぜなら我は魔王だからな!」

「魔王に従うルートはバッドエンド直行だよ」


 と、僕が言った瞬間、再び玄関の扉が開く音がした。そしてまもなくリビングに聞き慣れた声が響く。

 

「ちょっとポンくん! さっき陽さんが泣きそうになりながら廊下走ってたんだけど!」

「ああそれはだな――」

「あ、ちょっと!」

「もしかして何かしたの!? てかカップ3つ置いてるし! やっぱ何かしたんじゃん!」

「違うんだつばめさん。話を――」

「そっか。じゃあ、あたしとゆっくりお話しよっか。ポンくん♡」


 笑ってるけど笑ってない表情で、つばめさんが僕を見る。


 今度こそ、どうにかして、ハッピーエンドに出来るといいな。


 僕はそう思いながら、エビ子が淹れた紅茶を飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る