誘拐事件前編
「おい、起きろ」
聞き慣れた声を聞きながら頬にぺちぺちとした感触を受けて、僕は目を覚ました。なんだか背中がズキズキと痛む。
目を開いた瞬間、明らかな違和感を感じて周囲を見回した。目の前にはエビ子がいる。だけどいるのは僕とエビ子だけで、つばめさんはどこにもいない、というよりもここはどこだ? 4畳くらいしかない狭くて窓も何もない部屋に僕たちはいた。壁も床も天井も全て真っ白く、あるのは灰色で金属製のドアだけだった。ズボンのポケットの中を探るといつも通りスマホはちゃんと入っていたけど、圏外になっていてここがどこなのかは何もわからなかった。わかるのは、今は8月9日の14時だっていうことだけだ。
「ここは……?」
「わからん。我も目覚めたらここにいた。というよりいつ寝たのかもわからん。服も昼間着ているのと変わらないからな」
「確かに……何も思い出せない、というよりそもそも記憶が無いような感じがする……。家に3人でずっといて、鷹彦さんからの連絡を待ちながら過ごして……それで終わりだ」
忘れたものを思い出そうするとき、頭の奥底に埋まっているものを何とか引っ張りだそうとするイメージがあるけど、今回の場合、そもそも最初から何も埋まっていない。そんな風に感じる。
「このドアの向こうは?」
「鍵の類は掛かっていないようだが全く開かん」
「そんなことって……」
ある訳と思いながらドアノブに手を掛けてみたけど、全く動かせなかった。上にも下にも、鍵は無い。建付けが悪い訳でもなさそうだ。まるで見えない鍵が掛かってるみたいだった。
「これって誘拐?」
「そんな筈は無いだろう。我々はあの事件があってから警察の監視下に置かれ、家から一歩も出られない状況だった。なのに誘拐など……だがこの状況はやはり誘拐なのか……?」
「エッセイをラノベってことにしただけで誘拐までするかなぁ……するのかぁ……」
「犯人は一体誰だ? 我々を警察の目を盗んでこのような場所に連れ去るなど只者ではなさそうだぞ」
「一応訊くけど一瞬でワープできる魔法とか使ってないよね?」
「転移魔法か。以前は使えたがこの姿になってからは無理だな。……魔法か……いや……まさかな……」
「どうかした?」
「いや、恐らく我の考えすぎだ」
「そっか。……にしても僕たちをどうする気なんだろ。ドアは開かないしなー」
なんて言いながらドアノブをガチャガチャやっていたらいきなり手ごたえが軽くなってドアが前に開いてバランスを崩して転んだ。
「いてっ」
「しっかりしろ」
エビ子に手を差し伸べられて立ち上がると、円形のホールのような広い場所が広がっていた。壁には同じような灰色のドアが他に4つあった。
「お前らに訊く。ここは一体どこだ」
「えええ!?」
「狼狽えるな。俺はここがどこかと訊いているんだ」
「いやいやいやいやでもでもだって、ねえ!?」
僕は焦りながらエビ子を見た。
「この世界にも喋るキツネがいたのか。我々もここがどこかはわからん」
「適応早くない!?」
「むしろキツネが喋ってるくらいで喚くなと我は言いたいぞ」
エビ子は目の前にいる2足歩行で日本語を喋っているキツネに対しても薄いリアクションで冷静に受け答えをしていた。これが魔王の貫禄なのか……?
「やはり人間は使いものにならないな。だが名乗ってはおいてやろう。俺はレッド。いずれ世界中のキツネを解放する男だ」
「レッド? ああ、あれか。あーかいきつねと――」
「それ以上は言うな。アレには嫌な記憶がある」
「そうなんだ……」
緑のたぬきに嫌な記憶って何なんだろう。うっかりお湯と中身ぶちまけて火傷したとか? なんてことを考えていると、頭の奥底に埋まっていた何かがスポーンと飛び出てきた。
「ああ! そういやちょっと前にニュースでやってたね! キツネが飼育員を人質に取ってタヌキに――」
「だから言うなと言っているだろう!」
「やっぱり君がそのキツネなんだね! マジでいたんだ!」
「いい加減にしろ!」
レッドは唸りながら牙を向けてきて威嚇しかたと思ったら、部屋の隅に歩きだしそのまま人間みたいに壁に背中を預けて座りこんでしまった。もう話をするつもりはないという意思表示だろうか。こっちにはもっと訊きたいことがあるんだけどな。イケメン飼育員の話とか。
「何の話だ」
「喋るキツネって本当にいたんだね!」
「我の世界には普通にいたぞ」
なぜか呆れた目つきになっているエビ子とそんな話をしていると、爽やかさを感じさせる雰囲気の男子高校生っぽい人がこちらに駆け寄ってきていることに気づいた。
「あの! もしかして、斉藤本太郎先生ですか!?」
「僕のこと知ってるの!?」
「はい! 俺の彼女が大ファンで……あの、サインください!」
「おお!」
僕は彼に差し出されたメモ帳にサインをするためパラパラと捲っていき――あることに気づいた。
「これってネタ帳?」
「はい! やっぱりいつどこで面白いネタが降ってくるかわかりませんからね!」
「凄いねぇ」
ちなみに僕はそういう類のは一切書いたことがない。メモをするまでもなくガッツリ記憶に残るようなことばかりだし、面白いネタはいつまで経っても思いつかないし。
「先生は何かそういうのやってるんですか?」
「やってないよ」
「そうなんですか! やっぱり若き天才作家は違うんですね!」
「若き天才作家だって。そんなの初めて言われたよ」
僕は彼に言われたことを伝言ゲームみたいにそのまま隣のエビ子にも言った。
「彼はまだ事実を知らないみたいだな。ならばそっとしておくのがいいだろう」
エビ子は小声でぼそっと呟いた。この前暴露して大変なことになったから知らない人に対してもう自分から言う気はないけども。ん? でも待って。知らないのはありがたいけど知らないのはなんかちょっとおかしい気がする。
「えっと、君は……」
「あ、すみません! 俺は
「山崎くんは僕の作品とはか……」
「ごめんなさい! 彼女からは面白いって聞いてるんですけど、執筆とかでなかなか読むタイミングが無くて……」
「そうなんだ……。まあ、読めるときに読んでくれればいいよ」
「は、はい! なんか、すみません!」
「いやいや全然気にしないで」
僕は何とかボロを出さないようにしながら白紙のページにサラサラっとサインを書いた。サラサラっとサインが書ける辺り、やっぱり僕って人気作家?
