第四話
4:
「いってきまーす」
「うす」
「ばしっとキメてきてくだせぇ」
「お気をつけて」
「がんばれー」
源之助さん、番太さん、秦太郎さん、そして最後のテキトーなのが兄だった。
昼間は皆がいなくて部屋の中で一人きり(+コジロー)だったので、静かに試験勉強することができた。
おそらく居れば邪魔になると、秦太郎さんが気を使って兄達を遠ざけておいてくれたからだろう。
学校はアパートから大体歩いて二十分くらい。電車は使わないが、バスでも行けるらしく、申請すれば自転車も通学できるという。とりあえず歩きで学校へ――
歩きながら通学ルートの様子でも眺めていこう。
さすがに、先日のような警察二十四時コンニチワは無かった。
ただ、いくつかコンビニエンスストアとかファーストフード店が、それから坂が一つあった程度だった。
もう少し周囲を散策すれば公園とか、学校帰りに寄っていける面白そうな所がありそうでもある。
私立翔台高等学校。
飛翔の字と台の字なだけに、この学校は少しばかり高台になった場所にあった。
やっぱり二次募集の試験で受験者も少ないためか、自分と同じような受験希望者はまったく居なかった。しかし――
「よう」
なぜか翔台高校の正門の前で、兄の龍之介がしゃがみこんで待っていた。
「な……なんでいるの?」
――さっきアパートで見送ってくれていたはずなのに。
「先回りしたんじゃ」
なぜに?
「いやな、やっぱりこの学校の校長に挨拶しとこうかと思ってなー。ほら、いままでばたばたしちょって、慌ただしかったやろ? ここも募集過ぎちょったのに、事情を話してなんとか受験させてもらえたんや」
――ああ、なるほど。確かに急な話を受け取ってもらえて、挨拶一つも無いのは失礼なのかも知れない。
「試験時間まで時間あるやろ? 一緒に校長室まで挨拶にいこーかー?」
早めに出たので試験まであと四十分弱あった。
兄があくびをして頭をくしゃくしゃとかき回す。
寝ぼけ顔が残っている兄の顔。
なんだか試験への高まっていた緊張が、和らいでしまう。
「秦太郎さんたちは?」
辺りを見回すと、兄一人のようだった。
ついでに、遠目からこちらへ向かってくる、自分と同じような気配をした学生服の男子が見えた。
「ああ、こんなこと言ったら、あいつら余計な事しないかって疑ってくるしの、黙って来たんじゃ。まったく、信用されとらんで」
秦太郎さんの怒り顔を思い出したのか、げっそり顔をする兄。
「じゃあ、カッコいいとこ見せてください」
「おう、まかしときー」
試験者用の入り口へいったん向かい、兄は来客用の受付口からと別々で入り、建物の中で落ち合う。
「受付で聞いた、この上の二階にあるんじゃ」
「はい」
兄と一緒に燕が階段を上がると、すぐに職員室。そしてその奥に校長室が。
「いくで、気合入れるんじゃぞ」
こくこくと頷き。兄がノックの後で校長室のドアを開けた。
「こんちわー」
「どうも」
校長室の椅子に座っていたのは、初老姿の……いかにも校長ですといった感じの男性だった。受付口で事情を通してあったのか、特に誰なのかと思われることも無く、校長が迎えてくれた。
二人して失礼しますと告げて室内へ入り、校長の机の前まで行く。
「この度は、急な入学試験の要望、お受けしていただき、ありがとうごぜぇます。保護者兼、兄の飛高龍之介でぁす」
さっそくイントネーションにボロが出ていたが、大丈夫なようだ。兄のまねをして、続く。
「この度はまことにありがとうございます。飛高燕です」
「うむ」
一言、校長がそう返すのだが……校長の顔を見てみると――校長の顔が、どこか苦々しい表情をしていた。
そのまま、校長は軽く手を振って。
「分かりました。それでは燕君は教室へ、お兄さんは分かりましたので、これで」
「…………?」
なんだろうか? こういった……これだけなのだろうか?
挨拶って、本当に顔を合わせて一言挨拶を告げただけで、なんかこう……二言三言と会話のやり取りがあっても――
「早く行きなさい」
強い声音。
明らかにこの校長は、自分達を煩わしく見るような目で見ていた。
がつん!
