本当に殺したんですか(ミステリー)

 目が覚めると、雨が降っていた。これから俺の身に起きることを予知しているような、暴力的な風雨が窓を気まぐれに殴りつけている。それもそうか、三日も無断欠勤すれば疑いは自然とこちらに向くよなと、おかしくもないのに笑った。


 湿気ってかびた布団から体を起こすと、見計らっていたようにドアが叩かれた。ついに年貢の納め時だ。


 俺は一呼吸してから、ドアを開けた。


「谷口健斗さんですね。警視庁捜査一課の園村と申します」


「同じく山越です。深川恵美子さんのことで、お聞きしたい事がありまして」


 曇天でもはっきりわかるような漆黒のスーツを着た二人組の男は、手帳を出して身分を示した。これだけ雨が降っていて風も強いのに、どこも濡れていないのが不気味だ。園村ってのは人の良さそうな顔をしているが、腹に一物抱えていそうなやり手の刑事に見える。山越は新人なのだろう、シワのない卸したてのスーツに着られている印象が拭えない。


 二人の刑事がやってきた理由を俺は知っている。俺が人殺しだからだ。


「どうぞ」


 来るべき日が来たなと、諦め半分に部屋に上げた。逃げられないと悟った俺は、二人が座ると同時に話を切り出した。


「俺が殺しました。あのクソ社長、人の手柄を横取りしやがって。頭にきてぶん殴ってやったんだ」


「おかしいですね。私はまだ深川さんが撲殺された、とは言っていませんが」


 園村は穏やかな口調だがため息まじりに言う。どういうことだ? まさか、死ななかったとでも言うのか。慌てて逃げたから、息の根が止まっているかまでは確認しなかったが、それでも俺は立派な犯罪者だろう。殺人未遂なんだから。


「そんな馬鹿な。確かに俺がやったんです。それとも、あいつは助かったんですか?」


 そうとも、あの日俺が殺したんだ。捜査が進んで逮捕しに来たんじゃないのか。どうにも怪しい刑事たちだ。


「全容の前に、まずはご関係を教えてください」


 真新しい手帳を出して、山越はペンを構えた。何度も警察には話してきたが、俺はもう一度最初から説明することにした。


「俺はあの会社で営業をやっていた。深川は元上司で、俺たちの手柄を自分のものにして出世したんだ。証拠がないから皆泣き寝入りするしかなくて、やられっぱなしだったよ」


「なるほど、そうですか。しかし、何故社長が営業の手柄を横取りする必要があったんです?」


「おいおい、人の話聞いてたか? 自分がのし上がるためだって」


 園村ってのは妙な質問をしてくる刑事だ。山越は黙って手帳に会話内容を書き綴っている。筆が進んでいるようには見えないのだが。


「こちらで調べさせて貰いましたが、あなたが入社したのは七年前。ですが、深川さんが社長に就任したのは十年前です。時期が合いませんよね」


「七年前? いくらなんでも捜査が雑なんじゃないのか刑事さんよ、俺が入社したのは十五年前だ。トリノでオリンピックやってた年だよ」


 真面目に調べているのだろうか? 段々胡散臭く思えてきた。もしやこの二人は、刑事を偽って俺を騙そうとしているのではないか。謎は深まるばかりだ。


「……わかりました。では、事件当日のことをお伺いしましょう」


 園村はずっとため息をついている。俺の話を聞いたとて、事件解決の糸口には繋がらないとでも言いたげだ。最初から信じてはいないが、一応形式的に話を聞きにきたという空気が漂っている。おかしいだろう、俺が犯人だとこれだけ言っているのに。


「あれは夜の十時すぎくらいでした。深川を社長室に呼び出して、今まで人の手柄を横取りしていたことを社内で暴露してやるぞ、って脅したんです。そうしたらもみ合いになって、俺はついカッとなって飾り棚にあったでかい金ピカの置き時計を持ち上げて、頭を思いっきり殴りました。その後動かなくなったから、怖くなって逃げました」


 俺は事の顛末をゆっくり出来得る限り丁寧に話した。これで信じてもらえなかったら、もうお手上げだ。


「そうですか。その後はどうしました」


「正直なところ覚えていないです。気づいたら、自分の部屋に戻ってました」


 言われてみれば、深川を殺してからのことは記憶にない。目の前が真っ白になって、逃げるように社長室から飛び出したことまでは記憶があるが、どうやって部屋まで戻ってきたかはすっかり抜け落ちてしまっている。


「では、全てをお話しましょう」園村はもったいぶったように咳払いをして、「深川さんの死因は毒によるもので、遺体の頭部に傷はありませんでした。殺害現場は食堂で、鑑識からは死亡推定時刻は午後三時から五時の間だと報告が上がっています」と言った。その声は淡々としていて、非常に事務的だ。


「そんなはずあるか! その時間の食堂はパートの人たちが年度末の打ち上げをしていたんだ!!」


 俺は感情的になって机を叩いた。いい加減なことばかり言いやがって、でたらめに決まっている!


