第14話 Z新聞文化部長室のあり得ない密談



 

 記者会見の舞台が片付けられると、いよいよ試写会のスタートである。


 諒子社長の古くからの知人であるX新聞の論説委員氏が、厚意で執筆してくれたコラムを読んだ佐藤プロデューサーが、いきなり翡翠書房に電話をかけて来た。

 すべてはそこから始まった今回の映画化だったが、文字どおり爪で灯を点すようにつましい小出版社と、すべて丼勘定の映画業界の間に、次第に齟齬そごが生じ始めた。


 結局、佐藤プロデューサーと配給会社は、意のままにならない田舎出版社から、なんでも大喜びでやってくれる善財亜希子に乗り換えた。つまりは途中から蚊帳の外に置かれた翡翠書房にとっても、初めて観る『See you again! ジロー』である。

 

 細いピンヒールで用心深く降壇した文花は、諒子社長と香山部長に駆け寄った。

「文花編集長、とてもよかったですよ、堂々としていて、落ち着いていて。正直、見直しましたよ」香山部長は率直に褒めてくれたが、諒子社長はなにも語らない。

 

 ――やっぱり至らなかったのかしら。

 

 人前での挨拶の場数を踏んでいる諒子社長の目には、よほど未熟なスピーチに映ったにちがいない。百目鬼氏の無礼にも異議を申し立てられなかったし……。


 悄然とする文花に、だが諒子社長は穏やかな笑みを贈ってくれた。

「まずまずの及第点だね。初めての大舞台にしては上出来だったよ」

 一部の男たちが「怖い」と評する紅鳶色べにとびいろの眸に、うっすら滲むものがある。

 

 ――やったぁ!!!!

 

 母思いの文花にとって、諒子社長の評価は、他のだれの言葉よりも重みがある。


「でも、百目鬼先生ったら、あんな失礼を……」幼子のように涙目になった文花を諒子社長はかえって励ましてくれた。「なにもいま始まった話ではないでしょう、あの方の自己チューは。まあでも、多かれ少なかれ、著者なんてみんな同じようなものよ。本を出してもらうまでは平身低頭しているけど、いざ出版してマスコミにちやほやされれば、版元がどれほどの力と費用を注いだかなど、ころりと忘れるんだから」並外れて大きな諒子社長の虹彩が、酢を掛けたように、きゅっと窄まる。

 

 ――みんなが「怖い」と言うのは、これなんだよね。

   双方の心を映す鏡だから、社長の目が怖いんだ。


「百目鬼氏にしたってゼロからの創作ではない。いわば当社で作った企画書どおりに資料をまとめたに過ぎないのに、いざ話題になり始めると、自ら立案した企画をしがない小出版社に与えてやったかのように言い広め、あげくの果てに、教え子のZ新聞文化部長を介し、東京の版元に改訂版の出版まで持ちかけたんだからねえ」

 苦手な相手には「氏」を付ける癖がある諒子社長は、珍しく多弁になった。


「とても出版社の社長とは思えない、傲岸不遜な顔付きの男が、東京からタクシーを飛ばして乗りこんで来たときは本当にびっくりだったよね。大新聞の文化部長室があり得ない密談の舞台になっていたという事実にも心底びっくりだったし……」


「いまや完全にひとり歩きしている『フリーター豚・ジロー』の書名も文花編集長の命名なのに、都合のわるい事実にはピタッと口を閉ざし……。金やら名誉やらの欲得に駆られた卑劣な男たちが寄って集って小出版社をいたぶったんですからね」


 文花と香山部長が競い合うように告発するのを、まあまあと制した諒子社長は、「苦い話はこの辺にしておきましょう。こちらまで汚されるのは癪だからね。いろいろあったけど、なにはともあれ、無事に映画が出来たんだから、今日は高砂城北高校のれっきとした職員だった、亡きジローの供養のつもりで鑑賞しましょうね」

 穏やかにまとめた諒子社長は、地味なパンツスーツの背筋をピンと伸ばした。

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