4:悪魔の力
「……あの……誰……その……あなた」
おどおどした声が返ってくる。消え入りそうな声と共に足を引きずる音が近付いてくる。
「お前……いや、君に、赦してもらいたいんだ。君の領域へ入ることを」
「私に……ええと……構わないですけど……かあさまが」
なるべく怖がらせないように、ゆっくりと告げる。お前の母さまは関係ないよ、そう言いたいのを抑えながら俺は、彼女の言葉を確かめる。
「構わないと、言ったな?」
「は、はい」
少々強引だが、許可は得た。
閂を外して、扉を開くと、そこにはあかがね色の髪をした少女が驚きと怯えの入り交じった表情で立っていた。
彼女の腫れている頬に静かに手を添える。出来ることならいますぐにでも彼女の傷を癒やしてやりたい。俺の血を与えればこんな傷はさっさと癒えるっていうにのに。
目の下に濃い隈を作っている彼女は、黄味の強い琥珀色の瞳を大きく見開いた。息を吸って叫ぼうとする彼女の、かさついてヒビ割れている唇へそっと人差し指を当てて微笑む。
「しぃー……、ほら、よく見てくれ。森で君を助けただろう?」
「あ……亜麻色の髪だから……てっきり……司祭様からのお達しかと……」
こんな夜更けに司祭から何か頼まれることがあるのか? と気になったが、それは黙っておく。
俺が首を横に振ると、彼女はようやく安心したように肩の力を抜いた。
「あの……ごめんなさい……。助けてくれたのに逃げたりして……私……他の人に見つかると怒られるから」
「気になんてしていない。それよりも……俺は君のことを救いたいんだ」
地面に目を伏せた彼女の頬からそっと手を離す。それからあかぎれと泥にまみれた彼女の手を握った。
「救うって……?」
へらりと力なく笑った彼女の瞳に、どろりとした嫌な濁りが浮かぶ。
全てを諦めた無気力な目。違うと思いながらも、それに縋るしかない絶望を知っている瞳。
「酷い扱いをされているだろう?」
「仕方ないんです。私の中に眠る悪魔の力を追い出すためにみなさん、心を痛めて厳しくしてくれて……その」
震える声だった。かつての自分を想わせるような、自罰的な思い込み。
「神様が……司祭様の言いつけを守れば……神様が赦してくれて……村のみんなとも……あの、かあさまも私を受け入れてくれるだろうって」
途切れ途切れに彼女は言葉を紡ぐ。
殴られながら彼女に浴びせられる嘘の言葉を、こうして自分で自分に言い聞かせているようだった。
「亜麻色の髪になれるまで……がんばれば……悪魔が出て行けば……亜麻色の髪になれるんだって司祭様が……」
まるでうわごとだ。彼女の瞳は俺のことを見ていない。何かを思い出すように彼女はそう呟く。
「私、かあさまの腕と足を燃やしたらしいの。覚えてないけど……でも、悪魔の力がなくなれば……だから救うだなんて……」
「よく聞け」
彼女の両頬を手で挟んで、じっと瞳を見る。
「明日の日暮れに君を迎えに来る」
「あ、あの……あなた……貴族様だったのですか? でしたら……その……姉の方が……」
「俺は、君がいい。君だから、引き取りたいんだ」
ちょうど良い勘違いをしてくれた。積極的に騙すつもりはないが、しばらくだけその思い込みを使わせて貰うとしよう。
俺は慌てて、手を離して後退りする彼女の腰を抱いて引き寄せる。
「あの……貴族様」
「俺の名は、アイン」
顔を逸らす彼女の顎をそっと手で持って、目を見つめる。ザハラと同じ色の瞳は戸惑いと不安で揺れているようだった。
「アイン……様」
「アインでいい」
「はい」
消え入りそうな声で頷いた彼女を解放すると、力が抜けたかのようにへなへなと地べたに座り込んでしまった。
視線を合わせるために俺も地面に膝を突く。それから、彼女のあかがね色の髪を撫でる。
