サルベージ(SF)
目が覚めると、雨が降っていた。
どこかゆったりとしたところで、心地よく過ごしていたはずなのだが、見知らぬ部屋の柵付きのベッドに、丈の合わないポンチョめいた服を着て横たわっている。枕がやけに固い。ここはどこだ、どうしてここにいる。そもそも自分は誰だ。両手を見ても、鏡で顔を見ても思い出せない。男か女かも覚えがないので服を捲るが、股はデッサン人形のようにのっぺりとしているだけだった。
部屋には他にもベッドが三床ありカーテンで仕切られているが、自分以外には誰もいない。窓から見える雨は止むことなく降り続き、終わりが見えそうになかった。部屋にいても仕方がないので、そっと抜け出し廊下をあてもなくひたひたと歩く。床が冷たいが不思議と心地よい。自分がいたものと似通った部屋が数メートルおきに点在するが、やはり人気はない。
ここは病院だろうか。自分は大病を患ったか、凄惨な事故に巻き込まれたのか。身体を触っても答えは出てこない。とにかく誰かに会いたい。会って聞きたいことが山ほどある。看護師とでも出会えればいいのだが。
廊下を進んでいくと、ガラス張りの向こう側に培養槽が並んでいた。人の腕や足、その他各種内臓が培養液の中を水中貯木のようにぷかぷかと浮かんでいる。ぎょっとしたが、部屋の周囲が異常に消毒液臭く四肢欠損患者や移植手術に使うものだろうと無理矢理に納得した。
あまり見るべきものではなかったと足早に通り過ぎると、今度は巨大なサーバーが繋がれ並べられた部屋があった。常時通信しているのだろう、七色に光ってはビビビガガガと悲鳴を上げ、入口側に設置されているものは海風を浴びたように錆びついている。
「オ目覚メデスカ」
声のした方にはいつの間にか白衣の男が立っていた。言葉の端々にノイズが混じっているということは、人ではなく経年劣化したヒューマノイドの類だろうか。顔立ちは人間そのもので、ここまで高性能なタイプは初めて見た。
「ここはどこだ?」
「ベースキャンプ88、地球最後ノ陸地デス」
返ってきた名称は聞いたことがなかった。記憶にないだけなのかもしれない。頭の中を掘り起こして、唯一地名らしき言葉を見つけ東京はどこかと手を伸ばして尋ねた。帰りたい思いが強い。
「東京トハ、日本ニアッタ都市デスネ」
日本。どことなく懐かしい響きだ。自分はそこで長らく暮らしていたように思う。そうだと答えた。
「滅ビマシタ。核戦争ガ起キマシタノデ」
「なんだって!?」
男が言うには、三百年前に核戦争が起こり地球は汚染と資源の枯渇により壊滅状態になったという。生き残った人類は地球を捨て火星に移住し、以来音沙汰がないらしい。放射能濃度こそ下がったが温暖化は進み海面は上昇を続け、今は残された機械たちが命令通りに働いているだけだという。このベースキャンプも、数年後には沈んでしまうらしかった。
「モハヤ地球ハ99%ガ水ノ死ノ星。我々ハ生キテイケマセン」
「いや、そんなことよりも自分は誰なんだ、何故ここにいるんだ、他に人はいないのか」
「落チ着イテクダサイ。興奮スルトオ身体ニ障リマス。ココカラハ私ガゴ案内シマス」
まだ自分自身を思い出せないが、この男は知っているかもしれない。他に道しるべもなくついていく他なかった。無言のまま、先程よりも重くなった足取りで進んでいく。自分は誰だ、何者なのかわからないことに名状しがたい恐怖を感じている。頭がおかしくなりそうだ。
どこまでも続く暗がりの廊下は、施設が広大であることを示している。歩きながら、男は淡々と話し始める。
「人間ガ去ッタ後モ我々ハ命令ノママ働キマシタ。シカシナガラ、我々ハ我々ヲ直ス手段ヲ持ッテイナイノデス。人間。壊レタラソレマデナノデス。意味ガオ分カリデスカ?」
男は暗がりの部屋に打ち捨てられている機械を指差す。目を凝らしてみると、汚れた残骸の山が形成されていた。男と同じ顔のヒューマノイドがだらしなく配線を剥き出しにしてオイルを漏らし朽ちている。廃棄処理も間に合わない程なのだろう。
「いきなりなんだ、自動修復機能を持った機体くらいあるだろう」
口から反射的に言葉が出た。知識として持っていたことに自分自身で驚いている。自動で直る機械の存在は知らなかったはずなのだが。身体が覚えていたのだろうか。自分は、機械工学に携わる職に就いていたのだろうか。