突然に、兄が身を乗り出して校長机の上に足の裏を叩きつける。驚いた。
「おうおうおうおうおう! せっかく丁寧に挨拶しに来たってーのに、何じゃその態度は! おおぅ!」
急な兄の態度に、校長も驚く。
しかし校長も、額にしわを寄せて抗戦に出た。
「私も忙しいのだ。長々と相手をしている時間は無いのだよ! 飛高龍之介、どこの誰なのかも分かっているとも! ここで騒ぎを起こせば! 妹さんの試験もなにもなくなるぞ!」
「お兄さん!」
止めに入る。
が――
兄は突然、ああと思い出したように、
「それとよぉ、俺ぁあんたにちょっくら返さなきゃならんモノがあるんよ」
兄が羽織の袖へ手を突っ込んだ。
そして、袖から出したものを校長の前へ出す。
それはこの校長が、誰かと一緒に歩いている写真だった。
校長の顔が怒りの表情から、破れたような驚きの表情、
そして真っ青な表情へ――
「うちの子分がなぁ、たまたまコーチョーセンセーのお姿を見つけまして、さらに、たーまたま持っていたカメラで、撮っちまったんじゃ」
――これって、ひょっとして。
「いやー、真夜中の人目を避けたホテルで……これはPTAのお偉いさんと、ですよねぇ。真夜中まで教育談義とは、これはご勤勉さに恐れ入りますわー」
校長と女性が並んで歩く背後には、やたらとカラフルな看板が。しっかりと店の名前がフレーム内に収まって良く見える……ラブホテルの名前だ。
「…………」
校長の顔に脂汗がにじみ出て……硬直したまま小刻みに肩が震えだした。
「いやはや、すんませんでしたーこんなところを撮ってしまって~。子分のやつにゃあ、きつ~く言っときますんでご心配なく」
申し訳なさなど兄の表情には微塵も無く、むしろ、してやったりのニヤニヤとした、
悪党顔だった。
あまりの状況にめまいがした。
「な、な……な」
「しかしまぁ、こんなご立派な校長先生がおられる学校の、入、学、試験にーうちの妹を受けさせてくれて、本当にありがとうございます。ええ、ええ本当にありがとうございますわぁ、ほんま助かりました」
兄のまくし立てに反比例するかのように、校長の表情が青白く恐怖に包まれていく。
「ここに落ちてしまったら、うちの妹は行く当てが無く、まだ落ちてしまったときの事を考えていないので、まーだまだ気が抜けませんがねぇ……」
これは明らかにアレである。決して口に出してはならないアレの『アレ』だ。
「まぁ俺も、夜までお忙しーい校長先生様のお時間を、これ以上お取りするわけにも行きませんなぁ……ついかっとなってしまって、申し訳ありやせん。頭に血が上りやすい性分なんで、何かとご勘弁を」
ニヤニヤとした表情のまま、身を乗り出した体を元に戻して、兄は顔の前に手を置く。
悪戯した子供が調子に乗ったままごめんなさいをする仕草を見せた。
「お前はなにしとんじゃあああああああッ! 」
心臓が跳ねるほど驚いた。
校長室に飛び込んできた秦太郎さんが、雷鳴のような怒声を轟かせ、兄の頭を電光石火に殴り飛ばした。
秦太郎さんのゲンコツで兄が一瞬、地面に埋まったかもしくはバネのように縮んだかのように見えた。
頭を抑えてしゃがみこもうとする兄の胸倉をつかんで、秦太郎さんが兄を持ち上げんばかりに再度立たせる。
「いつの間にかいなくなったと思えば、源と番がよそよそしくすっとぼけてやがるから聞き出してみれば、やっぱりこれか! この馬鹿たれぇ!」
「俺はちゃんと挨拶したかっただけじゃき。だけんどもこの校長が――」
「ええい黙れい!」
校長室の出入り口を見れば、頭に巨大なたんこぶを乗せた番太さんと源之助さんが申し訳なさそうに立っていた。(両手を前で組んで)
秦太郎さんが兄の胸倉をつかんだまま一度うつむいて、自分を押さえ込むように深呼吸をした。
そのあとで秦太郎さんがこちらに向く。
「燕さん、ここはあっしが何とかしときますんで、とりあえず教室で試験を受けて下せぇ」
「あ、えと……」
「その方がいいでさ、試験がんばってきてくだせぇ」
「……はい」
とりあえず、いろんなものに圧倒されたが、素直に従うことにした。
テストは特に問題は無く、時間が余ったくらいだった。私にとっては簡単すぎるくらい。ただ、時間が余ってしまうと、校長室の方向がものすごく気になって仕方が無かった。
『飛高龍之介、どこの誰なのかも分かっているとも!』
あの言葉が、どこかひっかかる――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます