暴れ龍

第一話

 1:

 ガシャンッ!

 また転ぶ。


 すりむいた膝を、またさらにすりむいた。


「っ……」


 ひりひりする膝が、さらにざりざりと痛み出す。

 すりむけた肌は膝だけでなく、腕にも肘にも、右頬にもあった。


 それでもまた起き上がって、一緒に倒れた自転車を立て直す。


 小学三年生になっても自転車に乗れないままだった。

 そもそも、自分には自転車が無かった。


 だから、捨ててあった自転車を拾って、茜色に満ちている公園の中、一人で乗る練習をしていた。


 また転ぶ。


 捨ててあった自転車が子供用なわけがなく、大人サイズのママチャリだった。


 フレームも土ぼこりや泥で汚れきっていて、チェーンにはまったく油が残っていなく錆だらけ。タイヤに空気が無いどころか、タイヤの表面がぼろぼろ。


 カゴも当然、くしゃくしゃになった紙袋みたいに潰れていた。


 当たり前も当たり前に、補助輪も無い。


 走れば空気の無い車輪でガタガタと壊れそうに揺れて、また倒れた。


 自転車に乗れるようになるのは、こんなに大変なのか?


 みんなこんな痛い思いをして乗れるようになったのか……。


 それなら、根性出して頑張らないと。


 もう周りの奴らはもうとっくに、こんな痛くて怖いのを乗り越えて、自転車に乗れるようになっているんだ。


 だったら俺だって……出来るはずだ。


 みんな痛い思いも耐えて出来るようになったなら、俺だって――


 また転ぶ。


 今度は顔から落ちた。


 痛い……。


「君、大丈夫かい?」


 声を掛けられた。


 振り向くと、若い男性だった。


 まったく毒気の無いさわやかな印象の男性。


 好青年を大人にしたような容姿だった。


「自転車の練習かい?」


 男性の柔らかい声。


「大丈夫じゃ、これくらい……みんなこうやって乗れるようになったんやろ?」


 男性の顔が一度びっくりした後で、すぐにほころんだ顔をする。


「そうだね、僕も子供の頃転んでばかりで、いつも泣きながら練習してたよ。もうやだなぁって思ったくらいだ」


 懐かしそうに。辛そうな経験のようだが、古い思い出を見る顔は、どこか温かみのある笑みだった。


 四つんばいになった姿勢から立ち上がろうとして、血のすじを流す膝頭を見た。

 痛みで脚が小刻みに震えている。


「ほら、立てるかい?」


 男性が手を伸ばしてくれる。


「お、おう」


 その手に自分の手を伸ばして――男性の後ろを見た。


「――――っ!」


 信じられないとばかりに、驚く。


 男性の後ろには、補助輪の付いた真新しい小さい自転車。まだ幼稚園に入ったかどうかというくらいの幼児が、自転車にまたがっていた……。


 奥へ向く視線に気づき、男性が顔だけ振り向かせて。言ってくる。


「ああ、僕の子供なんだ。まだまだ甘えん坊でね……君みたいに、一人で頑張れる子になってもらいたい」


 胸の中がざわつき、頭の中がじんと熱くなる。

 体中の痛みを忘れるほどに――


「ほら、手を貸して――」

「うるさい!」


 男性の握っていた手を振りほどく。


「大きなお世話じゃ!」


 一気に立ち上がって、ぼろぼろの自転車を立て直すと、空気の入っていない車輪を、引きずるように走り去る。


「君っ!」


 後ろから聞こえる男性の声も、ただひたすらに煩わしかった。



 なんやねん! なんやねん! あんなんがなんやねん!


 補助輪なんかつけてかっこ悪いわ! あんな自転車、大きくなったら乗れへんやないか!


 お父やんにべたついて乗せてもらって、乗れるの手伝ってもらってるんやろ! 


 一人で何も出来へんのか! なっさけないで! 馬鹿か! 


 なんやねんあの小さくて小奇麗な自転車は! 俺はあんなんいらんで! 


 一人で誰の助けも借りんでやったるわ!


 泣いてるのは羨ましいわけやない、膝が痛いからや……こんな傷で泣くわけないやろ!


 俺は……俺は……。

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