6:太陽の実

「この村を取りしきっている者はどこにいる?」


 恭しくお辞儀をしたしもべによって開かれた馬車キャリッジから下りると、村の人間共が集まって来た。

 俺が声をかけると、僅かにどよめきが聞こえた後、気の利いた誰かが丘の方へと走っていくのが見えた。

 そう時間も経たないうちに、年端もいかない亜麻色の髪の少年を侍らせた司祭と、上等そうな上着を身につけた神経質そうな中年男がいそいそとこちらへやってくる。


「赤い髪の女を一人貰いたい。この村にいるのだろう? 先日、狩りの最中に見かけたのだが」


 人垣を割ってこちらへ進み出てきたところで、相手に名乗られる前にさっさと用件を伝える。

 一瞬どよめきが広がって、人々の視線が泳ぐ。

 そんな中、司祭は眉一つ動かさずに人を食ったような笑みを浮かべたままだ。


「ご存じの通り、太陽の実マールス教では人を売り買いするような真似はしておりませぬ」


「……その女が俺の荷馬車に忍び込み、人知れず村を出て行ったとしたらどうだ?」


 視線を交わしてしもべに荷馬車の中身を持ってこさせる。いくつかの穀物が入った木箱と、鹿の肉を目の前に置くと司祭の目が僅かに見開いた。

 神経質そうな男と司祭は何やら目配せをしあって頷いてから、再び俺の方を見て張り付けたような笑顔を作る。


「そうですね。わたくしには止めようもありません。名も知らぬ貴族様の荷馬車に紛れられれば、行方を追うことも出来ないでしょう」


「そうか……手間を掛けたな。下がってくれ」


 手を払って合図をすると、二人の男は村人たちに荷物を教会へ持っていくように告げてから、背中を向けた。

 雌鶏と鳩だけは半分残すようにしもべたちに命じて、俺は近くにいる村人に赤髪の女を呼べと声をかける。

 自分で迎えに行きたいが、流石に怪しまれるだろう。こいつらがどんな風にあの子を連れてくるのかわかっていても、ここで面倒なことになるわけにはいかない。


してますな」


 下卑た笑いを浮かべながら去っていた男に苛立ちを感じて背中を見送る。すぐに腕を掴まれた彼女が引きずられるようにしてこちらへ連れてこられた。

 まるで不要品でも放り投げるように女の手を乱暴に離した男に腹を立てながらも、俺は地面に倒れて顔を伏せている女に歩み寄った。

 膝を突いて、手を差し伸べると、女が恐る恐る顔を上げる。

 濁った琥珀色の瞳に僅かに光が宿り、かさかさの唇が「あ……」と何かに気が付いたように声を漏らす。


「しばらくの辛抱だ。ここへ入ってくれるかい?」


 折れないように、慈しむように彼女の手に触れる。

 村人達は物好きの貴族に興味はないようで、荷運びをする者以外はもう散り散りに日常へと戻っていく。


「なんであの出来損ないが貴族様に選ばれるのよ!」


 彼女が住んでいたボロ小屋の横からわめき声が聞こえた。亜麻色の髪を持つ神様とやらにに選ばれた優秀な娘に、彼女の母親は「非公式な引き取りなんて、きっとなぶり殺されるに決まっているわ」なんて宥めているのが耳に入ってしまい、思わず笑いそうになる。

 残念ながら、この子はお前らがする暮らしよりも、もっともっと良い思いをさせてやるのだと言ってやれれば気持ちがいいが、それをしたところで彼女は喜ばないだろう。

 姉の怒りに怯える彼女の髪をそっと撫でてから、俺は羽根のように軽い赤髪の娘を抱き上げて荷馬車へ運んだ。


 屋敷に着くと日はもうとっぷりと暮れていた。女のしもべに彼女の体を洗わせて、毛織物のガウンを着せてやると、幾分か痛々しさが減ったように思える。

 銀の首輪チョーカーも外していいと伝えたが、それだけはダメなのだと涙を流したので放っておいた。無理に外しても意味が無い。

 慣れない扱いにそわそわしながら椅子に座る彼女の目の前には、白パンと鹿肉を豆と玉葱を入れて煮込んだスープ、そして炙った塩漬け豚という豪華と言って差し支えのない食事を並べてある。


「君の名を教えてくれないか」


 向き合った席に腰を下ろした俺は、彼女に名を聞いた。もしかしたら、あのように酷い名ではなく、本当の名があるかもしれない。


「あの……私……蛭女ブデラと呼ばれていました」


「それはあだ名だろう? それに、意味も良くない」


 眉を顰めると、彼女は自分が責められたと感じたのか身を強ばらせた。

 そんなつもりはないと、慌てて笑顔を作って席を立つ。


「あの……でも……私は悪魔の力があって……良い名前なんてとても……」


 隣にたった俺が手を上げると、彼女はびくりと体を反らせて、それから目をきつく瞑った。

 殴るような真似はしない……そう諭すような気持ちで彼女の頬を撫でると、戸惑った琥珀色の瞳が俺をじっと見つめる。


「ラディアータ……そうだな。ラディという名で君を呼ぼう」


「へ?」


 間の抜けた声が聞こえた。怯えて震えてもいない普通の少女みたいな声。


「俺の好きな花だ。凌霄花アルギリア・ラディアータ。いつか君にも見せてあげるよ、ラディ」


「あの」


「名を呼ばれたら、返事をするんだよ。いいね、ラディ」


「は、はい」


 半ば押し切るように新しい名を与える。ザハラ、彼女の瞳と似た花の色。

 ここら辺では咲かない花だが、いつか……俺に死を看取らせてくれると彼女が決めてくれるときがきたなら、一緒に見に行きたい。そんな俺の願いを知る由もなく、ラディは戸惑った表情のまま頷いた。

 ああ、それにしても、腹が減った。


「俺はもう眠るから、ラディは食事を続けるといい。後は頼んだよ、しもべたち」


 俺は獣の血とヒトの血、僅かな種類の酒以外を口に出来ない。正確には口にしたとしてもそれはすべて吐き出してしまう。

 ラディの首元から漂ってくる甘い香りは、空腹を耐えがたいものにする。後の世話をしもべたちに任せて、俺は広間を後にした。


 寝室へ入るフリをして、窓からそっと抜け出す。しもべの目を借りてラディを見てみると、彼女は美味しそうに食事を頬張っている。

 俺と違って血以外を口に出来るしもべたちに、残りは好きに食べていいと命令を与えて、夜の森で獲物を探すことに集中をする。

 あの子の住む村で狩りをすれば、悪い噂が立つだろう。遠出も面倒だ。昼に動きすぎて疲れた。

 獣の血で今夜は我慢をするとしよう……森鹿猪センティコアの血は不味いが、腹が減ったままよりはマシだ。そんなことを思いながら森を駆けていると、木々の合間に薄らと昇る煙が見えた。

 近付いてみると、どうやら遠くからやってきた行商人の野営らしい。ヒイラギの木が焼べてあるであろう焚き火は消え入りそうで、火の前にいる男は眠気に負けそうなのか船を漕ぐように体を揺らしている。

 火の前にいた男から血をいただいて、幕舎テントの中にいる数人の血も残らず吸って腹が満たされる。

 こいつらが荷馬車に積んでいた食料を屋敷へ運ぶようにしもべたちに伝えて、俺は屋敷へと戻った。死体は放っておく。きっともうすぐやってくる獣たちが処理をしてくれるだろう。

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