第53話 DTP編集&「1年365日更新!」ブログ
午前6時半――。
翡翠書房に到着した。
通勤時間わずか5分。
1時間も2時間も満員電車に乗る都会生活者には申し訳ないような至近である。
まずは事務所のすべての窓を開け放ち、淀んだ空気を入れ替える。
湯沸かしポットと有線放送をセットする。
緩やかなバック・ミュージックを聴きながら、留守番電話を再生する。
次いで、WindowsとMacのパソコンの電源を入れる。
最初にWindowsを開き、ロック解除のパスワードを入力する。
――キンコーン。
メロディが鳴り壁紙のユキマロが現れる。
手早く受信メールをチェックする。
次いでMacのFetchをクリックし、「1年365日更新!」を謳い文句にしているブログ『ゆる~りユキマロ』の更新に取りかかる。
なにしろ昨日の今日である。あれもこれも書きたい事項が犇めいていたが、敢えて最小限の記事の入力に抑え、写真もどうということのない1葉のみに留めておく。
――こうなったら無料の情報など、もったいなさ過ぎて、とてもとても……。
たったひと晩で、文花は良心的な編集者から、金儲け一辺倒のガリガリ亡者に変身していた。(笑)
「駄目でしょう。ボランティアで孤独を埋める善財夫人じゃあるまいし、正当な報酬なしのただ働きは、プロの商売人にはご法度でしょう。だいたいからして、被災地での救済活動以外のボランティアは市場原理を破壊しているよね。それで食べている人がいるのに、ただ働きを募るほうも応じるほうも、どうかしているじゃない?……」
怒りながら、ややもすればキーボードを暴走したがる指に待ったを掛けた。
20数年前、日本の出版界にもパソコンを使ったDTP編集が普及し始めた。
大組織を抱えた大手の腰が揃って重いなか、中小零細出版社は、各社ともいち早く原価の引き下げを目論み、それまで手作業で行っていた編集をDTPに移行させた。
そのころ社長だった父の徹郎が超保守的なアナログ派だった翡翠書房では、当時の専務取締役編集長だった母の諒子が、まず書店で購入した入門書から挑戦するというまったくの独学でMac(apple社のMacintosh)によるDTP編集をマスターした。
県立短大を卒業して間もなく、「かどわかされて」徹郎の妻となった諒子は、夫が起こした出版社を援けようと、編集も経理もことごとく独学で学んでいた。そのうちに門前の小僧よろしく、拙いながら文章も書くようになり、現在は地元2紙と全国紙1紙にコラムを執筆する一方、エッセイ、ノンフィクション、童話、絵本など30数冊の自著も出版していた。
高砂城北高校から東京の私大に進み、卒業と同時に帰郷した文花にも、
「まったくの我流で気が退けるけど、一応の用は成しているからね……」
そう謙遜しながら、無手勝流のDTP編集のノウハウを教えてくれた。
――母には申し訳ないけど、なんだか大丈夫かしら?
不安に駆られながら、恐るおそるMacに向かった文花だったが、習うより慣れろのことわざどおり、いつの間にか写真集から文字物に至るまで簡単な単行本の編集や、パンフ、チラシ作りは、ひととおりこなせるようになっている。
現在では、WordやExcelなど一般的なソフトを使う書き物や表計算にはWindows、DTP編集やブログの更新にはMacの2台を使用しており、どちらのPCに不具合が生じても、文花の仕事は1日として成立しない。ゆえに夕方、ウェット・ティッシュでキーボードやハードディスクの汚れを拭いながら、「今日一日、お疲れさま。明日もよろしくね」スタッフに対するように労わずにはいられなかった。
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