「また、明日来る」
俺はそのまま彼女を抱き上げて寝床へ向かう。湿って埃と泥の匂いがする藁しかないのが癪だ。
しかたなく最悪な寝床へ彼女を運び、そっと下ろす。
「夜の俺が訪れたことは内密にな。きっと明日来る。だから、待っていてくれ」
うとうとしはじめた彼女の額に手を当てながら俺は半ば独り言のようにそう話す。
彼女の返事が聞き取れなかったがどうでもいい。彼女が嫌がっていないのなら、司祭とやらを丸め込めばいい話だ。
しばらく世話をして……独り立ち出来る程度まで育てたら真実を教えて、俺と共に過ごすのか逃げるのかを決めさせれば良い。
ああ、とにかく、俺は明日までにそれなりに身なりを整えて、貴族だと間違われなきゃならんのか。腰まで伸びた長い髪と、不格好では無いがそれなりにくたびれた黒い外套を見て溜息を吐く。
多少面倒だと思ったが、寝息を立てている彼女の腫れた頬を見て、思い直す。村人を皆殺しにしてもいいのだが、それだときっと彼女が怯えてしまうだろう。
眠る彼女からそっと離れて、俺は小屋を出た。元通り扉に閂を戻してから村を後にする。
月は傾きかけているが、まだ太陽は地の底で眠っている時間だ。
森へ戻る途中、火を焚いている気配があったので近付いてみると、村からは見通せないような場所に掘っ立て小屋が建てられていた。中を覗いてみると数人の男がいて金品らしきものを並べてなにやら仕分けているようだ。
乱暴に置かれた薄汚れた袋から
「あそこで飼われてる蛭女はいい悲鳴をあげそうだ。なんならあいつをもらって腕でも切って鳴かせてみるか」
あの子のことだ。頭がカッと熱を持つのがわかる。
こいつらなら、食事にちょうど良い。いい加減空腹が限界だ。汚い男共で我慢するとしようじゃないか。
扉を叩く。足音が近付いてくるので物を知らぬフリをしてこう尋ねてやる。
「寒くてたまらない……中へ入れてくれないか? そこの村へ装飾品の材料になる獣の角や革を買い付けに来たんだが……日が暮れてしまって」
「一人か? 間抜けなやつめ。ここいらは夜になると
気弱そうな声で話しかけると、扉の内側から野太い声が返ってくる。間抜けな行商人を嘲るように笑った男は、そのあと魔物の存在で俺を脅してきた。
「参ったな……。礼は弾むから、どうにか入れてくれないか?」
扉に付いているのぞき窓が開いて、むさ苦しい男がこちらを覗く。欲に塗れたヒトはとても扱いやすくて良い。
ごそごそと服を探るフリをしながら、こちらを見ている男に
気弱な優男が高価な物品を持ち歩いているなんて、こいつらにとっては羊が焚き火を背負って近寄ってきたようなものだ。
下卑た笑みを浮かべながら扉を開けたのは、見上げるほど大きな背丈のたくましい男だった。
「ありがとう。助かるよ」
男が差し出した手をぬるりとすり抜けて、背後に回る。室内には似たような厳めしい大男が四人。良い食事になりそうだ。
まずは、最初に出迎えてくれたこいつからいただくとしよう。
太く汚れた首筋に牙を立てる。プツリと皮を貫く音がして、じわりと温かい血が口の中に流れ込んでいく。
少しだけだが、腹は満たされた。床に倒れた仲間を見て、他の男たちもようやく異変に気が付いたようだ。
フッと一息拭けば、部屋の数カ所に置かれていた蝋燭の火が消える。
吸血鬼の目を持ってすれば夜の闇も太陽が照らす室内とそう変わらない。慌てふためく大男たちの首筋に手が届く順に牙を立てていく。
あっというまに物言わぬ屍になった男共が持っていた金目の物を回収し、紐で死体を括る。このまま放っておけば面倒なことになるだろう。
森の奥、
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