第66話 野荒柱&狐憑きの村出身の女優とAD



 

 ちゃらい若者と入れ替わりに出て来たのは、打って変わって地味な三十男だった。

「大野のことで、なにか?」

 頭の黄色いタオルを取りながら警戒を滲ませる三十男に、貫太郎は簡潔に告げた。


「ある事件……と言っても、もうおわかりと思います。お察しのとおり女優殺人事件ですが、その現場におられた大野さんにも関係者として聞き取りを行いたいのです」


 朽ちかけた周囲の景色に溶けこんだような三十男は、大豆ほどの目を見開いた。


「事件に直接の関係がなさそうなことでも、なんでも結構です。なにか気付いたこと記憶に残っていることなどありましたら、なんでもいいですから聞かせてください」


 しばらく逡巡していた三十男は、やがてオドオドした様子で語り出した。


「友人として話していいかどうか迷いますが、おれ、あいつの潔白を信じているのでお話します。抜擢されたと張りきっていた映画『See you again! ジロー』の撮影が始まってから、一度飲んだことがあるんですが、あいつ、頭を抱えていたんですよ」

「ほう。どんな件で?」

「主演女優の林美智佳に、ぎゅうぎゅうに難じられたそうなんです」

「失礼ながら、ADと女優と、そんなに接点があるものなんですか?」


 率直な疑問を口にする貫太郎に、三十男はかえって気を許したらしい。


「ふつうは、ないです。でも、そのときは林美智佳のほうから『あなたの実家、樵村でしょう?』と声を掛けて来たそうです。林美智佳の先祖も同じ村の出身だとかで」


「え、そうだったの? 初耳だな、それは」

 貫太郎と曽山は同時に素直な声をあげた。


「で、撮影の合間に大野を物陰に呼んだ林美智佳は、『あんたの先祖がわたしの祖母を殺したんだ。孫のあんたが謝ってくれ』いきなりこう難じて来たそうなんですよ」


「とつぜん物騒な話になりましたね。どういう意味なんですか?」貫太郎の問いに、三十男は「また聞きですけどね……」と断りながらも、もったいぶって話し出した。


「いまから半世紀余り前の出来事らしいです。そのころ、樵村の住人だった林美智佳の祖父母は、凶作時の穀物の分配を巡るいきさつから狐憑きつねつきとして誹られるようになった。狭い村内での孤立に堪えられなくなった祖母は、ある夜、裏山で首を吊った。残された祖父とふたりの子どもは、夜逃げのようにして東京へ出て来たそうです」


 予想外の展開に、貫太郎と曽山は固唾を呑んで聞き入った。


「そのとき、伊東家を村八分にした代表格が大野康平の祖父母だった。如何なる運命の皮肉か、今回の映画で、過去に確執のあった両家の末裔が顔を合わせた。なにかのきっかけで大野の祖先を知った林美智佳は、相当に激しい口調で謝罪を迫ったようです。せっかくの抜擢が仇になったわけで、ブラックジョークのような話ですが……」


 純朴の塊のような三十男は、ほんの少し口角を上げた。


 ――「抜擢」と、二度も言ったな。


 ことさらな親しさを装ってはいるが、同僚への妬心は相当のようだ。

 目の前の男を冷静に観察しつつ、貫太郎は別の思いに捉われていた。


 標高が高い地方では、冷夏や旱魃かんばつのとき、粟や稗の一粒が命取りになる。山麓の寒村には、他家の作物を盗んだ村人を縛り付けておく「野荒柱のあらしばしら」も存在したと聞いている。まさかのことに、この飽食の時代にも、往時の飢餓の記憶が尾を引いていたとは……。

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