第27話 覚

 ここは、どこだ。暗い。何も見えない。手探りで歩き始める。何か支えるものを探したが、その手は空を掴むばかり。

 「あれ~?懐かしい感じしたんだけどなー…。

気のせいか。」

 声は真後ろから聞こえてきた。

 「誰だ…」

 振り返るが、暗闇が視界の邪魔をする。

 「名乗る程じゃないよ。」

 また真後ろから聞こえる。しかし、届いたのは声だけでは無かった。

 視界の端に微かに見えたのは、巨大な瓦礫。

 「…!」

 咄嗟に構え腕で受け止めようとするが、その圧倒的な質量と体積の前では風の前の塵芥と同じだった。弾き飛ばされ、見えない壁に叩きつけられ、その痕跡に空中には不自然なヒビが入っていた。

 「ァァ…、グッ…」

 そのダメージがいかに深刻かは、火を見るより明らかだった。

 「完全に捉えたんだけど…凄いねお姉さん。まだ生きてる。」

 だが、虫の息だ。

 「…勿体ないね。治してあげる。」

 手をかざす。その手のひらから発する光は徐々にカリンを包み、あらぬ方向に曲がった手足と血溜まりをみるみる治していく。回復した視界には、赤い警告灯が眩く部屋を覆い、そこら中に大小様々な瓦礫が散らばっていた。

 「さあ立って。君に興味が湧いたんだ。」

 傷は無い。しかしいくら傷は癒せても、心の傷を直すことは叶わない。

 「名前はない。クソ野郎でもなんでも呼んでくれ。」

 目の前に経つ青年は、わざとらしい頬笑みを浮かべる。

 (必ず殺す。)

 リボルバーを抜き、弾を込めた。

 「アハッ!ワクワクするねぇ!」

 発砲。からの肉薄。そのまま拳を振りかぶる。だが青年は刹那で瓦礫で壁をつくりあげた。もちろん弾丸は壁に阻まれ、拳はそのまま骨が砕け散る、はず。


 

 「邪魔だァっ!!!」

 青年の顔面に、思いもよらない衝撃が走った。体はいつの間にか真後ろに吹っ飛び、徐々に鈍く痛む頬が現実を直視させる。コンクリートがバラバラに砕け、カリンはこちらを鋭く睨みつけていた。

 そして体の痛みは、青年に眠ったはるか昔の記憶を呼び覚ました。

 「…なるほど。」

 青年が壁から抜け出す。再び地面に足をつけた時、彼の顔色が変わった。笑みは消え、視線は冷たく、表情が感じられない。

 「なら、試さないといけないな。」

 瓦礫が浮き上がり、青年の背後でうごめいている。

 「カリン。私の名を教えよう。」

 その瓦礫たちは固まり、砕け、やがて無数の刃物と化した。

 「私の名はロキ。雷神トールの、弟だ。」

 「…!」

 瞬間、刃物が暴風のように飛来する。叩きつけ、弾き落としながら凌ぐが、圧倒的な物量の前には気休め程度にしかならない。すぐに限界が来てしまい、いくつか体に刺さってしまった。何かが身体に刺さるという、初めて感じる痛み。その熱と痛みは激しく、思わず崩れ落ち、片膝をついてしまった。

 「がっかりさせないでくれ。」

 ロキが近づいてくる。彼の手のひらには巨大な十字架ふわふわと浮いていた。

 (………。)

 「どうした。死ぬぞ。」

 目の前に立ち、ロキが手を振り下ろそうとする。

 「死なない…」

 「なんだって?」

 「私は、死なない!」

 カリンの手には、血塗られた石が握られていた。飛び出し、左から横凪でロキの首を狙う。だがその刃は、彼の首を貫くには至らなかった。

 「素質はある。だが…」

 刃は、ロキの掌を串刺し、食い止められていた。ナイフを引き抜こうとするがピクリとも動かない。

石が突き刺さったまま、ロキは手を挙げカリンを持ち上げる。

 「何故だ…」

 「離せ…」

 「何故、こんなにも弱い!!!」

 そのまま地面に叩き付けられた。

 「お前はアイツの娘…スレイヤーの娘だ…そうだろ!」

 「グッ…」

 叩き付ける。

 「弱い…!」

 叩き付ける。

 「弱い!!」

 叩き付ける

 「ふざけるな…!」

 叩き付ける。カリンの意識は、とうの昔に消えていた。石のナイフを握る手が、するりと抜け落ちる。

 「アイツの子孫が…こんなに弱いわけが無い!!!」

 白目を剥き横たわるカリンの腹を思い切り蹴飛ばす。先程とは比べ物にならない程の轟音。ロキは歩を進め、怒りを露にし壁に埋まるカリンに近づいた。

 「お前が弱ければ…誰がアイツの首を取る!!お前は今まで何をしていた!!!」

 握られた拳は、力が入るあまりに血が滲み滴り落ちている。拳はカリンの腹にめり込むが、呻き声も挙げず、ただ体が揺れるのみだった。

 「立て!!戦え!!!お前が…エニグマを殺すんだ!!!」

 最後の一撃。

 「お前が…!お前が!!!」

 飛び散る血、骨が砕ける音、それは確実にカリンの体を削り、死に追いやる。

 「何故だ…」

 呼吸の音は聞こえない。心臓も────

 ロキは、ただ大粒の涙を流し、ひたすらに謝り続けた。かつての友との約束、不甲斐なさ、怒り、あらゆる感情が交わる。何百と試し続けた。何百の悲鳴を聞いた。何百回と、殺し続けた。もう、彼の精神はすり減りきっていた。

 「もう一度…マリア…君に会いたい…。私を…私を救ってくれ…」

 そう願った。切実に、情けなく、貪欲に願い続けた。死者が蘇ることは無い。生は理であり、制約だ。生きる限り、開いた傷は戻らない。魂が抜けた亡骸は、再び動くことは無い。

 ある一族を除いては。

 後ろから差す光。かつて、慣れ親しんだ気配。

 「…君、なのか?マリア!!君か?!」

 ゆっくり、振り向く。とうの昔に失われた光、希望、畏怖。だが、そこに居たのは────

 その一族は、殺すことで、死に戻る。命の再生、それは輪廻からの解脱を意味した。解脱したものは全てを理解した。あの世とこの世、宇宙、世界、現象、原子、そして、力を。

 「…!違う…誰だ…お前は…。」

 許す限りに傷つけた体。腕はひしゃげ、頭は噴水の様に鮮血が噴き出す。

 「カリン…なのか…」

 彼女は、問に答える。絞り出すように、見出すように。

 『私には分からない…何も…。ここがどこか。名前さえも、何のために存在しているのかも分からない…。だが、一つだけ分かる。私が何者か。あぁ…分かるさ。私が…私こそが…!』

 

        

        スレイヤーだ!!!

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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