友との語らい
「よお、聞いたぞ色男」
「……アルトス」
挙げた手をひらりと振ったのは、ザカートの友人であるアルトス・トルヴァータ。三公に次ぐ王家の忠臣、七家の次男である。
トルヴァータ家は大きな商家を配下に置いていることもあり、交易を主とするアセンブルア家とも縁が深い。同い年ということもあり、幼いころからの知己だった。
王宮から辞するため東門へ向かっていたところ、待ち伏せをしていたように立っていたアルトスに声をかけられ、ザカートは渋面を浮かべる。
「なんの話だ」
「なにっておまえ」
ニヤリと笑みを浮かべ、近づいてきたアルトスはザカートの肩を抱く。そして、耳許で囁いた。
「帝国のお姫さまだよ」
まったく、あいかわらず耳が早い。
嘆息し、相手を睨みつける。
アルトスは、今回の任を知っている。相手がエルゼピア皇帝の孫娘であることも含めてだ。そのザカートが、和平交渉の締結を待たず戻ってきた。到着前には、アナスタシアを迎えるための準備がされていただろうし、帝国の姫にふさわしい内装を考え、それなりの値段の調度品を手配しただろう。
いままでになく、若い女性に向けたものを多く用立てている状況。アセンブルア家が御用達にしているのが、トルヴァータ家の管理する店。そのなかでもアルトスが見ている店舗となれば、察することはできるかもしれない。
「言っておくが、顧客情報を盗み見たわけじゃあないぞ。ただ、模様替えというよりは新しく整えるのかってぐらいの注文が入って、それが女性向けだ。あの家の坊ちゃんもついにご成婚かなって、そんな話題になってもおかしくないだろ」
長く懇意にしている店だ。アセンブルア家の担当者もそれなりの年齢で、子どものころから知っている男である。アルトスとともに店に出入りして、流通の初歩を教えてもらった、親戚のおじさんのような人物。あのひとなら、余計なことを吹聴したりはしないだろうから、そこは安心しているが――
「それだけじゃない。ティミドたちに、一泡吹かせてやったんだろ? 盛大に愚痴ってたぜ」
「……あいつら」
「つっても、誰かれかまわずってわけじゃねえよ。いつものこと。仲間うちでぶーぶー言ってるだけで、みんな適当に流してるって」
ティミドとは、先日アナスタシアを侮辱し、逆にやりこめられた奴のひとりだ。三人の中でも一番大口を叩きがちで、一部では辟易されている。
鼻持ちならない高慢な女だった。
あっちでなにをやらかしたのか知らないが、髪を切られた無様な女だ。親切心で慰めてやろうと思ったのに、それすら拒むとはな。
彼らはそんなふうにアナスタシアを称していたという。
――無様なのは、どっちだ。
ザカートは歯噛みする。アルトスの言うとおり、「いつものこと」と流されてはいるだろうが、話題の中心になっているのがアナスタシアだ。あまり放置はしたくない。
帝国の女など相手にするものかと笑うのは、あくまでも表面上の話。ゼシュタルの男たちのなかでも、あちらの女性の柔肌に対する好奇心は、存外に強いのだ。容易には交流できないからこそ欲は募るし、あわよくばという考えもある。実際、相手にしたことを誇る者も少なくない。敵対する種族だからこそ、支配欲や征服欲をも満たすのだろう。
想像の上だとしても、奴らがアナスタシアを組み敷いている姿など見たくないし、そうやって吹聴している場に居合わせたとしたら問答無用で殴っているだろう。社会的にも抹殺するかもしれない。
「安心しろよ。ザリが盛大に笑ってやったら、しかめっ面して逃げてった」
ザリは凄まじいほどの美人で、ティミドたちの憧れでもある。ザカートの乳母・ジラの娘で、今は王宮に勤めている精鋭の事務官だ。華があるが、だからこそ毒もある。彼女を相手にすると、ザカートも身が引き締まる心地だ。
「で、だ。どうなんだよ」
「なにが」
「しらばっくれんなよ。噂のお姫さま。どんな女?」
「……変わった女だな」
「それは知ってる。あいつらに言い返したんだってな。気位の高い帝国人の中でも、皇家の直系。俺たち魔族なんて汚らわしいってところだろうが、泣きもせず毅然と返すなんて、たいしたもんだと俺は思うよ」
――ゼシュタルの殿方は、帝国の女性のことを『地中の芋虫』だと称するのでしょう? まっしろで柔らかくてぶよぶよしていて気持ちが悪いのだと。
――わたくしも帝国の出ですの。あなたがたのおっしゃるところの芋虫ですわ。そのような身体はお気に召さないのでは。
――それともあなたがたは、そういった特殊性癖の持ち主であるということでしょうか。大変ですわね、お察しいたしますわ。
品性に欠ける、下世話な言葉に彼女は対峙した。
無垢な小娘の顔をして、相手を堕として笑ってみせた。
