RESTART

野本きりん

To everyone who lives today

桜の舞う中、ブカブカした制服で親と並んで写真を撮った。

体育祭でお揃いのハチマキをして、学年も超えて白熱した。

衣替えなのを忘れて冬服で来てしまって恥ずかしい想いをした。

プールの授業の後、国語の先生の喋りをBGMに居眠りして怒られた。

部活の夏合宿で、仲間と一緒に朝から晩まで夢中になって練習した。

文化祭は準備の時からああだこうだとワイワイ盛り上がって、ただただ楽しかった。

部活を引退する時、自分以上に泣いてくれる後輩の存在が有難かった。

受験シーズンのピリピリした空気の中、まっすぐ自分と向き合って試験に挑んだ。

卒業式で答辞が読まれるのを聞きながらもうここに来ることはないと実感して、後ろの子の泣き声につられていた。



スライドショーのように移り変わっていく思い出は確かに僕のもので、そこまで昔のことでもないのになぜだか遠い過去のように感じる。突如強い光に目がくらんで、瞼に力を込めた。






気がつくとベッドの上だった。どうやらカーテンの隙間から差した日光が顔面を直撃したらしい。30近くにもなって随分と懐かしい夢を見たもんだ、なんで今さら…と思いながらゆるゆるとスマホの画面を確認するとアラームの48分前。いつもならまだ大丈夫!とベッドに逆戻りするけれど、今朝はやたら目が冴えていてできそうにない。仕方なしに起き上がってテレビをつけ、洗面所に向かった。



───本日のお天気は…───

───公開初日の舞台挨拶で…───

───流行りのスイーツのお店へ…───

身なりをある程度整えて、昨日の残り物のおかずと食パンで朝ごはんを済ます。特に代わり映えのない平和な毎日だ。テレビから聞こえる声もいつも通りとりとめのない話題ばかり。

───昨日の感染者数は…───

このニュースももはや日常に馴染んでしまった。この感染症が広まりだした頃は神経質に一喜一憂していたのに、最近は良くも悪くも鈍くなったなと思う。



未知のウイルスは世界中の色々なことを変えてしまった。当たり前に過ごしていた自由で平和な日常の有難みをこんなにも噛み締めることになるとは、多分誰も思わなかっただろう。今やどこに行くにもマスクと消毒は欠かせない…いや、そもそも不要不急の外出を控えるようになった。この間テレビ電話で久しぶりに顔を見た友人は仕事がフルリモートらしく、誰とも会えなくて寂しいと嘆いていた。僕は仕事柄出勤せざるを得ないからそういう寂しさはない。ただお世話になった先輩の送別会が出来なかったこと、今年の新入社員のマスク無しの顔を未だに知らないこと、リスクを考えて帰省を諦めたこと、ちょっとしたことが少しずつ積み重なってジワジワと胸を締め付けられるような心地はある。どれもこれも仕方ないと割り切れる性格なら良かったのかもしれない。



思うところは色々あるが、1人で考え込むとなんだか暗い気持ちになりそうだ。今日は早起きついでにさっさと会社に向かってしまおう。こんなご時世なのに相変わらず電車はそれなりに混んでいるけれど、今から向かえば比較的空いているだろうし、なんなら座れるかもしれない。そうと決まれば善は急げだ。残っていた食事をかき込んで、さっき水を張っておいたシンクのボウルに皿を突っ込んだ。



外に出ると爽やかな風に乗ってどこかの家の味噌汁の匂いがした。マスクをしていても分かるのだからきっと近所だ。日の出は随分と早くなったが、4月下旬のまだ弱々しい朝日にぼんやりと包まれた街は、静かな生活の匂いを淡い水色に染めている。


不意にスポーツバッグを肩に掛けた男子学生が3人、戸締りを確認した僕の目の前を駆け足で横切っていった。あれは確か近くの高校の制服だ。運動部の朝練だろうか、マスク越しに「やべー!」「間に合わないんじゃね!?」「考えんな!とりあえず走れ!」と笑い混じりに言い合っているのが聞こえてくる。マスクの息苦しさなど感じさせない、はつらつとした若さが眩しく見えた。しかし彼らもまたこの状況の被害者なのだ。部活の大会や修学旅行は軒並み中止、それどころか登校することすら許されないところもある。けれど失われた時間は戻ってこないし、補償もしてもらえないのだ。あの明るさの裏にどれだけの想いを抱えているのか、夢に見るほど印象的な思い出を残せた僕には知る由もないだろう。やがて彼らはまだ明けきらない朝の街を走り抜けて、どこかの角で右折し見えなくなった。



やるせない気持ちの代わりにイヤホンを解いて、手探りで耳に突っ込んだ。プレイヤーのランダム再生で流れてきたのは学生時代に飽きもせず聞いていて、今でもずっと好きな1曲。時が経つのは早く残酷だ。このバンドは解散してしまったし、僕の中ではまだ熱い曲なのに既に懐メロとして扱われているし、あの頃必死に練習して覚えたコードはもう弾けないと思う。それでも、いやだからこそ、また練習してみようか。長いこと触っていなかったギターを引っ張り出してまずチューニング…覚えているか分からないけれど、調べれば多分思い出すだろう。この曲に乗って、なんだか今なら何でも出来るような気がした。


"青春ってきっと、また始められるんだ。何度でも。"


1番好きだったフレーズは、昔の僕には刺さらなかった心の奥にまで届いて揺さぶった。叫びたいような、走り出したいような、込み上げてくるエネルギーに身を任せて足をグッと踏み込めばどこまでも飛んでいけそうな、そんな気持ちだ。弾かれたように駅までの道を駆け出す僕は、あの頃と同じぐらい青春の真ん中にいる気がした。

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