第23話 別れ

 アレスが一振り、赫に染まった得物を振る。キィン…という冷たい金属音が響き、一拍置いたあと、直線上にある全てのものが両断された。柱が、床が、空間が、全て二つに分かれていた。

 「くそっ!やりすぎだろ…!」

 見えない斬撃をかいくぐり、なんとかゲンジはアレスの懐に潜り込むことが出来た。この距離なら、飛ぶ斬撃も関係ない。神速の抜刀、正にその言葉の通り極限の集中力に達したゲンジの抜刀は神の領域に侵入していた。

 だがそれは、アレスも同じこと。

 両者が鞘に手をかけ、空気が動いた瞬間既に激しい鍔迫り合いが始まっていた。あまりの刀身への圧力によりふたつの鋼が赤く輝き始める。ピクリとも動かない、2人の力は完璧に均衡している

────傍観者なら誰もがそう思うだろう。

 「なんで、そんな、力強えんだよ…。」

 ゲンジは歯を固く縛り、持ちこたえるだけで精一杯。しかし、アレスは眉をピクリとも動かさず真正面からゲンジによる圧倒的な圧を受け止めていた。そしてその均衡は、ジリジリと破られ始める。じわり、じわりとゲンジが押され始めてきた。脚が地面にめり込んでゆく。圧力が一段と強くなる。これ以上はもう耐えられない、ゲンジはそう判断した。身体を捻り力を逃がしながら間合いから逃れる。かつて自分が立っていた場所には、地割れがはるか遠くまで続いていた。

 アレスはゆらりとゲンジを見詰める。その敵意の瞳の奥には、ダイアモンドより固い決意が見えた。一気にアレスが踏み込んでくる。横に刀を薙ぎ払ってくるが、ゲンジはそれを前宙で避けた。

 「さすが…!バカみたいに強ぇ!」

 そして絶体絶命の中、彼は不敵に笑う。

 「でもなぁ、秘密兵器があるのは、お前だけじゃねぇんだよ!!!」

 すると突然、ゲンジは自分の服を力ずくで破った。顕になったものは、鍛え上げられた肉体と────剥き出しの機械仕掛けの心臓だった。

 「限界を、超えてやる!!!!!」

 そして、ゲンジの身体を青白いスパークが覆う。その放電は数十秒続いた。それが収まり、再びゲンジの姿が顕になる。姿に変化はほとんどない。瞳が青白くなったのみだ。

 だがアレスは本能的に感じた。彼を押さえつけていた何かが、取り外されたことを。剥き出しになった、壊滅的な暴力を。

 「これで…対等だな。」


 アレスの薄い意識の中で、彼女は何かとても懐かしい気分に浸っていた。十数年前、最後に対峙した時と同じ、ひりつく空気、嫌という程感じる殺気、極限の集中。あの時、2人はそれぞれ違う目的で戦った。幾年も共に過ごし、幾度となくすれ違ってきた。しかし、今は違う。この瞬間だけは、この刹那だけは、心が通じあっていた。

 ─────この、長い旅を終わらせる。

 今、2人の実力は再び拮抗した。

 「「お前を、ぶち殺す!!!!」」

 同時に空気の壁を破りながら突きを繰り出し、切っ先同士がぶつかり合い火花を散らす。ゲンジは力比べはせず、集中した力を後ろに逃がし、アレスの鳩尾に足刀をカウンターで食らわそうとするがそれは跳躍で避けられてしまう。アレスはそのまま重力に身を任せ刀を突き刺す形で上から攻める。バックステップで躱すが、素早いリカバリーでアレスのターンが続く。瞬時にゲンジの懐に踏み込み斬りかかった。人では実現不可能なほど多彩な斬撃を繰り出してくる。攻撃の間隔はほぼ同時に近かった。付け入る隙は1ミリも無い。人間なら、いつものゲンジでも防ぎ切る事は出来ないだろう。

 しかし、今は彼も、

 上段からの振り下ろし、それまでの僅かな、刹那よりも短いその構える瞬間をゲンジは狙った。刀が振り上げられ、アレスの胴体が剥き出しになる。

 「五月雨────」

 脱力し、得物を構え、踏み込み、走り抜ける。

 そして、この0.001秒にも満たない時間の中で、全てが決した。

 透き通った金属音が空間に響き渡る。静寂が再び訪れ、2人の時が再び動き出した時、アレスの刀がボロボロと、音を立てながら崩壊した。それと同時にその本人も、膝から崩れ落ちた。



 「終わった…のか…」

 アレスの姿は、既に元の人間に戻っていた。

 「あぁ、終わった。」

 アレスはこちらに振り向きもせず続ける。

 「何故、殺さなかった。昔のお前なら、なんの躊躇もなく私を粉微塵にしていたはずだ。」

 「…さぁ、なんでだろうな。この長い時の中で、情でも芽生えたかな。」

 二人の間に、なんとも言えない気まずい沈黙が流れる。

 「…お前、行く所はあるのか。」

 「知ってるだろう。私の家はここだ。家族もいない。お前が殺そうが殺さまいが、私の死に場所はここだ。」

 ゲンジの懐から、一切れの紙が取り出される。それに殴り書きをした後、アレスに放り投げた。

 「ここはもうすぐ消える。巻き込まれる前にここで待ってろ。今の俺の家族がそこに住んでんだ。全員明日には戻る。」

 「…甘くなったものだ。『死神』。」

 「惚れた女に優しくして何が悪い。」

 「…そういうのは後で言ってくれ。」

 ゲンジは既に、扉の前に立っている。彼の背中を見て、安堵と共に何故かもう二度と会えないという寂しさを覚えた。

 「じゃあな。冷蔵庫勝手に漁んなよー。」

 「言ってろ。」

 ゲンジの姿が完全に見えなくなる。その瞬間、今まで隠していた感情が突然顕になった。アレスは顔面が沸騰するような感覚を覚えた。

 「馬鹿野郎が。」



 扉を抜け、広く明るい通路に出る。その廊下の入口には、トールとカリンが待ちほうけていた。

 「うぃーお待たせー。」

 2人がこちらの存在に気付いた。カリンが必死に何か叫んでいる。その叫び声は自分が敵地にいるとは微塵も思っていないように緊張感が無かった。

 「遅いですよ!!今まで何してたんですか!!!」

 「悪ぃ悪ぃ。トール、スレイヤーは来てるか?」

 「こっちに向かってる。もうすぐ見えるはずだ。」

 噂をすればゲンジが通ってきた通路の奥から見慣れた影が見えた。

 「あ!スレイヤーさん!遅い…!です…よ…」

 だが、その歩き姿はいつもと違う。何かとても禍々しいものを感じる。今まで会ってきたどんなゲスの奴らとも違う。異質な感覚。そして、カリンはその身の毛もよだつ不気味さに、

 一つの懐かしさを覚えた。



 

 


 

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