「あいつらの猥談に平気な顔とは、なっかなか豪胆だよな。俺も会ってみたいよ」
「……平気なわけ、ないだろ」
男三人に口々に下卑た言葉を浴びせられて、なにも感じないわけがない。
アナスタシアは、緊張すると途端に饒舌になる。
思えば、初めて会ったときからそうだった。ペラペラとよくまわる口は、すべて裏返しだったのだと、いまならわかる。弁を重ねることで、せいいっぱい虚勢を張っているにすぎないのだ。
彼女はいつだって、独りきりで闘っている。
そのことが悔しくて、哀しい。
なぜ、誰も手を差し伸べなかったのか。
なぜ、味方になろうとしなかったのか。
なぜ、自分はゼシュタル人で、彼女はエルゼピア人なのだろう。
同じ国に居さえすれば、もっと早く傍に立ち、アナスタシアを守ってやれたのに。
「彼女は、ずっと自分で自分を守るしかなかった。腕力のない女性だ、言葉で武装する以外がなかったのだろう」
「逆上する男も多いだろうに」
「皇帝の孫だぞ。エルゼピアの至宝に手をあげる度胸は、誰にもないだろうさ」
「なるほど、それ込みで、わざとそう振る舞ってたのか。こっちに来てもその態度を崩さないってわけね。魔族相手にたいした度胸だ」
「……魔族か」
「なんだ。いまさらそこを気にするのか?」
さらってきたくせに。
笑ったアルトスに、ザカートは「そういう意味じゃない」と頭を振った。
「魔族、という呼称を、下げる言葉として使っているのは、俺たち自身でもあるんじゃないのか?」
「なんだよ、それ」
「そうやって区別することで、俺たちも帝国人と距離を作っていた。彼らより身体能力が高いことに、どこか優越感を抱いていたのではないのか?」
肌の質感の違いだけではなく、ゼシュタル人は身体機能が優れている。視力、体力は帝国人のそれと比較して段違いだし、占いのような人知を超えた不思議な感覚を有する者も多い。古い戦いの中では、それらを駆使して相手を予測し勝利していたことから、魔族と呼ばれるようになったらしい。
「まあ、そうかもしれないけど。魔族って呼び方が
「商人たちは、な。俺は、上位貴族は古い考えに凝り固まってると思っていたんだ。彼女も、そうだと思っていた」
仲良くなんて、どだい無理な話だと思っていたから、馴れあうつもりなどなかった。相容れない者同士、表面上は穏やかに過ごせばそれでいいのだと思っていたが、アナスタシアを見て考えが変わった。
彼女は、一度とてザカートを「魔族」とは言わなかった。
ずっと、ただ「ゼシュタル人」と、そう呼んでいることに気づいたのは、いつ頃だっただろう。
同じ「ひと」なのだと言った彼女は、ザカートを「魔族」ではなく「ゼシュタルに住んでいる人」として向き合ってくれたのだと、いま改めてそう感じる。あまりにも自然すぎてわからなかったほどに、彼女は南北に差をつけない。
「……ますます面白い。いいな、その子」
瞳を輝かせてアルトスが笑う。
調子のいいところがあるが、決して軽薄な男ではない。客商売で
「あー、おまえ、会わせたくないって思ったろ。狭量な男は嫌われるぞー」
「うるさい」
「うわ、マジだ。そんなにいい女?」
「だから、うるさいと言っている」
「いいのかなー、そんな態度で」
無視をして通りすぎようとしていたザカートの耳に、アルトスの声が届く。もったいぶった言い方に視線をやると、にやりと笑う。
「王宮でいちゃつくのはやめとけよ。誰が見てるかわかんねーぞ」
それとも牽制? わかっててやってる?
「…………」
「後ろ姿だけ。相手の顔は見えてない。でもおまえがっつきすぎ」
「うるさい」
いつだろう。
どれだろう。
思案してしまったほどに、アナスタシアに触れていることに気づいて、ザカートは頭を抱える。
最近、ジラの目が厳しい。たしかに自分は不埒な真似をしているかもしれない。
だが、アナスタシアを見ていると触れたくなる。己とは違う温かで柔らかな身体を抱きしめると、得も知れぬ多幸感に包まれるのだ。
大切にしたいとは思うが、閉じ込めておきたいわけでもない。それでは、皇帝が彼女にした行為と同じになってしまう。自分の意思で動き、自由でいられる環境を与えてやりたい。そのために、連れてきた。
そういった意味では、ザカート以外の人脈をつくるキッカケに、この友人は相応しいかもしれない。
「明日、おまえんとこに行くから、逃げるなよ」
「わかった、伝えておく」
「お姫さまに、おまえの過去の女性遍歴を、じっくり話してやるよ」
「やめろ」
少し早まったかもしれない。
手を振って去っていく友人を見送りながら、ザカートも王宮を後にした。
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