第六話

 6:

 それからは、穏やかな日々が戻った。

 ようやく部屋に慣れてきて、くつろげるようになった。


 入試試験の合格の知らせが来て、高校の制服を取りに行って、教科書を手にして。ニュースで南の地方から順に桜の開花情報が流れてきて。


 高校の入学式が迫ってきていた――


 初めて、一人でちゃんとした料理を作ってみた。


 うまく出来なかったけど、兄は我慢しながらがつがつと食べきったり(それもそれで失礼だったが)


 制服を着た姿を見せたら、スカートの丈のことで、ひと悶着(兄が短すぎると言い、源之助さんと番太さんが、若い子ならこれくらいだと対抗する)ここは呆れた。


 秦太郎さんは、傷だらけになった車の事で忙しかったそうだが……もう新品同様としか思えない車に乗っていた。


 ……お財布に福沢諭吉が入ってるのですら動揺してしまう私にとって、これについては何も言えない。


「燕、お前なにしとるんじゃ?」

「ああ、お兄さん。ちょっと部屋の整理を」

「龍のアニキ。まるで燕さん女房みたいですねぇ」

「うるせぇ」


 部屋に戻ってきた兄が、後ろにいた番太さんを裏拳で黙らせる。


「そのダンボールの中身はなんじゃ?」

「捨てるものです」

「捨てるのか……しかしまぁ、たくさんあるのう」

「ええ、そこの引き出しにたくさんあったんで」


 指先を向けたのは、大きな引き出しの付いた棚――


「なんだとぉうっ!」


 兄が驚き叫び、慌てて棚の大引き出しを開けて中を確認する。


「か……からっぽじゃ……からっぽじゃぁぁ……ああ……」


 肩を震わせて、兄が死にそうな声で呟く。


「本当に、一本もありゃしませんねぇ」

「恐ろしや……」


 源之助さんと番太さんが兄の脇から、空っぽになった引き出しの中を覗いていた。


「よっこいしょっと」


 そんな兄龍之介を尻目に、ダンボールを持ち上げて、秦太郎さんの前へ。


「この公然わいせつ物品全て、爆破しといてください」

「分かりやした」


 秦太郎さんが力強く即答。


 十八未満閲覧禁止。アダルトDVDとビデオと雑誌の入ったダンボール箱を秦太郎さんはさらっと受け取った。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ……」


 苦しみに苦しむ亡者のような呻き声を上げて、兄がその場に崩れ去った。


 まるで、どこかの底へでも落ちてしまった様子の兄へ、冷えた視線で、苦悶する虫けらでも見下すような視線を浴びせてやる。この虫けらめ。


 そこへ――


「燕さん! 秦のアニキ!」


「ここはお二人の、お手を煩わせるわけにゃ~あ、いきやせん」


 妙に息の合った源之助さんと番太さんが、きれいにそろって私と秦太郎さんの前に並んだ。


 とりあえず、無言で返す。


「…………」


「そのようなお手間は、このあっしらの出番でやす」


 交互にそろった、二人の言葉。


「弟分であるあっしらの、面倒を見てくれる兄貴分!」

「兄貴分の手間を、少しでも省くのが弟分の役目!」


「そのダンボールの処理は――」

「このあっしらに――」


 源之助さんと番太さんが迫ってくる。


「「どうかお一つ、あっしらにお任せくだせぇ! さあ、さあ、さあさあさあさあ」」


「秦太郎さん。粉々にしといてください」

「木っ端微塵にしときやす」


 秦太郎さんが力強く答えた。


「のおぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「っまいがあぁぁぁぁぁ!」


 番太さんが頭を抱えてブリッジするほどの体を仰け反らせ、源之助さんが両手を組んで天井を仰ぎ見た。


 どうせこんなことだろうと、半ばお見通しだった。


「燕……ええ根性してきたのう……」

「いい加減慣れますって。住めば都って言いますし」


 視線を窓際へ移して。


「コジローちゃんだって、ねぇ……」 


 窓際では、コジローがこの騒ぎの中ですらクッションの上で転寝していた。

 子犬だっていい加減慣れて、根性も座るものだ――

 と、眠りながらそう言っているようだった。


「このワンころめ……」


 兄が恨めしい顔をして、昼寝をしているコジローへ四つんばいで近寄る。


「お兄さん駄目ですよー。気持ち良くお昼寝してるんだから、悪戯しないの」


 ぴしゃりと言い放ってやり、兄がぶう垂れた顔で伸ばした手を引っ込めた。


「それよりも、お兄さん――」


 立ち上がった兄に、すぐ近くまで寄って、


 両手を顔の下で組み、上目づかいに甘えた声で――


「私、コーコーセーになるしぃ……新しいお洋服とか、ほしーなぁ。変なの着てると笑われちゃうよ私ぃ」


 この兄になら出来るだろうとなんとなく思った、いわゆる『可愛い妹のおねだり』である。試みは初めてだったが。


 兄がぐっと拳を握った。


「お兄やんにまかせとけぇ!」


 ちょろい。一発KOだ。


「やったぁ! お兄ちゃんありがとー」


 隅っこでは、ダンボールをいったん置いて屈んでいる秦太郎さん。口元に手を当てて、必死に笑いをこらえていた。


 私の服装は、何系かと問われたら、『イモい系』だった。


 中途半端な丈のジーンズ生地が分厚いスカート。色あせてくたびれた上着。野暮ったい服ばかりだ。


「よし! 気合入れて選ぶぞー」


 当然、イモい系が好みというわけではなく。自由に服が買えなかったからだ。


「んじゃあまずはー、ええ感じのグラサンにー、お前ならスカジャンで気合が入りそうじゃのー」


「なんですと!」


 イモい系からヤンキー系にワープする自分を想像して、頭を抱えた。


「しょっぱなから舐められんようしとかんとあかんで。弱みも見せたらあかん。フザケたことされたらすぐにワシ言うんじゃぞ」


 この兄に女の子の服なんて分かるわけが無かった!


 ついでに言うと、隅っこで秦太郎さんがもう限界とばかりに、段ボール箱を叩いていた。


「ああ、そういえば龍のアニキ」


 番太さんが思い出したように。


「そろそろ組長のところへ」


「おおっと、そうだった。燕」


 兄が私へ向いて、


「実はな――」


 なんだろ?

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