第63話 短歌の同人にばら撒かれた怪文書
とそこへ、雨蛙色のブルゾンの70年輩の老人が自動ドアから入って来た。
「あ、斎藤さん、いいところへ来てくれました。刑事さん、この方も同人です」
管理人に呼び止められた老人は、眼鏡の目を怪訝そうに貫太郎と曽山に向ける。
「こちら、高砂市から見えた刑事さんたち。『日輪』について訊きたいんだって」
「高砂市? そんな遠くの警察がなんの用ですか?」
斎藤老人は下膨れの温顔を強張らせる。
「お引き留めしてすみません。ある事件に関連して関係者周辺の聞き取り捜査をしています。なんでも結構ですから、ご存知の事柄を話していただけると助かります」
貫太郎の率直な依頼に、横合いから管理人も助太刀してくれる。
「わざわざ遠方から見えたんだ。若い刑事さんたちに協力してやってよ、斎藤さん」
それまで眉をひそめていた斎藤老人の顔に、突如、ぽっと赤みが射した。
「高砂というと、例の女優殺しの一件でしょう? 初めての著書が映画になったと、百目鬼先生、それは鼻高々でしたからね、わたしたち同人で知らぬ者はおりません。連日、テレビで事件が報じられるので、どうなることやらと案じていたところです」
ならば話が早い。
それに、語る言葉のニュアンスからしても、斎藤老人は短歌の師匠の百目鬼肇に、敬意どころか、一片の好意すら抱いていないらしい。ネタ仕込みのチャンスだ。
貫太郎は一気に踏みこむことにする。
「その映画製作の件で、同人のみなさんに不平を漏らされませんでしたか?」
「それが、あなた、漏らすどころの騒ぎじゃないんですよ」
果たして斎藤老人は一気に語気を強めた。
「とおっしゃいますと?」
「口にするのも憚られるんですがね、怪文書めいた手紙を送り付けて来たんですわ。それも、同じマンションに住むわたしら同人宛てに、わざわざ郵送でね」
「ほう、怪文書。で、どんな内容の?」
「版元の翡翠書房と代表者への告発です。著書『フリーター豚・ジロー』の出版部数を誤魔化したとか、印税のパーセンテージが少ないとか、映画化の著作権料が少ないのは、版元のピンハネのせいだとか、言うのも憚られる誹謗中傷、罵詈雑言のオンパレード」汚いものを指で摘んで捨てるように、斎藤老人はピタッと体言止めする。
「わたしら同人にしたら、それこそ幻滅もいいところですよ。日本歌壇でもそこそこに名が知れている人に師事できると喜んでおったのですが、いくら名歌を作ったって人間性があれでは如何ともしがたいよなあと、みんなで落胆しておりますよ」
斎藤老人の嘆きに、あらためて驚いてみせたのは管理人だった。
「え、そんな事件があったの? 迂闊にもわたしは知らなかったが、まあ、あの人のやりそうなことではあるよね。短歌の世界では偉い先生だか何だか知らないけどさ、自分がすべて正しい、わるいのは世間だと、それがあの人の自説だからねえ……」
天敵を扱き下ろした管理人は、うまい具合に斎藤老人に働きかけてくれた。
「斎藤さん。いい機会だから、その怪文書、刑事さんたちに見てもらいなよ。捜査のお役に立てるかも知れないし。なに、事件と直接関係がなくても、元高校教師がこんな卑劣なものをばら撒いたという事実だけでも知っておいてもらったほうがいいよ」
「でも、密告するようで、少し気が退けるなあ……」
斎藤老人がためらいを見せると、
「なに言ってんだよ、すでに十分にチクッているよ」
管理人は当意即妙にやり返した。
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