第78話 記事掲載の見返りを求める不届きな記者もいる


 

 とそこへ、みごとなタイミングでマスターが割って入ってくれた。

「お客さま、そろそろお代わりをお作りしましょうか?」

 手もとを見ると、ふたりともグラスが空になっている。


「そうね、ソルティドッグをお願いしようかしら。グラスの縁に盛り上がったソルトが日本酒の升酒みたいで、好きなのよね。あら、オヤジくさくて、ごめんなさいね」


 イケる口の文花がまずオーダーすると、上原和也も負けじと格好を付けてくる。

「じゃあね、ハマっ子のおれはマティーニを。海底に沈んだオリーブの囁きを聴いてみたいからね、ふうかりんと一緒に」


 ――うわわわっ! 気障ったらしい!

   なにが海底に沈んだオリーブよ。


 長い前髪を掻き上げて見せる上原和也に、文花は内心で鋭くツッコミを入れる。


「で、先刻の話だけど、いいよ、協力するよ。その代わり他紙には絶対に内緒だよ」

 お代わりの飲み物を待つあいだの気まずい沈黙を破ったのは、上原和也だった。


「まさか、そんな愚かなモラル違反はしないわ」

 いつの間にか文花は敬語づかいをやめていた。

 親しい関係を錯覚させる溜め口で、ドキュメント写真集『映画「See you again! ジロー」主演女優殺人事件』の詳細を澱みなく語り、通信社との提携を確約させた。


 ここで再びマスターがお代わりを勧めてくれる。

 今度は調子が出て来た上原和也が先に注文する。

「つぎはバーボンをロックで。酒豪のきみは、スクリュードライバーなんてどう?」

「あら、それって別名レディキラーよね。強いお酒で酔わせて、どうするつもり?」


 ――商談成立の見返り?

   冗談じゃないわよ。

   見損なわないでよ。


 地方まわりの全国紙の記者には、記事掲載の見返りを求める不届きな輩がいる。

 記事を載せてもらったお礼に居酒屋で飲んだ帰り、支局長の住まいを兼ねた某紙の支局に引っ張りこまれそうになり、タクシーの運転手に助けてもらった経験がある。


 ――わたしが記者の奥さんだったら、絶対に単身赴任はさせないのに……。


「モスコミュールをお願いします。まったりした琥珀色の揺蕩たゆたいが見たいので」

 またしてもマスターが微妙な角度で小さく片目を瞑ってみせる。

 アルコール度ゼロに近いモスコミュールが登場するはずだった。


 バーボンで酔いがまわった上原和也は、訳のわからない戯言たわごとを呟き始めた。

「おれ、前任地ではどこでも、若い女性が放っておいてくれなくてね。あんまりうるさいんで適当に遊んでやっていたら、そのうちに、たいてい心療内科に通院し始めるんだよね。どういうわけか、おれに拘わった女の子は、同じ運命をたどるんだよね」


 ――ったくもう、持ち重りのする男だねえ。


 げんなりした文花はマスターに会計を頼む。

 飲み代は、当然、こっち持ちである。🍸

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