第76話 主演女優にひもづけられた暗黙の条件



 マスターがカウンターにグラスをふたつ並べてくれた。

 ステンドグラスの仄かな照明に、苺のお洒落なカクテルがピンクに浮かび上がる。


「うわぁ、すてきに乙女チックなカクテルね。マスターって、センス抜群よねえ」

 いかにも若い娘っぽく、文花は無邪気に喜んで見せる。


 細腰に黒エプロンをつけた娘が、大ぶりのトレーを抱えて奥の厨房から出て来た。

 常連の文花に穏やかに会釈すると、恭しい手付きで、つまみの小皿を置いてゆく。


 生チョコレート、ドライ・フルーツ、レーズン・バターの盛り合わせ。

 モッツァレラ・チーズとトマトのサラダ&蛸のカルパッチョ。

 ガーリック・トースト。

 いずれも、ほんの少量ずつだが、趣向を凝らした盛り付けが工夫されている。


「だけどさあ、あの女優、清楚に見せていながら、案外、したたかだったからなあ」

 ふいに上原和也が呟いたので、甘いカクテルを口に含んだ文花は、ぎょっとした。


 ――あら。この人ってば、林美智佳にいつ接触したのかしら?


 文花の沈黙で遅まきながら失言に気づいた上原和也は、バツが悪そうに言い繕う。


「あ、とくに親しかったわけじゃないけど、取材の応対でちらっと思っただけだよ。ま、言ってみれば、記者の勘っていうやつさ。おれたちって、不特定多数の対象者を相手にしているだろう? 自然に磨かれるんだよな、第一印象ってえやつがさあ」


「へぇ、そうなんだ……」

 最小限に答えると、素早く体勢を立て直した上原和也は得意顔で囁いて来る。


「映画界の内情についてはきみも聞き知っているだろう。10年ほど前に社会現象とまで言われた例のベストセラー『東京曼荼羅』の作者の麻生健生はね、自作の映画化とテレビ化に当たってのキャスティングの権利まで、自分で握っていたんだからね」


「あら、そうなの」

「……って、その意味、わかるだろ? つまりさあ、主演女優を選ぶとき、原作者の自分と寝ることを第一条件にしたってえわけだよ。ま、一種の役得ってえやつ?」


 ――うわあっ。見た目は華やかだけど、工場街のどぶのような世界なんだね。


 文花はゾッとしたが、知ったかぶりの上原和也にはしおらしく首肯しておいた。


「作者が無名の今回、そんな話は成立しないよね。でも、こうは考えられないか? ポット出とすら言えない百目鬼肇の勘違い野郎がさ、原作者だか原案者だかの威光を笠に林美智佳に迫ったが手酷い肘鉄を食らい……そんな推理も成り立つわけだよね」


 ――うわわわっ、急に鼻息が荒くなっている。

   ま、いいか、恋人じゃないんだから……。


 そんなことより、都合のいい展開になって来たから本題に踏みこませてもらおう。

 文花は内心の昂ぶりを気取られぬよう、できるだけ淡々とした口調で話し始めた。

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