怪人、和田島イサキは尊い

あきかん

和田島イサキは尊い

 和田島イサキという作家を知っているだろうか。

 この作家は、物語にはフックが大切である、という言葉を左フックと勘違いしている節がある。


『尻に一升瓶を突き刺したまま、春先に雪の下から見つかるのがよく似合う女だ。』

 

 から始まる物語を見せられて衝撃を受けない読者は、きっと日本語が読めないのだろう。それほどのインパクトを残す言葉を持ってくるのが、和田島イサキという作家だ。

 この作家は読者を殴り倒そうと思っているのだ。初手にノックアウト狙いの左フックをかまし、そこに畳み掛けるように言葉を奏でる和田島イサキの文章は、正直読んでいて心地よい。

 先に上げた文章の続きはこうだ。


『何をしても似合う人間というのは本当にいるもので、もちろんそれは嘘偽りのない感想、でも当人からすればあまり嬉しくはないだろうな、と思った。』


 ここで読者に寄り添う形をとる。少なくとも読者の理解可能な回答を提示するのだ。衝撃の一文で脳を揺らされ、そこに共感や理解が可能な言葉で誘い込む。この見事なコンビネーションを上げるだけでも和田島イサキという作家が傑物であることがわかって頂けると思う。なんなら、豪快な左フックから始まる流麗な連撃の名を和田島節と名付けてもよい。

 単純に文章が上手いのだ、この作家は。無茶苦茶な描写や言葉を用いても、それを難なく使いこなせる技量を見せつける。これを文章が上手いと言わずどう表現するべきか、私は寡聞にして知らない。

 しかしながら、ここまで上げた事は和田島イサキの魅力であると断言したくない。それ以上に美しい点が和田島イサキにはあるのだと、私の心の奥底から声がする。

 突然話を変えるのだが、自由とは何であろうか。自由、自由と口にする人間が語る自由ほど不自由に感じてしまう。それは、己が天の邪鬼であることを差し引いても、自由という言葉に縛られているように見えるのだ。

 自由意志は尊重されなければならないと人は言う。しかし、殺人を奨励する馬鹿は稀だ。その他の犯罪行為と呼ばれるものでもよい。レイプに虐待、詐欺に盗み。あなたが不快に思う犯罪や行為を思い浮かべてもらえばよい。それをわざわざ他人にしてもよいのだと口に出す愚か者はいないだろう。

 私の意思で考えていると、自分の事は口にする。しかし、それは本当にあなたが自分のみの思考からたどり着いた結論ではないだろう。人は他人に社会に影響を受けて育つ。私が正しいと、あるいは悪いと判断する事象は、ただたんに周りがそう判断していたからに過ぎないのかもしれない。

 かように、自由とは一見すれば悪もその内に含むものであり、またひどく曖昧な状態をさす概念である。そうは言っても、自由には価値はある。自由の価値とは2つ考えられる。1つは、自由それ自体に価値があるというものだ。言い換えれば権利とは、そのものが尊い。または、自由にはその害を補って余りある利益が存在するという考え方だ。自由がもたらす最大にして唯一の利益とは、発見である。新しい物や考え方を発見する。あるいは、既存のものに新しい価値を見出だすその行為は、人類の進歩に必要不可欠な要素である。

 話は漸く戻るが、ここで和田島イサキという作家の最大の美点について述べていきたい。その美点とは、些細な物語であろうともそれを発見するその感受性の高さだ。和田島イサキが書く作品は言うに及ばず、他者の作品からですらそこにある物語を感受し、己の言葉で語れるこの作家の偉大さには、敬服の念を抱かずにはいられない。

 人間、和田島イサキが素晴らしいかは判断しかねる。和田島イサキの作品が素晴らしいかは、各々の好みの問題もあるだろう。しかし、作家和田島イサキという存在はとても偉大なのだ。それを一言で表すのならば、和田島イサキは尊いのだ、と私は思う。

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