第17話 主演女優・林美智佳がピアノの下に



 

 当然ながら、まず先陣をきったのは百瀬署長以下、高砂警察署の幹部連である。


 ワインと料理に潤んでいた目を引ん剝くと、急流に押される巌のようにひとかたまりになって扉へ殺到し、そのままの勢いで、廊下を隔てた講堂へとなだれこむ。

 清田哲司社長以下の映画関係者も、全員が団子のようになってあとにつづいた。


 諒子社長と香山部長のうしろにまわった文花が恐るおそる覗いてみると、試写会が終了して以来だれもいないはずの講堂に、なんとも異様な光景が展開していた。


 春の日が西の山脈の稜線に隠れ、にわかに寒々とした薄縹色うすはなだいろとばりに粛然と鎮座するアンティークなドイツ製グランドピアノの、猫の足型を模した3本の脚の下に長々と横たわっている黒い物体……それは主演女優の林美智佳だった。


 黒いイブニング・ドレスを盛り上げる胸に、垂直に突き刺さる突起物が見える。


 ――ひーっ!!!!


 声にならない悲鳴を上げながら、文花の目は、遺骸のかたわらに、亡霊のように突っ立っているボランティア代表善財亜希子と息子の恭一郎のすがたを確認した。


「よし、全員、そこを動かないで!」

 即座に矢崎刑事課長が場を仕切る。


「百瀬署長、むかし取られた杵柄でよろしくお願いします!」ベテランの部下から全幅の信頼を寄せられた元検視官の百瀬署長は、「よし、任せておけ!」と言わんばかりに、周囲の足痕の有無を指差し確認しつつ、慎重に死体に歩み寄ってゆく。


 ――さすがはこの道一筋の貫録。

   まるで身体が勝手に動いたという風だわ。


 いつの間に化粧を直したのか、パープルとグリーンでごってり重ね塗りしたアイシャドーを幽鬼の如きあおぐろに変じさせている財前亜希子。その背に隠れるようにした恭一郎のソフトスーツの股のあたりには、無惨な茶色い染みが広がっている。


 ――やだ。いい歳して、おもらし?


「わ、わたくしは……い、いえ、わ、わたくしたちは、なにも!」

 訊かれもしないのに、善財亜希子は獣じみた絶叫を発している。

 顎が外れたのか、入れ歯の年寄りのようにフガフガ心もとない。


 ――ガチガチガチガチ。

 

 息子の恭一郎から洩れる歯音が、カスタネットの伴奏のようだ。


「奥さん。お気の毒だが、少なくとも第一発見者としての責務は負うてもらわねばなりませんよ。日ごろから善財先生とはゴルフで懇意にしてもらってはいますが、それとこれとは話が別ですからな。よろしいですな」このときとばかりに落ち着き払った矢崎刑事課長の意趣返しを、善財亜希子は恨めしそうにすくい上げた。


 元検視官の百瀬署長は検視を開始する。

 専用の白い手袋を着用し、死体の胸を貫く刃物の種類、傷口の深さ、突き刺した角度などを念入りに確認している。


 携帯電話を耳に当てた矢崎刑事課長は、てきぱきと指示を飛ばしている。

「映画『See you again! ジロー』の試写会場で、女性1名の他殺死体発見。刑事課は全員が出動せよ」


 中村交通課長も矢崎課長にならって留守舞台に指示する。

「即刻、付近の道路を封鎖し、全通行車両に検問を掛けよ」


 華麗を極めていた試写会場は、一転、凄惨な殺人事件の現場に暗転していた。


 ――せっかくの試写会がめちゃめちゃになってしまって、映画『See you again! ジロー』はどうなるのかしら。これで多額の負債を背負うことになるかも知れない清田社長さんもずいぶんとお気の毒なこと。いえいえ、それより以前に、いったいだれがなんのために主演の林美智佳さんを殺害したのかしら。映画って怖い……。


 文花は混乱した頭のなかに同じフレーズをリフレインさせたが、答えが出ない。

 ミニスカートの膝頭が急に心もとなくなり、薄着の背中がガチガチ震え出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る