第74話 文花編集長、バーで通信社記者とデートする


 

 同日の午後8時半。

 タクシーに乗った文花は、クラシックカーの看板が目印の街のバーに向かった。

 髭のマスター夫妻と、愛らしい姉妹がファミリーで経営している蔵造りの店だ。


 ――まあ、そこそこのお客さんが来てくだされば、それで十分なんで……。


 とでも言いたげな素気なさが渋好みの大人の客を惹き付けている有名店である。


      *


 チリリン。ベルの音を響かせてアンティークな扉を押すと、小粋な口髭を和ませたマスターが、磨きこまれたきれいな仕草で、カウンターの中央席に案内してくれる。


 淡い撫子色が肌の色を引き立てるミニのシャネルスーツ。

 ショートヘアに映える、プラチナのネックレスとピアス。

 華奢な手首に何重にも絡ませた糸のようなブレスレット。


 今宵の服装は、万事高級好みの上原和也に合わせている。


 ミニスカートの腰を止まり木に乗せると、自然に太腿が露わになる。きゅっと格好よく引き締まった「少年のお尻」は文花編集長のチャームポイントのひとつだった。


 床を舐めるようにしてスローなジャズが這っている。

 気怠いアルトのサラボーンが人生の儚さを呟き、サックスとピアノのセッションが耳朶をくすぐり、規則正しいベースの爪弾きが客の心身の深層の野生を呼び起こす。

 烈しく、かつ、やさしいドラムスが、流線型のふくらはぎを下からねぶってゆく。


 無駄のない所作で、文花の前に水を置いたマスターは黙ってグラスを磨き始めた。

 下町のオバちゃん美容師のようにダラダラ節度なく話しかけて来たりせず、連れが来るまで放っておいてくれる。文花がこの店を贔屓にする由縁のひとつである。


      *


 扉のベルの音に振り返ると、果たして今宵のデートのお相手の上原和也だった。


 正絹の光沢を放つ大胆な抽象模様のシャツ(いっそブラウスと呼びたいような)。

 白いストレッチが利いた紫紺のカジュアル・ジャケット。

 発育の遅い中学生のように細い脚がいやでも目立つ、ベージュのマンボズボン。

 上から下まで高級ブランド風の粋なファッションで、びしっと固めている。


 右の手首に巻かれた豪奢なプラチナのブレスレットや、左手首を飾る海外ブランドらしい高級腕時計は、素人目にも百万はくだらなさそうだ。垂らせば顎まで届きそうな前髪をわざとらしく掻き上げる仕草もまた、この伊達男のトレードマークだった。


「待ったぁ?」


 柑橘系のオーデコロンと浅い夜の匂いを振りまきながら、文花のとなりの脚の長い椅子に小鳥のように止まった上原和也は、恋人にするように耳もとに囁いて来る。


 ――やだ、やめてよ。(~_~)

   マスターに恥ずかしいわ。


 正直に言って、逆三角形の尖った顔に、黄色い縁取りの漫画チックな眼鏡をかけたところなんか、南米のジャングルに現存しそうな怪鳥そのものなんですけど……。


 内心でツッコミを入れながらも、文花はつとめて淑やかに答えてやる。

「ううん、いま、来たところ。なにになさる? カクテル? バーボン?」


「そうだな。まずは、ジントニックと行こうかな。きみは?」すっかり恋人モードの上原和也に辟易しながらも、文花は敢えて女の子っぽい飲み物をオーダーする。


「そうね、季節の果物のカクテルにしようかしら。マスター、いまのお勧めは?」

「イチオシはイチゴですね。色もきれいだから、お客さんによくお似合いですよ」


 床を這うジャズのヴォーカルのようなソフトな低音で、さりげなく自慢のカクテルを勧めながら、マスターは上原和也には見えない角度で片目をつぶって見せた。

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