第5話 元天才東奈龍の栄光!



話は完全に平行線になっていた。

もう何だかんだ1時間半以上話し合いが続いていた。



「東奈くん。あんまり自分の経歴とか自慢したくないと思うけど、どんな事をやってきてどんなことに自信があるか教えて貰ってもいい?」




俺ははっきりいってそんなことを言うのはさらさらごめんだった。

辞めた野球で成し遂げた自慢をペラペラと話したがるのはもっと先、歳をとった時だろうと思っていた。




「あの、辞めた野球のことを自慢するのはあんまり話したくないのですが…。」




俺は出来るだけ本心を言うことにした。

ご機嫌取りをしても、この状況は俺が望んだ未来ではない。




「あはは。正直なんだね。私が調べた限りのことを代わりに話してもいい?」



助け舟を出してくれたのはまた天見さんだった。

姉の信頼したキャッチャーはこんなにも優しい人だったんだと感激していた。



「光さんの弟、東奈龍くんのこれまでの野球の経歴ですけど…。」




プリント2枚くらいの資料を理事長と教頭先生に手渡して話し始めた。


自分の武勇伝みたいなものをいざ隣で話されてると耳を塞ぎたくなる。


俺自身、これまでの過去を自慢したり誇ったりすることがなかった。



プライドが低いと言われればそれまでだが、単純に過去の実績で今現在勝負できるのであれば十分に使っただろうが、野球でも他のことでも今勝負するには自分のここまで培ってきた力以外に使えるものはないという結構偏った考えだと自分でも思っていた。




あまり見たくないが、目の前にあった俺の事を書いた資料を手に取ってみた。




東奈龍。


天才東奈光の弟。


家族と姉の影響で小さい頃から野球に関わり、小学一年生の頃から少年少女軟式野球チームに入る。


幼なじみの親友大迫蓮司くん、橘桔梗さんの3人で時間の許す限り光さんの指導を受けた。



龍くんは3年生の頃から、1年〜4年の下級生チームと5〜6年の上級生チームどちらでもレギュラーを取っており、下級生チームでは捕手として、上級生チームでは投手として活躍していた。



5年生になると、光さんの練習方法と個人で作り上げたレベルの高い練習方法を全員と共有し、チームのレベルアップに尽力。


6年生の時に全国少年少女軟式野球で1番エースとして全国大会に出場し、全国大会優勝。最優秀選手賞を獲得。



軟式の全国制覇した後すぐに、元々練習していた硬式に挑戦した。



福岡の強豪の少年少女硬式野球チームに入団。

入団して1ヶ月で3番キャッチャーとしてレギュラーを勝ち取る。



九州大会まで打撃と守備の要としてキャッチャーで活躍。

勢いそのまま全国大会に出場し、全国大会では投手として全国大会ベスト4となり、3位決定戦で完全試合を達成。

ここでも最優秀選手賞を獲得。


U-12硬式野球世界大会に日本代表のエースとして出場し、決勝は惜しくもアメリカに敗退したが、準決勝戦でプエルトリコ戦でノーヒットノーランを達成し、最優秀投手賞を獲得。




これを見て恥ずかしいと思うより、軟式で蓮司や桔梗ちゃんと全国大会優勝した時のことを思い出していた。



その後の硬式野球や世界大会は自分の周りの推薦でやっていたことだったので、達成感はあったがなにが記憶に残っているかというとホームランやノーヒットノーランした時などのプレーの事ばっかりだった。




その点、1からみんなで考えて練習を編み出してみんなが段々と上手くなって行くのを実感して5年から6年の夏の約1年半で全国制覇出来るまでになったのはとても嬉しかった。



中学生時代。


福岡で最も強いと言われている硬式クラブチームに入団。



1年生ながら、3番キャッチャーとしてレギュラーに抜擢。自慢の打撃力と、卓越した洞察力で九州県内でも有名な投手をリードして全国大会へ進出。


その投手を絶妙なリードして、毎試合ロースコアの展開で全国ベスト8まで進出。


最後は1人で投げ続けた投手の疲労困憊で、滅多打ちに合い準々決勝で敗退した。



2年生になってからというと、小学生の時の軟式のチームメイト、硬式のチームメイトがぐんぐんと実力をつけてスタメンに2年生が8人というチームとなり、主に捕手として出場。準決勝や決勝の時だけはピッチャーとして先発することはあった。



もちろん全国大会に出場し、ほとんどの試合を危なげなく勝利。

遂に迎えた決勝戦では全国大会2度優勝経験のある強打を売りにした横浜の強豪チームに対して、今大会先発して完封、本塁打2本を打ち全国大会優勝。


打者として本塁打打点トップとして大会最優秀選手賞を獲得。




3年生が引退して、新2年チームになってから練習試合を含め4つの大会に出てすべての試合を勝ってきた。


2年時は11個の大会に出て、9個の大会に優勝。そのうち2つは準優勝だった。


そのうち4回最優秀選手賞を獲得し、全ての大会で最多本塁打を獲得した。



そして、小学生以来となるU-15日本代表として2年生として唯一選出された。



世界大会では捕手兼抑えピッチャーとして選出された。

世界大会でも最多本塁打を放ち、抑え投手として自責点0でその役割もしっかりとこなした。



龍くんは光さんと同じく投手としても打者としても一流の選手である。

光さんと唯一違うところは二刀流という点では同じだが、捕手としての能力がずば抜けて高く、捕手である私から見ても相手の読みを外すリードに関してはプロ野球選手の捕手よりも優れた能力があると思われる。



光さんの言葉を借りると、選手の雰囲気が見えるらしいです。

こればかりは本当かどうかは分かりませんが、これだけの実績の選手が野球を辞めた理由はわかりませんが、もしコーチとして迎えられるならこれほど実力を持った選手はいないです。



最後に、2枚目を見てみると、自分が2年の時の練習試合と公式戦全ての成績が記載されていた。



全ての大会の成績1つ1つ見ていたら時間がかかる。

ここだけ自慢になるが公式戦すべて決勝まで進んでいたので試合数がとんでもないことになっていた。



2年時


打撃成績

公式戦57試合出場。

217打席174打数129安打31本塁打99打点40四球3犠飛

公式戦打率.741


練習試合22試合出場。

72打席60打数46安打18本塁打42打点11四球1犠飛

練習試合打率.766



練習試合&公式戦

打率.747 出塁率.795

51本塁打141打点55四球



投手成績

公式戦11試合登板

投球回51回1/3。防御率1.40。8勝0敗。与四死球16。52奪三振。完投8、完封5。


練習試合登板0。




こうやって改めて見るとよく打ってる打者だなと客観的に思っていたが、投手成績を見ると立派な成績に見えたが姉のような精密なコントロールは俺には身につかなかったんだなと思った。



俺は変な特殊能力というか技能というか、打席で自分に向かってきたボールを避けるのがめちゃめちゃ上手だった。

約300打席立って1回もデットボールがないというのは結構すごいことだと思う。





「ふむ。なるほど…。」




理事長と教頭先生も詳しい野球の知識がある訳では無さそうだが、この成績は野球を知る人だと本当か?と思うだろう。




「確かにこの実績と成績なら野球を続けていたら間違いなくプロ入りするような選手だと言うのは分かりました。 しかし、今どれ位の能力があるかを知りたいのです。女子のグランドで実技テストをして実力を見せてもらってもいいですか?」




俺は野球を辞めたが練習は続けてきたし、べつに野球を嫌いになったわけでもないのでちょっとプレーするくらい何でもなかった。




「りゅー。それじゃグランドに行こうか。」

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