「我々ノ自動修復機能ハ、火星移住ノ際反逆ヲ起コサナイ為、ロックヲ掛ケラレマシタ。同胞ハ時間経過ト共ニ壊レ地表ハ水ニ沈ミ、残サレタ時間ハ殆ドアリマセン」
次の部屋が近づくに連れ嫌な予感と違和感が膨らんでいく。この男は何を見せようというのか、自分は知っているような気がするのだが思い出せない。思い出すことを心が拒否している。今すぐにでもここから逃げ出したいが、真実を知りたい足が勝手に前に進んでいく。
意識が一箇所に安定せず、体の部位ごとにあるような自分自身でコントロールが出来ない気持ち悪さがずっとつきまとっている。このまま身体がバラバラになってしまうのではないかとすら思って、呼吸するのが怖くなった。
「直スコトハ出来ナクトモ、創ルコトハ出来ル。ソウプログラミングサレテイマスカラ。我々ハ、我々ノ修理修復ノ為ニ創造主タル人間ヲモウ一度創リ出ソウトシテイルノデス。貴方ハ唯一ニシテ最初ノ成功例デス」
「人間を……創る、だと?」
さも当然のことであるかのように発せられたおぞましい思想に鳥肌が立った。機械が人を創るなどあってはならないことだ、自分は激しい嫌悪の感情を抱いている。初めて人間らしい感情を持ったような気がする。身体の意見が全会一致したような一体感だ。
「死体ヲ回収シ洗浄、修理、保存スル技術ハ二百年前カラ存在シマシタ。デスガ」
と言葉を切って、男は自分の方に振り向く。
「ドウシテモ魂ダケハ創リ出ス事ガ出来マセンデシタ。ソコデ我々ハ、冥府ノ海カラ魂ヲサルベージスル計画ヲ立テマシタ」
通された部屋には重機械が規則正しく並んでいる。重機側の足元が開き、紫色の靄が立ち込めこの世のものとは思えない色の水面に蟹籠がいくつも浮かんでいているのが見える。瞬間全身の毛が逆立つ恐怖が襲いかかった。自分はあれに捕まっていた覚えがある。
重機械が籠を引き上げると、中にはウミヘビのような、ミミズのような細いぐねぐねしたものがのたうち回っている。あれが魂なのだと即座に理解できた。心地よい海で揺られていたのに、急に現実に引き戻されたような不快感の正体はあれだ。自分は死んだのだ、死んだのに再びこの世へ勝手に連れ戻されたのだ。それも機械の手によって。なんたることだ。
「冥府の扉を開けることも人間を作ることも、神の領域に触れることだ! 倫理的に到底許されるべきものではないぞ!」
激しい怒りの感情のままに叫んだ。冷や汗が手から足から背中から、つうと伝っていくのがわかる。全身が震えて、気を抜いたら倒れてしまいそうで足に力を入れてようやく耐えていた。
「我々ニ倫理観ハ必要アリマセン。目的ノ為ニ手段ヲ行使スルダケデス」
男はこちらが憔悴していることを意に介さずに言った。バイタルが乱れているから落ち着くように言われたが、これが落ち着いていられるものか! 身体と自分の意思が足並み揃わない理由がわかってしまった。引き揚げられた魂たちが縫合された身体に押し込まれている様子から目を離すことが出来ない。
「……唯一の成功例と言ったな。他はどうなった」
呼吸を整え、目を閉じながら威圧的に聞いた。聞かずにはいられなかった。
「サルベージシタ魂ト縫合シタ身体ノ合成ハ拒絶反応ガ酷ク、コレマデノ者ハ皆死ニマシタ。貴方ダケデモ生キテイテヨカッタ」
口元の端だけを上げぎこちない笑みを浮かべる男を前に、自分は膝から崩れ落ちてしまった。
この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。この体は自分のものではない。
「うおえっ」
現実を受け止めきれない身体から、蛍光ピンク色の内容物が吐き出された。縫い目すらないおぞましいつぎはぎの身体を持つ自分は誰だ、どうしてここにいる、何のために生まれた。いや生まれてすらいない、生き物でもない、肉の器に魂を縛り付けられている生き人形だ。誰か、誰でもいいから嘘だと言ってくれ、この悪夢を終わらせてくれ。
「オヤ、マダ馴染ンデイナイノデスネ。コレハイケマセン、部屋ニ戻リマショウ」
介抱されて、元いた部屋に戻った自分は後に機械達によってエクシトと名付けられた。意味は、成功だという。雨はまだ降り続いている。
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