第44話 高砂警察署のタテ社会&揚げ物弁当


 

 同日の午後9時――。


 乾貫太郎刑事は、百瀬署長以下の先輩や同朋たちと高砂警察署にもどった。

 市民から苦情が絶えない国道の渋滞も、この時間帯には自然解消している。


 通行人どころか犬猫1匹とて見当たらない沿道に、近ごろやたらに目立つ新中古車ディーラーの電光看板ばかりが、派手なイルミネーションをギラギラ瞬かせている。


 ――あのときの恐ろしい教訓を、もう忘れたのかよ。

   これだから日本人のご都合主義というやつは……。


 思い出すだに身の毛がよだつ東日本大震災&そこから派生した福島第一原発事故で「豆腐の上に立つ原発」の危うさを思い知らされ、貫太郎は徹底した節電、省エネを心がけている。なのに、喉もと過ぎればなんとやらとばかりに、こうしてひと晩中、無駄な電光を点けっぱなしにする民間企業の身勝手&無神経がなんとも腹立たしい。


 駐車場にパトカーを止めた貫太郎は、仲間とともに疲れた足取りで石段を上った。

 玄関を入ると、1階の窓口を守っていた宿直の署員3名がぱっと起立して「お疲れさまでした!」最大の敬礼で迎えてくれる。


 ロビーを抜けて階段を上り、2階最奥の刑事課に落ち着くと、さっそく吉澤副署長から指示が出た。「おい、曽山くん。弁当を取ってくれ。いつものやつな」副署長の掠れ声にも疲労が滲んでいる。


 同僚の曽山博史刑事は、机の受話器から馴染みのケータリングに注文を入れる。

「毎度! 高砂警察署の刑事課です。500円の弁当を12人前。超特急でお願い」


 ――公費で賄ってもらうのに贅沢を言っては申し訳ないが、配達される前から中身が分かっちまうっちゅうのも、正直、なんだよなあ。安い弁当は揚げ物ばかりだし、この時間帯に使い古しの油を胃に入れるのは、ちょっと応えるんだけどなあ。


 生来、消化器系が弱い貫太郎は、お仕着せの安弁当を内心で拒否する。


「それにしても署長、じつにお見事でしたねえ、ただの1点の無駄とてない検視作業のシンプルな動線。不肖わたくし吉澤、惚れ惚れと拝見させていただきました」揉み手せんばかりの吉澤副署長の横で、極端な猪首いくびの矢崎刑事課長が「はい。それはもう、まことにもって、はい……」四角い顎を不器用そうに動かしている。


「はははは、そうかね。どういうものか、頭よりも、手や足が先に動きおってねえ。古いむかしの経験ゆえ、自分ではとうに忘れておったつもりだったが、この身体が、確実に覚えてくれとったようだわ。いやはや、お恥ずかしい限り」謙遜と自慢をない交ぜた百瀬署長を、乾貫太郎は心からの憧憬を持って仰いだ。


 ――百瀬署長も一介の巡査からの叩き上げと聞いているが、この道ひと筋の貫録ときたらどうだろう。肩書や学歴で強引に配下をなびかせるキャリアとちがい、自ずから他者を屈服させずにおかない人徳だ。よおし。いまに見ておれ、おれだって……。


 徹底したタテ社会の警察組織で私見を通そうと思ったら、ひとつでも階級を上がるしかない。奉職以来の経験で、貫太郎は冷厳な事実が、とことん身に沁みている。

 大手を振って理不尽が罷り通る現実の改革に、ひそかな野心をたぎらせていた。

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