第2話

 貴族家を追い出されてから、どれだけの距離を歩いただろう。…もう数日は歩いただろうか。今日は次第に雨も強くなり、傘をさしていない私の髪の毛や服に、冷たい雨水が染み込んでいく。私のたったひとつの希望は、ウルテミスから受け取った一枚の紙。そこにはある住所が記されていた。…どんな男の人か分からないけれど、もうここを目指すしかなかった。

 長い道を歩き、ようやく目的地にたどり着く。もう全身ボロボロだ。勇気を出して、扉にノックをする。…しかし返事がない。何度も、何度も繰り返すが、人が出てくる気配はなかった。

 …頬を、水滴が伝う。雨なのか、涙なのかは分からない。私は、いったい何をしているんだろうか…

 私は最後の力を振り絞り、生活局を目指した。生活局とは、民の生活の守護・管理を司る組織であり、貧しい者に食事や衣服の提供を行う、王国直轄の組織である。もはや私は、そこに頼るしかなかった。

 驚くことに事務局の扉を開くと、尋ね人は誰もいなかった。それだけ、頼りにされていない組織なのだろう。


「あの…担当の方はどちらに…?」


 私の声を聞き、1人の男性がこちらに向かってくる。見るからに嫌々そうだ。


「なにかご用でしょうか?」


 かなり高圧的に、私に接する。怖くてたまらないけれど、私は何とか返答をする。


「あの…助けて欲しくて…」


 私の言葉を聞いた担当者は大きくため息をつき、机の下から一枚の紙を取り出して私に放り投げた。


「とりあえずそれ、書いて」


 言われるがまま、私は書類を書き進める。努めて丁寧に、努めて心が伝わるよう、心がけて書いた。


「お、お願いします…」


 私から書類を受け取った担当者は、早速大声で笑い始めた。


「うっそ(笑)あんた元貴族令嬢なの(笑)ダサすぎませんかねえっ(笑)」


 近くにいる他の局員も、笑いを堪えているのが分かる。


「お願いします…助けてください…」


 私はただひたすらに、懇願した。


「だったらさ、いい方法教えてやるよ!元貴族令嬢なんてレアな体してるんだから、それ売ったらいいじゃん!人気出ると思うぜ~!な!いいアイディアだろ!(笑)」


 事務局中に響き渡る大きな声で、彼は言った。周りの局員達も、もはや笑う事を隠していない。


「あーでもそのスタイルじゃ無理かぁ。胸もなさそうだし、テクも無さそうだし(笑)」


 私の体を舐めるように眺めながら、そう言い放った。私はただ、我慢するしかなかった。


「…お願いします…お願いします…」


 もう飽きたのか、彼の笑い声は終わりを迎えた。そして彼は机の下から数十枚の書類の束を取り出し、私の前に音を立てて置いた。


「じゃあこれ、書いてきて。そう言うルールだから」


「…!?」

 

 私は絶句した。ざっと計算しても、書き上げるのには1週間はかかるであろう量だ。


「…そ、そんな…これは…」


 私は弱々しく言葉を呟くが、担当者は構わず続ける。


「嫌なら帰ってくれ。お出口はあちらです」


「…」


 クスクスと、周囲から声が聞こえる。初めから、私を助けるつもりなどこれっぽっちも無かったのだろう。とうとう私の頬を、涙が伝った。

 …もう、なんの力もない。私は事務局を追い出され、当てもなく歩いている。…結局最後に私が目指したのは、あの家だった。

 相変わらず、無人の家。人気はない。雨音だけが、私の脳内にこだまする。その時だった。


「…!?」


 不意に、後ろから優しく抱きしめられた。暖かく、心地良い。もしかして、死ぬ前ゆえの感情なのだろうか。

 しかしその人物は死神などではなく、私の耳元でたしかに囁いた。


「…もう、大丈夫だ」

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