「いいえ、事件当日は土曜日で、パートの方は誰も出勤されていませんよ」


「嘘だ、金曜日だったはずだ。土曜なら俺たち社員も休みなんだよ!」


 怒りがこみ上げてきた。いつまで嘘八百を並べ立てるつもりなんだこいつらは。


「谷口さん、あなたの言う『金ピカの置き時計』なんですけどね」メモ取りに集中していた山越が話に入って来た。「存在しないんですよ。そもそもあの会社には社長室が無いんです。深川さんが仕事をするときは個人でレンタルオフィスを借りていて、会社に出勤するのは月に数回程度でした」


「あんたら何を言っているんだ? 社長室ならオフィスの三階にあるだろうが!」


 こいつらは見取り図の読み方もわからないのだろうか。俺は頭の中に入っているから、情景だって想像できる。深川がいつも女性社員の若い子にお茶を淹れさせていびっていた給湯室を曲がればすぐだ。


「そこあるのは清掃会社の更衣室ですね。あなたが努めていらした『東部クリンサービス』の。第二第四土曜日は出勤でしたよね」


「あのなぁ。何度も言わせないでくれ。俺は清掃員じゃなくて社員なの。営業グループ二課の谷口健斗。さっきから聞いてりゃ、わけのわからないことばかり言わないでくれ!」


 とんだ大馬鹿刑事だ。俺を清掃業者と間違えるとは、かなりがさつでいい加減な捜査をしているに違いない。そもそも深川の死因から死んでいる場所から時間から何から間違っているとは、日本の警察も信用ならないものだ。早く捕まって楽になりたい気持ちは薄れてしまって、今ここで怒鳴って追い出してやろうかとさえ思った。拳を握りしめ、二人を睨みつけてやった。


「これを見ても、まだそう言えますか」


 呆れた顔で山越が机に置いたのは、コーラの飲みこぼしで汚れた社員証だった。七年前に発行され東部クリンサービスと名の入った、俺の顔写真入りの。どうしてあいつらが持っているんだ、着替えたときに鞄にしまったはずなのに。


 ああ、そうだ、落としたんだ。深川が床に倒れていて、声をかけても起き上がらなくて。逃げるように帰った時に。拾うのさえ怖くて。


「谷口さん。あなた、本当に殺したんですか」




「………………」 


 園村の放った重く、核心を突く言葉に対して俺は何も言い返せなかった。先程まで燃えていた怒りはすっと消え、冷たい沈黙がのしかかる。いつの間にか、時計の針も音を鳴らすのをやめてしまったようだ。


 刑事たちは嘘を吐いていない。ならこの記憶は、両手に残るこの感触は、一体何なんだ。俺じゃないとしたら、誰が殺したっていうんだ。


「それでは我々はこれで。失礼します」


「ま、待ってくれ! もう一度捜査をやり直してくれ! 俺が、俺がやったんだ! 犯人は俺なんだよ!」


 俺の必死の言葉に振り返ることもなく、刑事たちは部屋から出ていってしまった。風の音が俺を嘲笑っているような気がした。




「しっかし、変なやつでしたね谷口は。やってもいない殺人を信じ込んでいるなんて」


 ふうと息をついて、山越はメモを内ポケットにしまいながら今閉じた扉の方を見やった。


「彼は遺体の第一発見者だったんだろう。ショックで脳が記憶を捏造しているんだ」


 園村は冗長な面倒事からようやく解放されたと肩を回し、あくびをした。荒れていた空は晴れ上がり、大きな虹がかかっている。


「そんなことあるんですかね。作り話にしてはやたらリアルでしたけど。誰かをかばっている可能性もあるんじゃないんですか」


「いや、その線は薄いだろうな。清掃会社の同僚からは孤立していたと聞いているし、心療内科の受診記録を見せてもらったが、やつは重度の鬱とパニック障害を併発していた。人の手柄を横取りしていた話も、清掃中に立ち聞きしたんだろうな」


「十五年前から勤めているという話は?」と山越が軽く尋ねる。


「あれはな、ISO9001の認可が降りた年だよ。営業二課のオフィスに証書が飾られていたからな。さて、捜査は振り出しだ、本部に戻るぞ」


「はい!」


 新米とベテラン、二人の刑事を乗せた車は、精神病院から警視庁へ向かう道を走っていった。

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