第16話 宴たけなわに事件の第一声



 

 配給元の清田社長が、本日何度目かの、簡潔にしてクールな謝辞を述べたあと、不遜気質が滲み出る全信の倉科部長の音頭取りで乾杯し、賑やかな宴が始まった。


 上等な料理とふんだんな美酒。

 地元産の高級ワインに早くも頬を染めた高砂警察署の幹部連が、数多の飾り物がぶら下がった制服の腹をたるませ、川原のマレットゴルフ仲間のようにくつろいで談笑しているところへ、「映画の撮影では大変お世話になりまして、どうもありがとうございました」警察への苦手感をどうにか克服し、ビール瓶を持った文花が声をかけると、「おっ、来たな、別嬪編集長。中央のお偉いさん方に引けを取らない堂々の挨拶ぶり、感心、感心。まさに地元の誇りだよ」恰幅も態度も大将然とした百瀬署長が、分厚い頬肉に埋もれた百舌鳥のような目をでれーんと弛めてみせた。


「いえいえ、すっかり上がってしまいまして……。お恥ずかしい限りですわ」

 できるだけ慎ましやかな口調を心がけて恥じらうと、となりの吉澤副署長が百瀬署長に知られない角度で、ミニスカートから伸びた文花の脚を睨めまわしながら、「署長がおっしゃるように、なかなかどうして大したものですよ、高砂っ子は」


 言ってはなんだが、ジムで鍛えたプロポーションにはいささかの自信がある。

「あら、いやですわ。副署長さんまでが、そんな……」

 文花は下からすくい上げるように相手を見た。

 われながら天晴れな媚態である。


「いやはや、お安くないですぞ。こちらにもお酌をお願いしますよ、編集長さん」恫喝でもしそうな胴間声は丸暴もどきの強面で知られる矢崎刑事課長で、「たしか翡翠書房、だったかな? つぎに映画を作るときは最優先で道を開けてやるから、直接、わたしに申し出て来なさい」自ら約束してくれたのは中村交通課長だった。


 ここ一番の大仕事を成功させた佐藤プロデューサーの禿頭は、いやが上にも光り輝き、不潔な半白髪の口髭に子豚のテリーヌの滓を付けた竹山監督は、見るからに小心そうな黒目をキョトキョトさせながら、つい先刻上映したばかりの映画の感想を、会場のだれかれとなく訊きまわっている。


 それぞれがそれぞれの立場でパーティを楽しんでいるなか、ただひとり、この場から完全に浮き上がっているのは「原案」本の著者の百目鬼肇ぐらいだが、いい歳をしたオッサンが元エリート教師の格好をつけたがり身勝手にかこっている無聊ぶりょうなど、いくら版元でも、26歳の文花編集長の知ったこっちゃあなかった。


 ――いろいろあったけど、こういうときぐらいは楽しまなきゃね。


 ミーハーに徹した文花は、佐藤プロデューサーから撮影係を命じられているADボーイに、主演の佐々木豪や林美智佳とのスリーショットや、こういう席でも際立って男前の清田社長とのツーショットを撮ってもらい、ルンルン気分だった。

 諒子社長も香山部長も大人のノリで、出席者との交流を楽しんでいるらしい。


 ――たまにはいいよね、贅沢も。地味なふだんへのご褒美、ご褒美。


 自分に言い訳しながら、文花が熱くなったまぶたを潤ませかけたときだった。


 ――ギャーッ!


 とつぜん、いささかとうが立った女の悲鳴が、立食パーティ会場を揺るがせた。

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