5:緋色の眼

「それにしても……明日の夜までにヒトが住める状態に……か」


 眠る前はそれなりの館だったのだが……。

 あちこちの木は腐っているし、穴だらけだ。漆喰で塗られた美しい壁も今は見る影もない。

 とっくに癒えている手首に、竜の爪を薄く削って作ったナイフをそっと当てた。銀では俺の手が焼ける。鉄では妖精たちの機嫌を損ねる。

 ザハラから貰ったこのナイフが一番具合が良い。

 乳白色の半透明な刃の曲線に沿って血が流れていく。血が滴る前にナイフを振って空中へ血の飛沫を飛ばすと妖精達の気配がこちらへ近付いて来た。


月の下で踊るA domina festum 可憐な夜の花たちcelebrantes sub luna.


 ざわざわと夜の風に乗って、囁くような声を耳元に感じる。

 機嫌の良さそうな彼女たちの気が変わらないうちに、さっさと願いを叶えてもらうことにしよう。


腐った木Putri ligno 苔生した石ualle uolutus, 山積みの泥solidationes luto


 魔術と違って、魔法は妖精達や神々に対価を渡し、願いを請う。

 体の熱が外へ放出される感覚と、血が流れていく感覚。食事をしたばかりだというのに、食った分が全て持って行かれそうだ。


穢れと停滞Stagnatione 遠くまでdisperdet in 運んでくれventum


 対価を受け入れた妖精達が、朽ちた家へ突風のように向かっていく。

 ほんの一瞬で朽ちた家はそれなりの小綺麗な屋敷に戻ってしまうのだから、魔法という物は便利だなと改めて思う。

 屋敷が無事になんとかなったが、あの女を住まわせるならこれだけでは足りない。ヒトらしい暮しをするならば、それなりの偽装と人手が必要だ。

 もう一度、乳白色の刃で手首を一筋切り付ける。先端に集まった滴が地面へ落ちる前に、俺の血は足元で蠢く何かに飲み込まれて消えた。


深い闇にAmicus 潜むmeus 親愛なるqui in 我が友よtenebris latet.


 同族を増やさずとも、手足になるしもべくらいなら簡単に作れる。多少腹が減っていても……だ。

 俺の言葉に応じるように、足元には小さな動物たちが何匹かやって来た。ねずみや貉、赤狐たち。

 一時的な血の契約は、一部の能力を相手に与える。血を飲み続けなければ与えた能力は衰えて消えていく。

 契約を交わしたものにとって、俺の血は甘露で芳醇な飲み物となり、敵意を向ければ毒になる。我ながら便利な体だ。


血の対価、Volo enim 隷の契約をここに交わそうvos servi eritis mihi.


 血の色と似た光がぼうっと灯り、数匹の獣たちが次々に黒衣を身に纏った人の姿に変異して二本の足でゆらりと立ち上がる。


御主人様マイロード、血と隷の契約により、これより私は貴方様の従僕です」


 青白い肌に闇色の髪、血に似た輝きの緋色の眼がしもべの証だ。

 見目麗しい男女の姿に変異した彼らは、忠誠を誓う証として俺が差し出した手の甲へ額を付けて挨拶をする。それから黙々と立ち上がって作業に取りかかっていく。


 俺は家の細々とした修復をしもべたちに任せて、石床で堅牢に守られている納屋へ向かった。確か……ここら辺にあると思うのだが……。

 納屋の奥まったところにあるゴツゴツとした石壁を押すと壁の一部に穴が開いた。

 穴に腕を突っ込んで、突き出ている水晶の先端に指をそっと触れさせる。

 緑色に光る石畳が十歩ほど遠くに現れた。あそこか。

 

「ああ、やはりあったか。あいつらが持ち出さずにいてくれてよかった」


 石畳のヘリを掴んで持ち上げると、大人二人ほどが隠れられそうなスペースに大きなチェストが鎮座していた。

 開くと、中には予想通り宝飾品や金貨などがぎっしりと詰まっている。あいつらは、どうやら財産をそのままにして屋敷から消えたらしい。

 まだいくつか心当たりはある。この調子なら全部残っていてもおかしくはない。

 幸先の良いスタートに鼻歌を謳いながら、俺は家捜しを続けた。


 朝日が昇る頃、しもべを連れて走り出す。

 なんとか太陽が登り切る前に、俺たちは遠く離れた港街まで来ることが出来た。

 しもべに金目の物が入った袋を手渡し、馬と客車付きの馬車キャリッジを買うように申しつけて、俺は仕立屋へと向かう。


「ああ、そうだ。馬はなるべく白毛のものを選べ。葦毛でも良いぞ」


 太陽の実マールス教では色味の薄いものが清いとされている。あの娘を迎えに行くのなら、祭司に信徒と勘違いされるか、そうではないとしても縁起が良いと思われた方が便利だろう。

 頭を下げたしもべに背を向けて、仕立屋へと足を踏み入れた。

 じろりと睨み付けてくる店主に遠慮をせずに、ずかずかと店の中へ入り、懐から無造作に取りだした宝石を作業机の上に置く。


「日暮れまでに出来る最高の服を仕立ててくれ。既製品を手直ししてくれるだけでいい」


 怪訝な表情を浮かべた店主だが、目は宝石の数々に釘付けた。


「これは前金だ。残りの金はこの三倍出そう」


「これはこれは……採寸を済ませてしまいましょう。あっしが腕によりを掛けて仕上げをさせていださきます」


 急にころりと態度を変えた店主は、揉み手をしながら俺に近寄ってきて紐を背中に宛がった。

 やれ好みだなんだと聞くので「流行の物で頼む」とだけ応えておく。それから良い床屋を紹介してくれないか尋ねると、機嫌良く教えてくれた。

 馬を買ってきたしもべに、穀物と肉、それに生きたままの雌鶏と鳩を買い足して荷馬車に積み込むように伝えた。

 腰まで伸びた髪を切り落とされていく。耳を覆うくらいの長さで整えられた髪は慣れなくてやけに首元がスースーして落ち着かない。


 仕立屋に寄ると、それなりに見栄えのする外套と、やたら肌触りの良いシャツ、狼蜥蜴アメミットの革を使ったベルトに、牛革の靴が用意されていた。

 真紅に染められた外套は趣味ではないが、聖なる色として太陽の実マールス教で好まれているのでちょうど良いだろう。

 用事を全て済ませたしもべの一人に、残りの代金を支払わせ、もう一人のしもべが扉を開けて待ち設けている馬車キャリッジへ乗り込んだ。

 日没には、彼女の待つ村へ到着できるだろう。

 二頭の白い馬が引くそこそこ豪華な馬車キャリッジと荷馬車はいくつかの丘と森を通り抜けて、ひたすら走る。


 揺れる窓の外には、暮れかけた太陽が見える。彼女の髪色を思い出して、早く会いたい、そう思った。

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