第25話 曇天の下で

 「その名で呼ぶな。虫酸が走る。」

 苦々しい彼の顔、とても馴れ合う様子は無いようだ。

 「お前の本当の名前を教えてくれたら止めてやる。」

 彼は少し考え、こう言った。

 「それじゃあこうしよう。俺が名前を口にした瞬間、貴様を殺す。」

 「あぁ、いいぜ。望むところだ。」

 彼は腰を落とし低く構える。

 「僕の名前は、ファエルだ。」

 その声が聞こえた時、既にファエルはエニグマの背後にいた。背中に掌を押し当て、叫ぶ。

 「顕現!」

 槍が掌から現れる。そしてそれはエニグマの腹を貫いていた。エニグマはその槍を掴もうとするが、

その手は槍をすり抜ける。

 「これは貴様の様な化け物が触れられないようになっている。つまり!」

 エニグマの体を蹴り、空高く打ち上げた。

 「貴様は何も出来ずに貫かれるのだ!!」

 無気力に落下するエニグマを捉えた。待ち構え、無数に突く。下に広がる槍地獄。化け物はただ、その体に風穴を開ける他なかった。

 最後の一突き、裁きは、罪人の脳天を貫いていた。だがラファエルは、苦々しく呟く。

 「…最初から、お前をここで殺そうとは考えてはいない。だが、いつか必ず。必ず貴様を滅ぼしてやる。首を洗って待っていろ。」

 貫く槍が消えると同時に、彼の姿は消えた。

 「なるほど…、頭を使ったな。さすが守護天使だ。」



 暗く、淀んだ曇り空が、彼女の頭上に広がっていた。瓦礫が散らばる荒野を、ただ歩く彼女の心情は想像もする気が起きない。

 (私は、またアイツに奪われた。私が何をした…なぜ私ばかりこんな目に遭わなければならない!)

 黒く、濁った渦が、彼女を囲む。

 (クソ…クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ)

 希望の光は、とっくに消えていた。生きる気力も、目的も、彼女には何も残されていなかった。

 (もう、どうでもいい。こんな世界無い方がマシだ。全部消してやる。全部全部全部全部全部ぶち壊してやる…)

 渦が収束していく。やがてそれは彼女の頭上で、巨大な球体となった。黒い、ただただ黒い。光がまるで感じられない。まるで空にぽっかりと穴が空いたようだ。

 (もう、疲れたんだ…)

 ゆっくりと、カリンと融合するように降りてくる。がりがりと地面を削り、触れたものは皆跡形もなかった。一人を除いては。

 「待て。…待ってくれ。」

 彼だ。少し涙ぐんだ顔で、こちらを見つめている。

 「…もう良いんです。何もかも。私はまた、全て失った。アイツにも、まるで歯が立たなかった。もう疲れた。何もかも、消してしまいたい。」

 「…君の気持ちは、よく分か」

 「分かる?今、分かるって言ったんですか?

 …何が分かる!!お前は!!!!全てを台無しにされた事があるのか!!居場所も!大切な人も!!生きる目的も!!お前は全てを奪われたことがあるのか!」

 彼は、堪えていた鬱憤を晴らすように、カリンの言葉に割り込んだ。

 「奪われたのはお前だけじゃない!人類は隠しているが、あらゆる人間が大切なものを奪われた!1人は、存在ごと奪われたんだぞ…!全員が耐え難い苦難を経験した!」

 ずんずんと詰め寄り、カリンの胸に指を突く。

 「」

 「…!」

 ラファエルはカリンの目を見詰め、問う。

 「君のその力は、一体なんのためにある?ただの復讐の為だけじゃないと、もう君は気づいているんだろう?」

 「…俺は、これから天界に行く。ここから先はお前が決めろ。このままこの戦いから逃れるか、俺と来て、力を得て戦い続けるか。」

 「………」

 「分かった。」

 カリンに背を向け、現れたゲートを開く。その向こうには、青空に浮かぶ門が見えた。

 「じゃあ、風邪ひくなよ。」

 1歩、踏み出そうとする。が、その足は僅かに服を引っ張られる感覚により止められた。

 「私も行く。この連鎖を止めてやる。」

 「なら、早くそう言え。」



 

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