「はい。彼女さん、喜んでくれるといいけど」
「ありがとうございます! 絶対喜びますよ!」
こんな詐欺師のサインとか要らんわ! とか言われなきゃいいけど。山崎くんの彼女がどんな人なのかはわからないけども。まあ山崎くんの無事を祈っておこう。
「ところでここは一体どこか知っているか?」
エビ子が今現在肝心なことを山崎くんに訊いてくれた。
「ごめんなさい。ちょっと俺もわからないです。いつも通り図書室で執筆してたらいつのまにかここにいてって感じで……」
「やはりそうか。我々もそうなのだ。……ちなみにだが、誘拐されるようなことをした覚えはあるか?」
「ないですよ! 俺は至って普通の高校2年生ですから!」
「年上じゃん! タメ口使ってごめんなさい!」
「いやいやいいんですよ! 俺にとっては斉藤先生の方がずっと大先輩ですから!」
「そっか……じゃあこのままで」
「はい! 何か大変なことになっちゃってますけど、彼女に自慢できますよー。またなんかあったらいつでも声掛けて下さい!」
「う、うん。大変なこと、ね」
バレたかと思ったよ。
「落ち着け。また何か来たぞ」
至って適温って感じで暑くもないのににじみ出る汗を拭っていたらエビ子に囁かれて正面を見たら男子大学生と、何だあれは。明るい青髪で、ジャラジャラと宝石っぽいのをたくさん身につけている女性がこちらに向かってきていた。
「ごきげんよう。わたくし、メルクラウディア=フェルトムーンナイトと申します」
青髪の女性はそういって恭しく頭を下げて流暢な日本語で挨拶をしてきた。メルクラウディアとか言ったっけ。外国人留学生とかかな。すごく品があって、美人な人だ。
「斉藤本太郎です」
「エビフライ子だ」
とりあえずこちらも名乗っておいた。すると男子大学生っぽい人が口を開いた。
「俺は
「デイ=フィエス?」
「この世界とは異なる
「異世界だって」
「我の世界ではない」
異世界というワードを聞いてエビ子を見たけど、デイ=フィエスというのはエビ子の世界とはまた別の世界らしかった。まあ異世界って言っても多種多様ってことなのかな。
「扉に掛けられていた施錠魔法は俺が解除した。しかしこの建物全体に強固な結界魔法が張られているようだ。それは俺にも破ることは出来そうにない」
「無小林様の魔法が通じないなんて、屈辱ですわ」
「やはり施錠魔法が掛かっていたか。となるとやはり犯人は複数の強大な魔術を使える魔術師と考えるのが順当か。この世界じゃなければ、だが」
「いえ。わたくしだって異世界人ですから妥当性は十分に高いですわ」
「なるほど。通りでこの世界では珍しい姿をしている訳だ」
「僕を置いてかないでぇ!」
何か当たり前のように魔法が使える前提で話が進んでいるけど、僕はそんなの全然使えないぞ。残念ながら僕の体質はエビ子が来るまではファンタジー的な展開とは無縁だったし。
「心配するな。解除は出来ずともこの状況を凌ぐ術は数多くある。俺に任せろ」
「流石無小林様。頼もしいですわ」
そういってメルクラウディアさんと無小林さんは壁に向かって指を鳴らしながら色々試し始めた。なんか今ビーム出なかった?
「まだ1人、ここにいる人間がいるようだ。話しかけろ」
まさしく異次元な2人を呆然と見ていたら、エビ子が指をさしながら話掛けてきた。指の方向を見ると、長いツインテールと垂れ目が特徴的な女の子が地べたに女の子座りで座っていた。
「お前のラブコメパワーが活かされる時だ」
「ラブコメパワーなのかはわからないけど、とにかく声掛けてみるよ」
こうして僕はエビ子に背中を押されつつ女の子の方へと向かった。女の子がこちらに気づいたのを確認した後、僕は口を開いた。
「僕は斉藤本太郎。君は?」
女の子はしばらくして、ゆっくりと口を開いた。
「わたしは広葉めろんだよぉ~。よろしくねぇ、斉藤くん」
女の子――広葉さんの声は、まるで入道雲のようにふわふわとしていて、耳心地がとても良かった。
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